<とっておき>

新庄藩旧町名・新庄城址跡標示柱

新庄は古い歴史のある城下町です。
その歴史を再認識し、興味をもってもらえるように市内のあちこちに旧町名の標示柱と、
新庄城址の各史跡標示柱が設置されています。

時折古い町名を耳にしたり、城跡で遊んでふと気になったときなど、
この64箇所の標示柱を読んでみて下さい。

由来や歴史が少し見えてきませんか?

(将来は図も入れたいのですが)

1 金沢町 かなざわまち (下金沢町)
新庄城下町の南入口の町。多くの寺や神社がおかれ、裏町には足軽組が配置されていた。本通りには酒屋・茶屋が並んでいました。
2 鉄砲町 てっぽうまち(鉄砲町)
敵の侵入を防ぐために鉄砲組をおいたところ。昔は持筒(鉄砲のこと)町とも呼んでいました。
3 落合町 おちあいちょう (大町)
中の川と清水川の合流地点であったので落合町といいます。酒屋・漆屋が多かったところです。東端れ、中の川橋のたもとに大門がありました。
4 清水川町 しみずがわちょう (大町)
昔この町の東に流れていた清水川に由来します。雁・鴨・小鳥や鯛・鯉・鰹などの魚を扱う店が並んでいました。
5 神宮寺跡 じんぐうじあと (宮内町)
七所明神の別当神宮寺のあったところ。神宮寺は常楽坊以下六坊をそなえていました。
6 片原町 かたはらまち (宮内町)
山口丁から南に伸びた通り。この町は通りの片側にだけ家が並び、他方は空き地であったので、片原町と呼ばれました。
7 宮内丁 みやうちちょう (宮内町)
七所明神が祀られているので宮内丁といわれます。昔、海藤帯刀という侍が、明神を二枚橋から移してここに祀りました。頭を守る神として信仰が厚いです。
8 筋違い橋 すずがいばし (宮内町)
ここの橋板が筋違いに並べられていました。橋の下に「ざぐ」という狐がいて、ここを通る人を化かしたものだと言われます。

9 山口丁 やまぐちちょう (宮内町)
清水川町南端から西に入り、南に伸びる通り。通りの西側に大場・森・平賀・岡野氏などの侍が屋敷を構えていました。
10 御長柄町 おながえまち (大町)
長柄の衆が屋敷を構えていた町。御長柄町は古くは現在の清水川町にありましたが、享保3年に移されました。
11 南岡崎丁 みなみおかざきちょう (宮内町)
南御門から御馬出口に至る通り。黒川・津田・駒井・常井氏などの中級家臣の屋敷がありました。
12 南御門跡 みなみごもんあと (堀端町)
外曲輪東南隅にあった門の跡。南御門は高い石垣を土台とした櫓門でした。
13 御馬出口 おんまだしぐち (大町)
藩主が馬に乗って御城から馬喰町(羽州街道)に出たところです。
14 名古屋敷 なごやしき (大町)
在方から出て来て、侍屋敷に奉公する人々を名子と呼びました。これらの人々の屋敷が合ったところです。
15 馬喰町 ばくろちょう (大町)
諸国の馬喰が集まって馬の売買を行いました。領内の小国駒をはじめ、秋田・南部・津軽・本荘などの馬が取引されました。
16 紙漉町 かみすきまち (沖の町)
新庄藩お抱えの紙漉き職人が、清水川の清流を利用して髪を漉いた町と伝えられます。藩政時代後半には、侍と町人が入り交じって住む町となりました。
17 沖の町 おきのまち (沖の町)
昔、この辺は金沢沖と呼ばれ、一面の田んぼでした。明治36年、新庄駅が設けられると、駅と南本町を結ぶ道路が開かれ、市内随一の商店街になりました。町の名は昔の地名金沢沖に由来します。
18 三の堀跡 さんのほりあと (小田島町)
三の堀は吉川町から北本町・南本町裏を経て宮内丁に流れ、侍町と町人町を境していました。
19 大正町 たいしょうまち (小田島町)
明治44年の大火を機に、沖の町通りを西に延ばして、御城までの道路が開かれました。大正時代にできた町ということからきています。
20 仲丁 なかちょう (小田島町)
侍町と町人町の間にある町なので仲丁と呼びました。上・中・下の三丁に分かれます。古くは山崎丁・村山丁と呼ばれました。
21 藩校明倫堂跡 はんこうめいりんどうあと (小田島町)
新庄藩校明倫堂は明和年間に創設され、幾多の俊秀を育てました。安政5年(1858)、移され、明治4年まで続きました。
22 町奉行所跡 まちぶぎょうしょあと (大手町)
新庄城下町の市政や治安をつかさどる役所のあったところです。現在の市役所と警察を合わせたような役所でした。
23 南本町 みなみほんちょう (本町)
南本町はもと五日町といい、羽州街道に沿ってつくられた町人町で、城下町でもっとも賑やかな町でした。ここは参勤交代で江戸に登る大名が泊まる本陣、反物・仏像・筆・墨などを商う豪商が軒を連ねていました。
24 大手口 おおてぐち (本町)
町人町、北本町・南本町から新庄城に入る入口。この口に番所が設けられ、北側に町奉行所が置かれました。大手広丁を通り、二の丸の大手門を経て、本丸に入りました。
25 北本町 きたほんちょう (本町)
北本町はもと十日町といい、南本町とともに羽州街道沿いにつくられた町人町で、城下で最も賑やかな町でした。ここには参勤交代の大名が泊まる本陣、旅人が泊まる旅篭屋、反物・薬種などを扱う豪商が軒を連ねていました。
26 鼠穴口 ねずみあなぐち (本町)
町人町の北本町から侍町仲丁(山崎丁)に入る入口。この口だけは、夜間でも密かに通ることが許されていました。人々は鼠のようにこそこそ通ったということです。
27 南学院口 なんがくいんぐち (大手町)
横町から仲丁に入る入口。ここに南学院という修験の屋敷があったので、この名がつきました。
28 横町 よこちょう (万場町)
横町は櫛・かんざし・紅・白粉などの化粧品を商う町として知られていました。新庄城下の道は南北方向が基本ですが、この町は東西方向ですので横町といいます。
29 桜馬場 さくらばば (沼田町)
二代藩主正誠のとき、ここに馬場をつくり、その周りの土手に桜を植えました。これが大きくなって桜の名所となりました。
30 常盤丁 ときわちょう (常葉町)
常盤丁は藩主戸沢氏の別邸がおかれた町で、これを守る多くの侍が住んでいました。この別邸は歴代藩主の隠居所として用いられていました。
31 万場町 ばんばちょう (万場町)
穀物・野菜・果物を商う店が並び、酢・酒・醤油を扱う店も多かったところです。万の店があるので万場町と呼びました。古くは長町といいます。
32 常盤丁別邸跡 ときわちょうべっていあと (常葉町)
二代藩主戸沢正誠がここに別荘を営みました。その後、歴代藩主の隠居所となりました。
33 円満寺 えんまんじ (五日町)
江戸時代初め、戸沢氏が新庄に入部した折、郊外に円満寺を建てて、藩主の祈願所としました。
34 中山町 なかやまちょう (万場町)
城下から中山に向かう町だから中山町といいます。この町の虫除稲荷は、稲や畑の作物を害する無視を退治してくれる稲荷様として有名です。
35 吉川町 よしかわちょう (万場町)
吉川町は合羽・傘・蓑・笠などの雨具を売る店が並んでいました。西端の端のところに大門があり、夜間の通行人を改めました。
36 鉄砲屋口 てっぽうやぐち (万場町)
吉川町から神明丁に入る入口。ここに今井という鉄砲鍛治がいたので、鉄砲屋口と呼びました。
37 吉川町天満宮跡
吉川町天満宮は、町人の参拝する天満宮として、城内天満宮を分祀したものです。この天満宮は、また城下町の北野守りの拠点でもありました。
38 神明丁 しんめいちょう (沼田町)
神明宮が祀られているというので神明丁と呼びます。神明宮は二代藩主正誠が城下の鎮守として金山から移した宮で酢。その前は松本丁と呼ばれていました。
39 一里塚跡 いちりづかあと (十日町)
江戸時代は全国の主な街道に、一里(4km)ごとに塚を築き、松や榎などを植えて、旅人の弁を図りました。ここは太田街道の一里塚です。
40 茶屋町 ちゃやちょう (北町)
新庄城下町の北の入口にあたる町で、たくさんの茶屋があり、旅人を相手に餅やそば・酒・菓子などを商っていました。
41 鍛冶町 かじちょう (北町)
たくさんの鍛冶屋がいて、侍が使う刀や槍、農民が使う鍬・鎌・山刀などを打っていました。刀鍛治としては高橋市郎兵衛が有名です。
42 三本橋 さんぼんばし (沼田町)
藩主が鷹狩に通うために、三本の丸太を渡して仮の橋としていました。当時は太田・荒小屋あたりが格好の鷹場でした。
43 水上丁 みずがみちょう (石川町)
御城から見て水上の方角にある町だから水上丁と呼びます。この町には水原氏・星野氏・太田原氏などの中級の侍が住んでいました。
44 石川丁 いしかわちょう (石川町)
新庄城北御門から三本橋に至る通りです。新庄城三の丸にあたります。瀬川氏・田口氏・折下氏などの上級・中級家臣の屋敷がありました。
45 北御門跡 きたごもんあと (堀端町)
外曲輪の北側にあった門の跡です。北御門は高い石垣を土台とした櫓門でした。
46 川原町 かわらまち (堀端町)
新庄城外曲輪北御門前から堀沿いに西に伸びた通りです。通りの北側に十時氏の屋敷や板前長屋がありました。
47 堀端丁 ほりばたちょう (堀端町)
外曲輪東側の堀に沿う通りです。大手門より北を上堀端丁、南を下堀端丁と呼びました。古くは清水丁と岡崎丁と呼びました。
48 大手広丁 おおてひろちょう (大手町)
大手御門から南本町(羽州街道)に出る大通り。天野八右衛門・長野藤兵衛などの上級家臣の屋敷がありました。
49 大手御門跡 おおてごもんあと (堀端町)
外曲輪の正門があったところです。大手御門は高い石垣を土台として築かれた櫓門でした。
50 御役所跡 おやくしょあと (堀端町)
藩内の田畑や年貢・産物・財政などを扱う役所がありました。
51 二の堀跡 にのほりあと (堀端町)
二の堀は外曲輪のまわりにめぐらされていた堀です。外側は三の曲輪の侍町でした。
52 時鐘堂跡 じしょうどうあと (堀端町)
時間を知らせる鐘搗き堂がありました。鐘は高い櫓の上に吊るされていました。
53 御鷹部屋 おたかべや (堀端町)
新庄藩が幕府に献上する鷹を飼っておく建物がありました。
54 武器櫓跡 ぶきやぐらあと (新庄城址内)
一角に二層の隅櫓がそびえていました。中に槍・鉄砲などの武器を入れていました。
55 二の丸跡 にのまるあと (新庄城址内)
本丸の南に設けられた廊。廊内に二の丸長屋がありました。
56 表御門跡 おもてごもんあと (新庄城址内)
本丸正門のあったところ。表御門はこの石垣を土台とした櫓門でした。
57 御物見跡 おんものみあと (新庄城址内)
城外の様子をうかがう建物がありました。この土塁の上に土塀がめぐらされていました。
58 御玄関跡 おんげんかんあと (新庄城址内)
新庄藩政丁の正面玄関。この奥に廊下をへだてて40畳敷の大書院、32畳敷の御広間などがありました。
59 新庄城天守台跡 しんじょうじょうてんしゅだいあと (新庄城址内)
三層の天守閣がそびえていましたが、寛永13年(1636)の火事で焼失しました。
60 西丁 にしちょう (堀端町)
新庄城本丸の西にある町。御厩・作業所などの役所や楢岡平右衛門・細田小十郎・武石藤太夫などの名門家臣の屋敷がありました。
61 大納戸櫓跡 おおなんどやぐらあと (新庄城址内)
本丸の西北隅に築かれた隅櫓。瓦葺き、二層の櫓でした。
62 裏御門跡 うらごもんあと (新庄城址内)
本丸北側にあった城門の跡。裏御門は高い石垣の上に築かれた櫓門でした。
63 御用水 ごようすい (堀端町)
指首野川から分水して城内に引き入れ、揚水として用いました。この堰では決して穢いものは洗ってはならないとされていました。
64 小納戸櫓跡 こなんどやぐらあと (新庄城址内)
本丸の東北隅に築かれた隅櫓。瓦葺き、二層の櫓でした。

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