このページは「STEAM IN CHINA」の羊肉様がDF50の特集へのご協力として、
追憶ギャラリー第10回として作成・公開された内容を三重電池鉄道にて保存しているものです。
以下はその保存内容です。

追憶 Gallery 

 −ステンレス帯のDF5026号機篇−

小学生時代の同級生であり、プラレール界の有名人である三重電池鉄道さんと共同企画しているDF50特集ですが、前回の4号機特集に続き、今回はステンレス帯で人気があった26号機の特集です。亀山機関区のDF50で育った2人には一生脳裏から消えない機関車でしょう!
DF5026号機は1971年10月に運転された「和歌山国体お召し」で、8号機と共に白帯をステンレス帯に変更された機関車で、亀山機関区からDF50が消える最後の1980年3月1日まで紀勢本線で活躍しました。この日運転された「さよなら列車」122レはDF5057+26で、両ガマともお召し牽引機が充当されました。(57号機は1977年に59号機とお召し牽引)
一方、相棒の8号機はお召し運転後の1973年にいち早く高松機関区へ転属となり、その際に普通の白帯に戻され、26号機より早く1979年2月に廃車になりました。26号機も「さよなら運転」後、同じく高松機関区に転属となり、こちらは人気があったことから、廃車になる1982年までステンレス帯は健在でした。羊肉が26号機を最後に見たのは1981年3月の多度津駅で、夜の照明に輝くステンレス帯は美しいものでした・・・

(お知らせ)
1982年に発売された「RAILGUY No61 飯田線・DF50特集」をお持ちの方はDF50特集を是非見て下さい。ここには羊肉兄の写真が数枚掲載されています。(私の写真も一枚載ってます)

Photo 羊肉


1979年7月 亀山機関区で「紀伊」ヘッドマークを付けた26号機


1978年4月 下庄Sカーブ ペンタSP+ソリゴール300mmで撮影
確かこの日は三重電池鉄道さんとご一緒に撮影した記憶があります


1979年12月 深夜の紀伊長島駅に停車する197レ 26+24号機


1978年6月 撮影地へ歩いていたら突然来た26号機牽引のお座敷列車


1979年2月 小学校の帰り道で撮影した127レ、カメラは隠れて持参

おまけ写真

これが幻の8号機(ステンレス帯)

1972年に偶然撮影した紀勢本線時代の8号機の写真です。この時代は羊肉が鉄を始めた(兄に無理矢理教育された?)頃で、6歳の時です。近所の駅へ一人で蒸気機関車の撮影にいった際、何気なしに撮った一枚ですが、間違いなく1桁番号のステンレス帯なので8号機です。カメラが悪いのでもっと近づいて撮るべきでしたが、多分試し撮りで撮ったものでしょう。この翌年には高松機関区に転属となり、白帯に戻されたので、相当貴重な記録だと思うのですが・・・