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茜谷研修会 3月4日(水)〜3月6日(金) |
研修先は足摺岬、四万川、高知巡り |
1日目 |
5時30分に起床して身支度を調えて
庄内空港へと車で向かう。
集合時間は6時30分集合時間だが楽々と着いた。
茜谷の事務局と会員一人が先に着いていた。
総勢8人の行動が始まった。
まずは、庄内空港から羽田へと飛行し
それぞれに朝食を頂く。
んんっ
朝からビールを美味しそうに飲んでる方が数名
小生は少々風邪ぎみであるから
ここは我慢しとこう(;゚д゚)
羽田から乗り継ぎで愛媛県松山市の
松山空港を目指す。
ここからは貸し切りバスでの旅となる。
おおよそ40キロ走行して内子町へ到着して昼食を頂く
ここでも皆ビールを美味しそうに飲んでる
程良く気持ちがほぐれたところで
まぐろのタタキをメインに定食を頂いた。
だが8名の中に一人が青系魚が
食べられない方がいる。
食べると全身湿疹に襲われるそうだ。
これは好き嫌いの問題ではない
人命に関わってくる深刻な問題である。
食事の後は近所の内子座を見学する。
この会はあくまでも研修会である(*^_^*)
舞台の下には色々な仕掛けが施されていて
舞台を回転する設備があった。
相当に歴史(大正4年)のある舞台であるが
素晴らしい仕掛けであった。
右から左へと文字が書かれている。(いかに古いかが伺い知れる)
舞台では念入りに打合せを行っている。
聞いてみたら地元の学生の卒業式を
内子座で行うのだそうだ。
舞台の下は奈落と呼ぶそうだ(;゚д゚)
奈落の内部写真、石を積み上げ頑丈に作っていた。
昔は人力で舞台を廻していた。
近所には八朔であろうか見事に撓わになっている。
誰も採りはしないのだろうか?
少し心配をしてみる
だけど我が山形県の庄内では
柿があるが
柿なんか誰も黙って盗ってまでも
失敬する人は皆無である。
それと同じ感覚なのだろうか・・・・。
次回の投稿は内子町の高昌寺です。
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平成27年3月4日(水)
足摺岬温泉
四国最南端に建つ足摺国際ホテルロビーから
眼下に望む太平洋は波は穏やかで
行き交う大型船がゆったりと航行しているようだった。
当ホテルの広告を観ると
部屋の窓から広がる大自然、
黒潮躍る足摺の地で獲れた
新鮮な海の幸がもてなしてくれる。
夕食は海の幸を大皿に豪快に盛り込んだ
皿鉢(さわち)会席が楽しめる。
なかでも土佐名物、
絶品『鰹のタタキ』には独自の
タレを使用しており、
こだわりがうかがえる。
満天の星空の下で、のんびりと
露天風呂もまた格別。とあった。
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新鮮魚介を豪快な皿鉢料理で味会う |
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平成27年3月5日(木)
足摺岬散策
茜谷研修会二日目
足摺国際ホテルにて
十分に鋭気を養い
次の観光地へと移動した。
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看板には足摺七不思議
弘法大師の爪書き石
この岩肌には大師が爪で
「南無阿弥陀佛」と六字の
各号を彫っている本当かな〜
亀呼場
弘法大師がここから亀を呼び
眼下の不動岩に渡り
身体安全、海上安全の
祈祷をされたといわれ、
この場所から亀を呼ぶと
その亀が浮かび上がってきたと
いわれています。
断崖絶壁の下には岩が飛び出ているように見える。
真っ白な灯台は手入れが良いようだ
デザインは「ロケット形」灯台と名付けられている。
足摺岬灯台の撮影ポイントにて
黒潮の表玄関と言われている
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平成27年3月5日(木)
四国霊場第三十八番
金剛福寺
茜谷研修会二日目
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看板を観ると
足摺岬の突端に(亀呼岩)あり大師、
亀を呼ぶと不動岩に渡り修行せりと
伝えられる(七不思議の一つ)
木造の化石
次回は四万十川遊覧船へと移動です。
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平成27年3月5日(木)
四万十川遊覧船
茜谷研修会二日目
遊覧船で四万十川の案内を聞きながら
ビールを飲み昼食を頂く
案内人は山形県の最上川遊覧船に
研修に来たそうだ。
我が県はお爺さんの師匠だのぉと言うと
なぁんも学ぶところはなかったけのぉと
負け惜しみに言う
なんと可愛げのないじじぃじゃった。
だがテンポ良く案内する様は
ベテランじゃのぉ〜と感心する
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一度洪水が発生すると橋の上まですっぽりと達するそうだ
橋は流されないような設計をしているそうだ。
全体に丸みを付けて水の抵抗を
和らげ欄干は取り付けない
別の団体さんが向こうの遊覧船に乗っている。
すれ違いに手を振ると向こうの団体も手を振ってくれた。
案内人いわく
向こうの団体さんはこちらと違って気品があり
お金持ちが多そうじゃのぉだって・・・。
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平成27年3月5日(木)
高知城
茜谷研修会二日目
江戸時代に土佐藩の藩庁が置かれた城である。
江戸時代に建造された天守や本丸御殿、
追手門等が現存し、
城跡は国の史跡に指定されている。
日本100名城に選定されている城である。
築城主は大河ドラマにも
登場した山内一豊であります。
尚、高知城は本丸の建物が
完全に残る唯一の城として知られている。
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手前が本丸御殿で築城された当初、
二の丸御殿ができるまで、
山内一豊と見性院が暮していた。
追手門の入口は枡形の
巨大な石垣で囲まれていて、
敵を3方から攻撃できるようになっている。
江戸時代からの現存であり、
追手門と天守閣ともに現存で、
1枚の写真に収めることの
出来る唯一の城であるそうだ。
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平成27年3月5日(木)
はりまや橋
高知市のHPより
「♪土佐の高知のはりまや橋で,
坊さんかんざし買うを見た」と
よさこい節のフレーズにもなり,
純信とお馬の恋物語でも
知られているはりまや橋。
江戸時代に,堀川を挟んで商売を行っていた
「播磨屋」と「櫃屋」が,両者の往来のため私設の橋を
架けたことが「はりまや橋」の由来といわれています。
その後,何度か橋は架けかえられ,
堀川も埋め立てられましたが,
現在は,はりまや橋公園として整備され,
川のせせらぎを再現。
昔のはりまや橋も復元し,
純信・お馬のモニュメントも設置されています。
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純信・お馬のモニュメント
高知市内の繁華街市の職員だろうか道案内をしていた。
居酒屋へと足取りも軽く行動する
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平成27年3月6日(金)
坂本竜馬
茜谷研修会三日目
坂本竜馬記念館を見学
土佐郷士株を持つ裕福な商家に生まれ 、
脱藩した後は志士として活動し、
貿易会社と政治組織を兼ねた
亀山社中(後の海援隊)を結成した。
薩長同盟の斡旋、
大政奉還の成立に尽力するなど
倒幕および明治維新に影響を与えた。
大政奉還成立の1ヶ月後に
近江屋事件で暗殺された。
1891年(明治24年)4月8日、
正四位を追贈される。
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いつ襲われても不思議でない時代であったから
懐にはいつも拳銃を忍ばせていた。
1867年12月10日(満31歳没)
リアルな坂本竜馬像
桜が満開であった。花びらが全部下を向いている。
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平成27年3月6日(金)
桂浜散策
龍頭岬には、太平洋を眺めるように
坂本龍馬像が建っている
大町桂月の碑や龍馬彰勲碑
椿の小径などの遊歩道も整備されている。
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桂浜は突然の高波が押し寄せるために
遊泳禁止になっている。
海では白エビ漁が盛んに行われていた。
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平成27年3月6日(金)
祖谷の蔓橋
かずら橋は、
サルナシ(しらくちかずら)などの
葛類を使って架けられた
原始的な吊り橋であります。
ここの橋は起源はその昔、
弘法大師が祖谷に来たとき困っている
村民のために架けたとか、
あるいは平家の落人がこの地に潜み、
追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛を
使って架設したとの伝説もあるが定かではない。
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安全のために中はワイヤーで結ばれている。
琵琶の滝
琵琶の滝の由来は
源氏の戦いに屋島で敗れた
平国盛が安徳天皇を奉じ粗谷に潜入し、
この地に土着したという。
この滝で落人達が昔日の古都の生活を
しのびながら滝の下で琵琶をかなで
つれづれを慰め合ったと伝えられている。
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