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DF50保存機

1.4号機

DF50が引退してから20年が経つが、現在、3両のDF50が保存されている。そのうち、大阪にある、2両を訪ねてみた。

大阪の阪急淡路駅から徒歩20分くらいの菅原天満宮公園に保存されています。ご覧のように、とても立派な覆いの中で保存されていて、状態はかなり良好のようです。

ただ、覆いが立派すぎて、まともな撮影は困難です。さらに覆いのまわりをフェンスで囲ってあり、近づいてみることもできません。とても厳重に管理されています。ガラスも汚れているので、中の機関車の様子もはっきりとわかりません。

現在は、公開されているかも不明です。

4号機は紀勢本線で活躍していた頃、一番お気に入りだったでした。「4」の文字の汚れ方やちょっと歪んだ「F」の文字など、昔そのままです。側面の真っ黒な露出したエアフィルターなど、亀山機関区の証しです。このような環境での保存なので、塗装も廃車になった時のままなのかも知れません。

亀山で最後に見かけたこの時から、実に23年ぶりの再会でした。

それにしても、どうしてこの場所にいるのか不明です。公園に訪れる小さい子供達やその親たちも、そこに機関車があることを全く気に留めることはありません。

ただ、異様なまでに厳重な覆いだけがとても不釣合いな感じでそこに存在していました。

せっかくですので、現役時代の4号機の写真を紹介します。たくさんの写真を提供していただいた、羊肉様の撮影です。夜の津駅に停車する重連貨物。

お座敷列車牽引。一身田にて。

羊肉様撮影。

DD51入線にあたって、DFと連結されて運用されていた。次位が4号機。

羊肉様撮影。

 

2.18号機

一番、身近な所にあるのが、この大阪交通科学博物館の18号機です。

以前は屋根のないところに保存されてましたが、改修で屋根付きになり、色も綺麗に塗りなおされました。まるで新車のようにピカピカです。今後も大切に保存していくという方針がとても嬉しいですね。

屋根上の明り取り窓。Hゴムも綺麗にされている。
運転席の様子。ドアや床は木製でかなり年代の古さを感じさせる。
反対側から運転席の様子。向こうにはDD54も見える。
内部通路の様子。エアフィルターはこのように取り外し式になっている。

 

悲運の事故機

このように、現在まで美しく保存されている幸運なDFがある一方、車命を全うする前に、不運な事故で廃車となったDFもある。

10号機

1964年6月25日、朝からの激しい雨の影響で紀勢本線大曽根浦-九鬼間の第二行野トンネル付近で土砂崩れが発生。午後4時28分ごろ、DF50 10号機牽引の多気発串本行きの普通列車がトンネル出口で、くずれた土砂に乗り上げた。機関車 は30メートル下の崖下に転落転覆し炎上した。 機関士らは、重傷を負ったものの、幸い乗客らに助け出され一命をとりとめた。10号機は1957年10月30日製造後、わずか7年で、DF50の最初の廃車機となってしまった。茶色から朱色に塗り替えられた後の間もない頃と推測される。

崖下に転落・転覆し炎上する10号機。

写真:伊勢新聞 昭和39年6月26日 1面掲載。使用許可申請済。記載期間70年間

39号機

1969年1月24日、紀勢本線紀伊日置駅付近での脱線事故のため廃車。機関車だけ田圃に転落した。

45号機

1972年7月5日、貨物列車牽引。土讃線繁藤駅で停車中に土砂崩れに巻き込まれ川に転落、土砂に埋り、大惨事となった。

機関車は現場で解体された。