<とっておき>

新庄競馬物語


昭和3年から18年ころまでのお話です。

新庄にはかつて評判の高い競馬がありました。
場所は町の西郊、谷地小屋の八幡原です

競馬場は楕円形で、その縦の径が412m、走路幅20mの堂々たる規模でした。

競馬場は、昭和天皇の即位を記念して建設されたものでした。

郷土雑誌「葛麓」では、この間の経緯を「新庄競馬大会」の題で次のように記しています。


御大会記念として
新庄町字谷地小屋八幡ヶ原に新設された競馬場は
既に完成を見たるを以って

来る十一月三日より三日間
競馬大会を催すことなり (中略)

此最初の試みを盛大ならしむべく
新庄町に於いては協賛会を組織し、

亦花柳界に於いても芸者総出の応援あり、

賞金代二千五百勝馬投票も行わるるので、

茲三日間は新庄町空前の賑わひを呈することである。

(同誌119号 昭和3年11月5日発行)

11月3日に予定された最初の競馬大会は、少し延期されたようですが、
予想以上の盛況で、
3日間の馬券の総売り上げは一万二千円にも達したということです。
(同誌120号)

以後、大会は春秋2回開かれることとなり、新庄競馬の評判はますます高まって人々の血を沸かせたそうです。

観客は、郡内はもちろん、山形・庄内、遠く宮城県・秋田県からもやってきたそうです。


遠くからの出走馬は付近の農家の空き馬屋を借りて、騎手とともに滞在したそうです。

しかし、昭和12年に始まる戦争は、このような人々の楽しみを許しませんでした。

馬も人も戦いに動員されて、競馬場は食糧増産の名のもとに壊されて耕地と化しました。

こうして歴史を紐解くと、若き黒澤明監督が新庄で撮影した「馬」という名画がやはり脳裏に浮かんできます。
黒澤明監督と新庄も是非お読みください。

ただ一人の総理大臣・小磯国昭へ