<とっておき>

シャルロット・ペリアン


シャルロットペリアン指導製作の
寝台敷(しんだいじき)
<山形県立博物館所蔵>

戦前、雪国の農家では、俵や蓑などを編む「わら仕事」をして、次の年の農作業に備えました。
この「わら仕事」は、あくまでも翌年への準備であり、その仕事自体が現金収入につながるものではありませんでした。
現在の雪の里情報館の敷地にあった「積雪地方農村経済調査所」は「雪調」などと呼ばれて親しまれていました(私もお祭りの時など、よくここで休憩したものです)。
そこは、雪国の人々の生活向上のための調査・研究・指導機関であり、さまざまな研究が行われましたが、農家の副業についても、いろいろな方策を考え実践しました。
その一つとして、民芸品の製作がありました。
そしてこの「雪調」では、蓑などのわら細工を単にそのまま製作して現金収入とするのではなく、インテリアなどの調度品などに応用できないか、と考えました。


昭和15年、当時の商工省の招きで、日本製品の貿易振興を目的に、フランスから新鋭女性デザイナー、シャルロット・ペリアンが来日しました。
「雪調」の当時の所長・山口弘道は、民芸運動を提唱していた柳宋悦らとともに彼女を招待し、民芸品の製作にあたらせました。
ペリアンは、用途のだいたいの設計を地元の農家の人に伝え、農家の人が普段使っている材料と技術を応用して、イスやテーブルを作らせました。
それは、当時の地元の人々が発想し得なかったシンプルかつモダンなものでした。
現在も残る作品から、それがうかがえませんか。

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