
甲州流兵学の津軽藩への脈流
甲州流兵学は小幡勘兵衛が始祖と言われ、10名の
更に、8名の北条流門下の山鹿素行が後継し18名の山鹿流の門下生をもつに至った。
大道寺友山は北条氏長の門下生として江戸の明暦大火後に幕府の命で江戸寛文絵図
5版を完成させた。
兄弟子だった山鹿素行とは特に繋がりが深かった。
大道寺友山の伯父の大道寺隼人直英(津軽藩城代家老)との縁からである。
津軽藩主4代目の信政が山鹿素行を津軽藩に1万石の城付の家臣にと求めた
しかし、山鹿素行本人は拒否したが、実子である鶴と亀の姉妹を津軽信政に敬意をもって
献上した。
姉妹は津軽姓の家臣と婚姻が調い山鹿流の門下が津軽藩に大きく広がった
忠臣蔵の大石内蔵助良雄も門下におり、討ち入りの陣太鼓は山鹿流といわれる。
