<とっておき>

内閣総理大臣 小磯国昭


上西山の桂嶽寺西側の小高いところに、「小磯国昭之墓」と大きな石碑が建っています。
これは、新庄が生んだ山形県ただ一人の内閣総理大臣「小磯国昭」のお墓です。
墓石の脇の墓碑銘には詳しい説明がかかれています。

小磯国昭の父は旧新庄藩家臣で、明治の初め新庄小学校長や最上郡長を勤め、県内外を転勤したため、国昭は明治13年に宇都宮で生まれました。
そのため国昭は小学校も幾つか変わりました。

中学校は現在の山形東高等学校で学びましたが、当時は汽車がないので、山形から新庄へ帰る時は徒歩だったそうです。
冬季の雪の時もわらじばきで、64kmの道は難儀をされたようです。

中学校から陸軍士官学校へ進み、軍人の道を進み、軍人の道を歩むことになります。
中尉の頃、日露戦争に従軍し手柄をたて、やがて昭和12年、最高の陸軍大将に栄進しました。

その後日本は、中華事変、太平洋戦争と一番苦しい時代に入り、小磯国昭は望まれて内閣総理大臣となり、国勢を担うこととなりました。

終戦後は、昭和25年11月3日、70歳で亡くなるまで、太平洋戦争の戦犯として拘置所で過ごします。
その間、判決書の裏紙に鉛筆書きした自叙伝は、現在市立図書館に文化財として保管されています。

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