山の自然を守るため


4. 山形県八幡町 南麓開発スキー場計画
     ゴンドラ 全長3,500m
   その1



 鳥海山の南麓一帯は山岳道路ブルーラインがあり日本海に近い西面とは違い、変化に富んだ山野、渓谷などがあり庄内平野に連なる広大な台地に恵まれている。
北東斜面の祓川コースと共に、湯の台コースも春、夏スキーには最適な残雪が豊富にあり、やはりここにもスキー場計画という開発の手がのばされた。しかも今度のスキー場は西武鉄道グループの国土計画(現、コクド)によるリゾートホテルやゴルフ場とセットとなった大規模リゾート計画の中核でもあった。

 スキー場計画から13年目にしての断念に至る経緯をふり返ってみると、地道な反対運動を繰り広げた地元の自然保護活動、それに対して呼応した「鳥海山の自然を守って!」という全国からの7万人を越える反対署名、またスキー場問題を大きく動かすことになった、計画予定地を悠然と飛翔した4羽のイヌワシの確認が大きな力となったことがわかる。


1960(S35)  故高松の宮が鳥海山でスキー。その時に滑るコースのブナ林を無謀にも伐採する。このコースは後に春スキーの際に「宮様コース」と呼ばれる。
1983(S58) 運輸省の「家族旅行村」施設計画が着工される。
1984(S59) 八幡町新総合計画に「鳥海山開発推進構想」が盛り込まれ、当時の遠田町長は地域振興策として「スキー場計画」を打ち出す。
1985(S60) 10月、スキー場の事業主体を探していた町長は国土計画に事業推進を依頼。それに対して「前向きな回答」が寄せられる。
1986(S61) 10月、酒田市内に於いて町長より「鳥海山の自然を守る会」に対して八幡スキー場計画の概要の説明がある。事業主体は伏せた上で、「宮様コース」に索道をつけて再整備したい、その為に気象調査の機器を設置したとの説明がある。
1987(S62) 1月、ついに大規模な国際的通年型リゾート基地構想が明らかになる。
西武鉄道グループの「国土計画」を主体として、総額27億円規模でのスキー場、ホテル、ゴルフ場、テニスコート、山小屋などのレジャー施設を持つもので、スキー場とゴルフ場がその中心だった。
   1.通称宮様コースを再整備し、大台野から標高1200m近くまで全
     長3510mのゴンドラを設置する。
   2.泥沢地区に18ホール、110ヘクタール規模のゴルフ場を作る。

家族旅行村の建設に対して「大自然での活動の場を図り、地域振興に貢献」として期待感を持って静観していた「鳥海山の自然を守る会」は「国土計画」という大規模資本の入った観光開発まで発展しつつあるスキー場計画には下記の問題点をあげて反対を表明することとなった。           「スキー場計画への見解」1987年11月9日
  1. 日本海に面し、気象条件の厳しい鳥海山の冬季間は厳しい寒さと風雪に見舞わ
     れる。そのために安易に登ってくるスキー客の安全確保は困難である。
  2. 鳥海山の管理方針では1200m以下でも地表を裸地化する事は認めないとあり
     索道建設により土砂流出などの新たな自然破壊を生むことになる。また、南東斜
     面の少なくなったブナ林を更に切り開くことになる。
  3. ゴンドラ計画は、自然破壊の危険性の高さなどからS53年に廃案となった「北東
     斜面スキー場計画」を秋田県側で再燃させる可能性もあり、山形、秋田両県での
     鳥海山の開発競争が始まる危険性がある。


スキー場反対の立て看板


     スキー場計画を知った鳥海山の仲間たちが共通して思ったこと
平坦なスロープの多い「宮様コース」や冬季間の厳しい気象条件下でのスキー場計画に、スキー場としての価値が高くないと見る鳥海山を知る関係者たちは、当初からこの計画には続きがあるんではないかという思いが消えなかった。
なぜなら既成事実として一旦標高1200mまで作っておけば、春先には必ずもっと上まで行きたくなる。この湯の台コースの春スキーは、1200mより上の斜面である滝の小屋から河原宿、さらには山頂直下の外輪山からの滑降が最大の楽しい所であり、将来的にはゴンドラやリフトをもっと先に延ばせると思っているんじゃないだろうかと…



1987(S62) 2月に林野庁の「ヒューマン.グリーンプラン」施行。
6月「リゾート法」施行。 県内では鳥海山を含む北庄内など4地域が名乗りを上げたが、蔵王.月山周辺に決定する。
1989(H01) 7月八幡町中央公民館にて町より守る会に対して「鳥海南麓森林総合利用整備計画」の概要を突如示される。
 鳥海山の南麓開発を「野外教育の森」「体験とふれあいの森」「教育交流の森」そして問題の「野外スポーツの森」の4つのゾーンに分けてある。
「野外スポーツの森」だけが民間資本のスキー場観光開発でその他3地区の森構想とは全く性質を異にしていた。
 計画発表前に既に完成させていた「環境中間報告書(中間アセス)」では、たとえば土砂流出のデータは最も雨が少ない月のデータを元に計算されたり、肝心の冬季間の気象データが全く記載されていない等というズサンさであり「スキー場ありき」のデータであった。
 さらには事業スケジュール(案)では測量、買収、開発許可や保安林解除での国や県との事前協議まで記載されるという、まさに急ピッチで事態は動いていたのである。
11月、無謀な開発計画が庄内地域住民にも十分に知らされないままにこの計画が公になるときには、もう大型重機が鳥海山に入ってしまう程の危機感から、守る会は八幡町に対して、「スキー場反対の意見書」を提出。
 広く住民にアピールするために、署名活動とチラシ配布を開始する。気象条件、鳥海山特有の「矮小ブナ林」(奇形ブナ林)保護、管理方針違反、大手の乱開発などによる反対を訴えていくことになった。
12月、八幡スキー場整備促進期成同盟会設立。建設機運の盛り上げをはかる。
1990(H02) 1月、八幡町に第一次反対署名簿 約2,000名分提出。
5月、八幡町に第二次反対署名簿 約3,300名分提出。
6月、「夕張岳」「森吉山」のスキー場反対運動の3組織が合同で国土計画に要望書提出。また県知事にも同様に提出する。
7月、八幡町に第三次反対署名簿 5,608名分提出。
日本自然保護協会の理事が鳥海山予定地視察。
9月、日本山岳会「自然保護部会」に反対運動への理解を要請。
10月、八幡町に第四次反対署名簿 7,764名分提出。
日本山岳会自然保護委員会が鳥海山現地調査に来る。
朝日新聞社の「本多勝一氏」が鳥海山の取材に訪れる。「朝日ジャーナル」でスキー場問題を掲載する。
11月、県の自然保護課との話し合い。 地元のコンセンサスが大事と。
12月、八幡町長との話し合い。 「見切り発車はしない」
1991(H03) 2月、日本山岳会自然保護委員会が八幡町長に直接「開発方法の変更」の要望書を提出。同じ要望書は国土計画はじめ13カ所に提出された。
3月、八幡町に第五次反対署名簿 11,958名分提出。
5月、守る会の見解を聞く八幡町民の会に町民150名参加。
5月     国土計画が商号登記を行う!
           「八幡鳥海山スキー場」
           「八幡鳥海山ゴルフ場」
           「八幡鳥海山プリンスホテル」
7月、八幡町に第六次反対署名簿 約6,000名分提出
この間、八幡町促進同盟会、町議会、地区住民、営林署等との懇談などが行われる。
1992(H04) 6月、東京にて全国自然保護集会が開かれ、鳥海山問題を訴える。
6月、八幡町に第七次反対署名簿 3,870名分提出。計40,410名。
守る会総会において「イヌワシの生息」が語られる。
8月、八幡町に第八次反対署名簿 2,398名分提出
8月、東京にて「コクドの乱開発に反対する全国集会」
 都心に「この美しい鳥海山にコクドのスキー場はいらない」の横断幕。
ゴルフ場問題で遊佐町(日向川、荒瀬川漁業組合)汚染懸念を表明。
10月、生活協同組合連合会がJA遊佐米の提携で遊佐町を訪れる。
 ゴルフ場建設での米の汚染問題から開発に危惧の念を表明。
10月、日本山岳会自然保護委員会が鳥海山を視察。
1993(H05) 3月、八幡町に第九次反対署名簿提出。累計50,000名となる。
4月、八幡町は「鳥海観光開発課」を設置し、環境アセスや県の自然環境保全審議会に向けて動きが本格化する。
6月、守る会定例総会。新庄市在住の写真家、今井正氏より「イヌワシに魅せられて」の記念講演をいただく。
6月、八幡町のスキー場促進期成同盟会総会の席上で町当局もイヌワシの生息を確認していることを報告。
9月、「東北自然保護の集い」が秋田で開催され、満場一致で八幡スキー場白紙撤回を求める決議をコクドおよび関係当局に送付。
9月、日本山岳会の「自然保護委員会全国集会」が尾瀬で開かれ、鳥海山のイヌワシ問題も提起され、今秋からの調査を決定する。
1993年10月14日 鶴間池周辺にてイヌワシ4羽
       現地調査団の頭上で悠然と飛翔を確認!!
                   

                 (その2は、イヌワシ発見からスキー場計画断念まで)
                          



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