往年の紀勢本線パート1

ここでは、往年の紀勢本線の様子を再現してみました。
紀勢本線はその、ほとんどが海、山に囲まれ、大変美しい所を走ります。

私が小学生の頃、紀勢東線にも「くろしお」が走っていました。(現在は南紀)
紀勢東線までやってきて紀伊半島を一周するのは一日わずか一往復でした。
1D、2Dの列車番号のついたそれには、当時すでに余命わずかとなった「キハ81」が連結されていました。
轟音をとどろかせ、力走するキハ81の迫力あり、また、ユニークな姿は、今でも脳裏に焼き付いています。

厳密な現場再現は難しいので、ここは雰囲気だけ真似してみました。

 

海辺を軽やかに走るキハ81。
キハ81は、登場当初はトラブルが続発したらしいが、「つばさ」や「いなほ」など、日本各地で活躍。電化の波に押し出されて、最後はこの紀勢本線でハネームーン客(当時は紀伊半島がハネームーンのメッカだったのか!?)等を乗せて最後の活躍をしました。

中間にはキハ82を従えて走っていた。
食堂車もしっかり連結されていたようである。
特急列車に威厳が感じられた時代であった。

紀勢本線にはトンネルも多い。
海辺から離れて、山間部を走る区間もある。

雰囲気的には紀伊長島手前の荷坂峠あたりか。トンネルや、橋梁が連続する。急勾配を轟音をとどろかせ、驀進するキハ81。

ちなみに、現在キハ81には、大阪の交通科学博物館で会えます。

キハ81は、ビスタU世を作った時に残った「スカイライナー」の先頭車を改造して作りました。原型をとどめているのは中間の3つの客席窓だけです。すみません、京成ファンの方…決してスカイライナーが憎いわけではありません。


1999.9.2.NEW
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