ドイツとヨーロッパのリバイバルを願って、先週ミュンヘンギャザリングが行われましたが、そのミュンヘンをはじめとしてドイツに大量の難民が押し寄せています。今年中に100万人を超える中東地区難民たちがヨーロッパ中に流入するとの予測がされているようですが、このことはとても大きな混乱と危機的状況をヨーロッパにもたらすかも知れません。中東地域の政情不安は、ヨーロッパから世界に拡大し、世界の終末へと導く危険性をはらんでいます。なぜなら、エゼキエル37〜38章では世界最終戦争のために、ロシアを中心としたイスラム系連合軍が北からイスラエルに攻めて来ると預言していますが、そのような連合軍がロシア・イランを中心として出来上がる可能性が広がっているからです。
先日ブリッジズ・フォー・ピースの総裁がハイナイト祈祷会で、世界の過半数を超える人々が所属する国のリーダーたちがイランの平和目的の核開発を承認したということに触れ、これはとても大きな危機をはらんでいる出来事だと説明していました。もしイランが核開発を悪用し、核兵器を持ったならば、イスラエル殲滅のために核戦争を仕掛ける可能性があるからです。そこにロシアや周辺諸国が加われば、世界は一気に第3次世界大戦へと突入するかもしれません。多分これからの時代はいよいよ危機的な状況になっていくと思います。なぜなら罪深い人類は常に愚かな選択をし、今まで悲惨な戦争を何度も繰り返してきたからです。第二次世界大戦後70年を迎えて、日本でも安保法案が通りました。もしかしたらこれによって日本も世界規模の戦争に巻き込まれていくかもしれません。
愛する皆さんは、これから来る時代を人類滅亡の時代、黙示録の預言が成就する時代なのだという認識をしっかりと持っているでしょうか。もしそのような時代認識を持っていないならば、マタイ25章のイエス様の再臨と関わって言われた例えに出てくる愚かな5人の娘や1タラントを預けられたしもべのような悲惨な結末を迎えないとも限りませんから気をつけましょう。
私たちは神様の憐みを受けて救われ、神の子とされましたが、それは私達が霊的に成長し、神のしもべとなって、忠実な管理者として神と人に仕える者になって欲しいからでした。私達が与えられた神の子の特権を感謝し、神と人に忠実に仕える思慮深いしもべになるならば、神様は5タラントと2タラントを預かって儲けたしもべに言ったように、私達に対しても「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは僅かな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と言って報いてくださるに違いありません。ですから今の時代をしっかり見すえて、目を覚まして行きましょう。そして賢い5人の娘のように、花婿なるキリストの再臨に備えてともしびの油(信仰と聖霊の満たし)をしっかり準備していきましょう。
松本での奉仕はとても祝福されて終えることが出来ましたので、感謝と共に少し報告をしたいと思います。今年で3年連続の奉仕でしたが、今年のテーマとして取り上げたのは「人格の境界線」についてでした。何年か前に私たちの教会の合同修養会で学んだテーマでしたが、このテーマでの学びに対して、とても大きな反響があり、たくさんの人から感謝されましたので、このテーマを選ぶように示してくださった聖霊の導きを感謝しました。
今回このテーマについて講義をしながら、日本人を始めとする東洋人がいかに基本的人権を守るための境界線を持っていない民族だということを改めて考えさせられました。封建的社会制度が色濃く残っているアジアや日本では、個人の人権が蹂躙されることが日常茶飯事で起こっていますが、その根本的原因は基本的人権についての正しい概念を聖書から教えられていないからだと思います。イエス様が言っている「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい」という命令は、基本的人権を守る正しい境界線を引いて愛し合いなさいという命令ですが、何と多くの人々が、自分の人権を守るためのノーという境界線を引くことができず、自分を傷つけていることでしょう。あるいは隣人のノーという境界線を無視して、隣人の人権を蹂躙して傷つけて生きていることでしょうか。
皆さんは自分が自分と隣人の人権を傷つけるという罪を犯している罪人だという自覚をしっかり持っているでしょうか。人間の原罪からくる罪の実態がこの境界線問題の中に表されていると言っていいと思いますが、実は多くの人がこのことについて信じられないほどに鈍感なために、いとも簡単に自分や隣人の人権を蹂躙して傷つけているのです。どうか愛する皆さん。正しい境界線を引けるクリスチャンになることを目指して、インナーヒーリングに取り組みましょう。なぜなら正しい境界線を弾けなくなった原因のほとんどが幼少期に育てられた環境の中にあるからです。例えば厳しい躾を受けた人は奴隷型人格となり、自分を守るためのノーが言えない人になります。またわがままで自由放任に育てられた人は、自己愛型人格となり、人のノーを受け入れられない人、人の人権を尊重できない鈍感な人になり、自分の貪りを抑えることができない自己中な人になります。
今回は複数の教会員の方々のインナーヒーリングミニストリーをさせてもらいましたが、それぞれの人がやはり幼少期の生育環境の悪影響を引きずっていました。そのため人間関係のトラブルを抱え、正しい境界線を引くことができていませんでした。そこである人は隣人を傷つけた罪を悔い改める祈りをし、ある人は傷ついた心を主に癒していただき、傷つけた人を赦すという祈りをして、過去の精算をしました。そして正しい境界線を持って、隣人を愛する人になれるように変えてくださいという嘆願の祈りを捧げ、癒しと解放が与えられたことを喜び合いました。どうか皆さんも自分の心を変革するために祈って下さい。
三日間の旅を無事に終えて帰って来ましたが、皆さんのお祈りに支えられて、沢山の導きと祝福を今回も頂いてきましたので、その報告をしたいと思います。
昨年に引き続いて、今年も途中、伝道のために寄り道して私の大学時代の友人宅に向かいました。まずは茨城県に住む友人宅に金曜に一泊させてもらい、ひと晩の交わりをしましたが、その中で今回は2回目ということで、彼の悩み相談に乗ることになりました。その中で彼にかけられている大きな罠を発見することができました。その罠が「メシアプログラム」という罠でした。大家族の長男に生まれた彼は、長男として家を支えなければいけないという使命感を小さい時に埋め込まれました。そして一生懸命励む良い子になり、完璧主義者になり、周りの人や家族に仕えるようになってしまいました。その罠に捉えられた状態で、今でも生きていることがわかったので、そのことの問題性と罪深さを彼に伝えてそこから出るように勧めました。次に私達は翌朝、栃木県に住むもうひとりの友人を訪ねましたが、そこでは昨年会うことができなかった奥さんにも会うことができて、楽しい交わりを持つことができました。その交わりの中でも、友人が同じように不幸な境遇が元でできた「メシアプログラム」に捉えられて、無理して生きている結果、いろいろな弊害が生活に出ているのがわかったので、そこから出るように彼にも勧めました。無理して人に仕え、結果的には自分を神として、人を支配したり、操作する生き方から、真の創造主を神様として信じて頼る生き方に変わるように二人に勧めたわけですが、昨年に続いて伝道と証しの機会が与えられて感謝でした。今回二人と会ってはっきり分かったことは、彼らが私がかつて持っていた「メシアプログラム」に支配されて、奴隷になっているということでした。だからそのような彼らを救うために、主が私達を遣わしてくださったのでした。所で、皆さんも子供時代の境遇の中で作られた心を縛る様々な罠に今も捉えられていませんか。どうかその罠を発見して、そこから出るためにカウンセリングなどを受けましょう。
さて、栃木の友人に別れを告げて、私達は福島に向かい、土曜日の夕方にいわき市に無事着きました。そして4年前の奉仕の時に親しく交わったN姉妹と再会し、楽しい夕食の時が与えられました。そこでもいつの間にか彼女の信仰上の相談とカウンセリングをすることになりましたが、神様は最も必要なアドバイスを私達を通して彼女にするように導いて下さいました。日曜日は午前の礼拝で証しと特別賛美の時が与えられ、午後には伝道コンサートの時が与えられ、とても喜ばれましたが、思ったほど人が集まらなかったのが残念でした。しかし確実にイエス様の赦しと癒しの福音が、聞いた人々の心の中に刻まれたことが、集会後の反応で分かりましたので、ここまできた甲斐があったなと思わされました。午後の集会を終えて私達は一路土浦市に向かって急いで高速を飛ばしました。M姉一家を訪ねて、新築の家を聖別し、生まれた第3子の顔を見たいと思ったのですが、子供たちの元気な声に歓迎され、共に夕食を囲んで楽しい時を与えられました。まだ小さな3人の子供たちを、夫婦で協力して一生懸命育てている姿を見て、とても安心しました。彼らの守りと祝福をお祈りして別れましたが、とても幸せな気持ちに満たされたひと時となりました。
安倍首相と自民党が画策している今回の集団的自衛権の行使法案は、戦争の放棄を宣言している憲法に違反している犯罪的行為です。現在の日本国憲法はその理念の中に聖書的価値観を包含して作られた良い憲法ですが、その憲法をないがしろにする今回の安倍首相の暴挙を、私達クリスチャンは赦してはならないと思います。
彼は二枚舌をもって国民を騙し、戦争防止法案だと言って戦争行使法案を通そうとしています。また自分の間違った価値観を国民に押し付け、ゆくゆくは、主権在民の現在の憲法を改悪し、天皇を神格化し国家元首とした、かつての右翼的国家体制を復活させようとする意図を持って動いています。このようなことを最も忌み嫌っているお方こそ我らの父なる神様です。日本に再び天皇という偶像が立てられることを、どんなにか創造主なる神様は悲しみ、お怒りになることでしょうか。彼は来年伊勢志摩サミットを開催し、各国の首脳を招いて、伊勢神宮参拝をさせようとも企てています。世界中の権力者を偶像の宮に参拝させ、主が最も忌み嫌う偶像礼拝の罪を犯させようとしている権力者なのです。あの旧約聖書に出てくる北王国のアハブ王と同じような権力者なのです。
私達はこのような権力者の暴挙を止めるために真剣に祈らなければなりません。そうしなければ主の祝福を日本が受け損なう事態になりかねません。戦後70年の節目を迎えて、これからの日本が敗戦後70年の呪いを解かれて、主の祝福を受けるためには、今こそ我々クリスチャンが祈りの手を上げて、一致して執り成しの祈りを捧げなければなりません。聖書では「全ての人のために、また王と全ての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなしなさい(Tテモテ2:1)」と言っています。
世界の歴史を見ると、最も大きな犯罪行為は常に権力者の横暴によって生まれてきています。その中でも最も大きな犯罪が戦争です。多くの間違った戦争が時の権力者の手によって起こされ、多くの人々がその戦争の犠牲者となってきました。従って為政者が正しい政治を行うように執り成すことは、クリスチャンに課せられた最も大切な使命の一つです。世界の平和のためには、為政者の暴走を防ぐ執り成しの祈りが欠かせないのです。ですから、愛する皆さん、安倍首相が暴走を止めるように、彼が権力の座から下ろされ、主が喜ばれる政治をすることができる新しいリーダーがこの国に生まれるように、そして主を恐れ敬い、人類の平和のために貢献できるリーダーをもった国になるように祈りましょう。そうすることが、ひいては私たちの平和と幸福にもつながるのです。
四国地区伝道旅行を終えて無事に帰ってきました。今回も沢山の祝福をいただき、とても恵まれた10日間となりました。皆さんの陰での執り成しの祈りのおかげでした。いろいろな所を廻りたかったので今回は車で行くことを選択しましたが、お陰で自由に動けて、奉仕と交わりとついでに観光ができてとても感謝でした。今回はその恵みを少しお分かちしたいと思います。
最初の恵みは鳴門の大塚国際美術館に行けたことでした。絵を見るのが好きな私としては、いつか機会があったら是非行きたいと思っていましたが、今回は車の通り道に美術館があるということで、時間を作って寄ることができました。この美術館には世界の名だたる名画約千点が、陶板画として復元されているのですが、本物に負けない迫力と美しさを楽しめるということ。また特にキリスト教美術の名画がたくさんあるということで期待して行ったのですが、果たして期待以上でした。すべての絵が写真撮影でき、触ることもできるというので沢山の写真も撮れて、いい記念になりました。その中でも一番印象に残り、感動したのがレンブラントの放蕩息子の絵でした。最後の晩餐の絵も修復前の絵と修復後の絵の両方を見ることができて、素晴らしかったです。システィナ礼拝堂の天国と地獄の絵も、原寸大の絵と礼拝堂がそのまま復元してあり、その存在感は見るものを圧倒する迫力でした。ただ残念だったのはその数があまりに多すぎて、限られた時間の中ですべてを見られなかったことでした。
次の恵みは高松のO先生との交わりが今回初めて与えられた事でした。伝道者として50年の大ベテランの先生との交わりと奉仕の時を与えられ、とても親しく交わることができました。また主の奇跡的な導きで立てられた素晴らしい会堂を見させていただき、第4会堂の建築のために祈っている私達にとって、とても励まされ、参考になるお話しを聞くことができました。
第3の恵みは高知県の香美市で牧会している牧田先生を訪問できたことでした。先生は私を信仰告白に導いて下さり、私に按手の祈りをしてくださったのですが、その時に私は聖霊のバプテスマを受け、同時に新たなライフビジョンを与えられ生まれ変わったのです。私をそのように変えてくださるために用いられた恩師と36年ぶりに再会できたことは、懐かしさと共に本当に大きな喜びでした。牧田先生は長年勤めていた神戸改革派神学校の校長を8年前に退き、地方教会の牧師として最後のご奉公をしたいと願ってこの地に赴任してきたということでした。お年は調度70才ということでしたが、とてもお元気で、ご自分に与えられたビジョンの実現に向かって、頑張っておられる姿を拝見してとても励まされました。先生は赴任してから、高齢化し衰退していた教会を霊的に立て直され、また老朽化してひどい状態だった会堂も最近建て直されたということでした。新会堂は木の香りのする素敵な会堂でした。デザインも響きも良く、今度私が四国に来るときには招いて伝道コンサートをするから来てくれと言ってくれましたので、また2年後に四国伝道旅行を行い、奉仕に来ることを約束してきました。ついでに牧田先生の奥様から、アンパンマン作者のやなせさんがクリスチャンで、故郷の香美市に対して素晴らしい証しをしていることや、アンパンマンのモデルがイエス様であるということも伺い、感動しました。
私たちの教会は主の導きで釜山の高麗派長老サミル教会のバックアップのもと、1985年4月から開拓伝道を開始しました。神学校出たての新米牧師による開拓伝道だったので、何もかも初めての経験で手探り状態からの伝道でした。ただ私の中にあったのは、主が故郷に教会を立てなさいと命じてくださった幻(ビジョン)を実現しようという使命感と、使徒行伝18章9〜10節の「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」という御言葉の約束でした。この二つに支えられて必死に伝道してきましたが、いつの間にか30年の歳月が流れました。そこでこの30年を大まかに振り返りたいと思います。
開拓伝道を始めてまず最初に目標として掲げて祈り求めたことが、一日も早く自前の教会堂を持った自立した教会になることでした。なぜならサミル教会に大きな経済的負担をかけながらの心苦しい伝道活動だったからです。この目標を掲げて一生懸命祈りながら伝道しましたが、幸いにも主がいろいろな伝道の道を開いてくださって、少しずつ救われる人が起こされて教会は成長し、何と7年目には奇跡的に自前の会堂を持つ自立教会になることができたのです。(その時の新会堂献堂の時の嬉しさは今でも忘れることができません)
そしてそれから15年の節目を迎えるまでは、教会の更なる成長を求めて、伝道活動と教会組織体の構築と信徒の弟子化に邁進していきました。セルグループ活動に取り組み、それが順調に更に続いて行くとばかり思っていた矢先の2000年の夏、私たちの教会にとんでもないことが起きてしまいました。それが教会の分裂でした。この分裂によって、それまでに約80名の受洗者が与えられてきた私たちの教会の成長の勢いは完全に止まり、教会員が半減してしまうという霊的試練に遭遇したのでした。
しかしこの分裂の痛みこそ、今から振り返ると、私たちの教会の新たな霊的成長と脱皮に欠かすことのできない主の訓練の始まりでした。牧師を筆頭として、全信徒の心の内面的変革による、真に健全な信仰を持つ弟子共同体への脱皮を求められた教会はエリヤハウスミニストリーに取り組み始めました。そして教会は変革への産みの苦しみを経験しながら徐々に霊的に脱皮し始め、教会員の癒しと変革、牧師家庭の癒しと変革等が起こされてきました。その間に長男のサムエルの献身と伝道師就任などの恵みも加えられて、今まで歩んできましたが、この間にも主は約50名の受洗者を起こして下さり、教会を維持し、守ってくださったのです。
こうして30周年を迎えた訳ですが、今年から主は私たちの教会に新しい時代を開くと約束してくださいました。最初の頃の成長の勢いに勝る大いなる収穫の恵みを与えてくださるとヨブ記42章10〜12節の御言葉の約束を示してくださいました。ですから愛する兄弟姉妹の皆さん。主の御言葉の約束を信じて、証しと伝道のための新しい聖霊の油注ぎを大胆に求めていきましょう。
「主(聖霊)の臨在の下に留まり続けよう」のスローガンを掲げて、新年をスタートしましたが、このスローガンを実践していくために必要な信仰とはどのようなものでしょうか。
十字架の愛を信じる信仰が私たちの信仰の原点であるということができますが、前回はその十字架の愛を知るためには、自分自身の罪深さを知らなければならないことを書きました。私たちは自分の人格の全面的な霊的堕落のひどさに気づくとき、このような罪の贖罪のためにイエス様が死んでくださった犠牲の愛に触れて感動し、信じることができます。先日「神の子」の映画の中でイエス様の惨たらしい十字架刑が映像化されているのを見ましたが、その映像を見て、私はイエス様の犠牲の愛の大きさに触れて感動し、改めてイエス様への感謝と信仰の思いが強められました。皆さんもこの信仰の原点から決して離れないで、いつも自分の罪深さを認識し、心の貧しい者(へりくだる者)となって、イエス様への感謝と信仰をかたくしていきましょう。
次に私たちの信仰の原点として持つべき信仰は、神様が「良い神様」だということを信じる信仰です。もしかして皆さんの中に正義と裁きの神様、怒る神様等の怖いイメージがあって、神様に対して距離感を感じたり、近寄りがたい神様とか、助けてくれない神様とか思っている人がいるなら、それらのイメージをすべて捨てましょう。マタイ7:11には「あなた方は悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなた方の父が、どうして、求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。」とあります。つまり天の父なる神様は私たちに必ず良いものを与えてくれる「良い神様」だということです。イエス様の命を犠牲にしてまで私たちの命を救おうとされた神様、どんな人でも悔い改めて信じれば救われるという「恵みの契約」を与えてくださった神様は、徹底的に優しく「良い親神様」なのです。この神様のイメージを心に刻んで信じましょう。私達が良い神様をかたく信じて、常に頼り、祈り求めることによって、臨在の主の下に留まり続けることができ、良いものをたくさんいただくことができるのです。
人は自分の潜在意識に埋め込まれたイメージによって支配され生きています。ですからもし自分の育った環境の中で、両親との関係などが原因で親のイメージが悪くなってしまった人は、神様が良い神様だということを信じることができない人になってしまいます。なぜなら悪い親のイメージが神様のイメージの土台となってしまうからです。そのような人はカウンセリングで祈りのミニストリーを受けて、自分の心の中の親への悪いイメージを完全にとってもらいましょう。そして良い親神様のイメージを埋め込んでいきましょう。私はこのことを徹底して今まで行ってきましたが、そのお陰で、神様への良いイメージが私を支配し、祈ることがとても楽しいものになりました。愛する皆さんも「良い神様」のイメージを信仰の原点にしっかり据えて、自分の弱さの中から、臨在の主を仰いで常に祈る者になりましょう。
「主(聖霊)の臨在の下に留まり続けよう」のスローガンを掲げて、新年をスタートしましたが、今年は皆さんとこのスローガンを共有して共に前進していきたいと思います。そこでこのスローガンを実践していくために、私の体験を交えて少し書きたいと思います。
30歳の時、ちいろばの本を読んでいた時に、自分が犯した堕胎による殺人の罪に気づかされ、自分の罪を深く示された私は、心が真っ暗になり、地獄の裁きへの不安に満たされました。その恐怖から一刻も早く救われたいと思って、私はM牧師を訪ねましたが、そこで素晴らしい十字架による罪の完全な贖罪という救いの道を教えられ、信じて救われました。そしてこの素晴らしいイエス様の愛に感動し、お答えしたいと思って人生を主に捧げました。するとその時に私は聖霊のバプテスマを受け、自分の中に聖霊様が住んでくださったという体験をし、それ以来私の信仰は聖霊様と共に歩むという臨在信仰になりました。いつでも聖霊様にお頼りし、聖霊様の助けによってことを行うようになりました。その結果、自分の生活の中に主の御業が起こり、周りにいた友人や知人たちが次々救われ、伝道者への道が開かれてきたのです。ですから「主の臨在の下に留まり続けよう」というスローガンは、実は私にとって何も目新しいものではありません。私の信仰の原点なのです。
今年、主は改めて原点(初心)に戻って、臨在信仰のあり方を点検し、より強く臨在の主の愛と力に依存して歩みなさいと励ましてくださいました。黙示録2章では「悔い改めて、初めの行いをしなさい」と書いていますが、私たちの信仰が生ぬるくなったり、不熱心になる原因の一つが「初めの愛から離れてしまった」ことだと聖書は言っています。ですからもし皆さんの中に初めの愛と行いから離れてしまってる人がいるならば、悔い改めて立ち返りましょう。「イエス様が私のような罪人のために身代わりに死んでくださった」という愛と救いの原点に立ち返って、イエス様に心から賛美と感謝を捧げ、イエス様の愛に答えて、自分の生涯を主に捧げてお頼りしていく者になりましょう。そうすれば主は皆さんにも聖霊の臨在と満たしを与えて下さり、確実に導いて下さるのです。
もし皆さんの中にそのような原点がないのなら、これからしっかり作り上げていきましょう。健全な臨在信仰の原点は「自分の罪深さ」をどれだけ知って砕かれているかということに深く関係します。山上の説教の冒頭の御言葉は「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」と言っていますが、自分の罪深さを知らされ、心が貧しくされた者は幸いなのです。ただその幸いさはどれだけ深く自分の罪深さを知っているかにかかっています。ですから聖霊様に自分の自己中心性、自己保身性、高慢性、自己義認性、貪欲性などを教えていただき、このような罪深さのためにイエス様が本当に大きな命の代価を払ってくださったという十字架の愛の原点にしっかりと立ち返って歩みましょう。
2015年4月に教会創立30周年の節目を迎えることになりますが、その記念すべき時に向かって、今、私は、さらに霊的脱皮を促されているように思います。
というのは、多くの偉大な聖徒たち(モーセやダビデ)が40年間主に仕える生涯を与えられて天に帰りましたが、そのような観点からいくと、もしかしたら私も健康が与えられるなら、後10年間主に仕えて、合計40年間働いて天に帰ることが許されるかも知れないと思い始めています。以前は、何となく70歳まで現役で働いて引退できたらそれでいいかなと考えていましたが、この頃は75歳まで現役で働かされるかも知れないと思うようになりました。それで、もしそれが許されるなら、最後の10年間を生涯でもっとも実りある祝福された10年にしていただきたいと強く思うようになりました。そこで、祝福された10年間にするために、私は今何をしたらいいのかと考えるようになってきたのです。
そのような思いの中で、最近「主の臨在をもてなす」という本を読んだのですが、その本の中で言っていることにとても大きな霊的刺激を受けました。そして私がこれからの生涯が祝福されるために、第一に求めるべきことが示された思いがしました。それが「徹底して主の臨在の下で生きる」ということです。言い換えれば聖霊の満たしと油注ぎの中ですべてのことを行うということですが、今までよりももっと主との交わりのレベルを引き上げ、常に主の愛と力に満たされ、神と人に仕える生涯を全うすることができるならば、生涯の最後のステージを祝福の内に終えることができると思わされたのです。
私は主との交わりのレベルを、どのように引き上げていけばいいかをこれから模索して、祈りの格闘をしていきたいと思っていますが、皆さんは新しい年を迎えて、何を主に求めていきたいと思っているでしょうか。今日までの断食祈祷の中で主がいろいろな事を教えさとしてくださったのですが、その中で以下の新年度の年間聖句を与えてくださいました。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 箴言3:5〜6
これが主に示された御言葉ですが、どうか皆さんもこの御言葉の命令に従って、徹底して主に拠り頼んでいこうではありませんか。自分の浅はかな悟りや考えを捨てて、どんなときにも主の臨在を認め、仰ぎ見て、内なる聖霊の導きの声に聞き従って歩んでいきましょう。そうすれば私たちの道は大丈夫だと主は約束しておられるのです。