山の話題あれこれ

「ポラーノ広場」店主の独り言 集


「ポラーノ広場」のお店と店主の紹介

「ポラーノ広場」店主の独り言 2004年はこちらへ


独り言 2002年 独り言 2003年
フライフィッシングとの出会い 2002.12.08
鳥海山頂への道−2 2002.10.23 池昭マップへの思い 2003.12.05
夏の鳥海山頂への道 2002.08.20 山でのイエローカード 2003.11.26
山の表情 2002.07.22 トキの死 2003.10.23
野生動物意識調査 2002.07.11 生態系が… 2003.10.16
山で想う−吹浦口 2002.06.27 秋の七草 2003.09.21
山の自然からの警告 2002.06.06 鳥海の山野草 2003.08.17
山の楽しさは天候次第 2002.05.12 冷夏の電力事情 2003.07.23
山のシーズンが始まる 2002.04.22 川を想う 2003.07.18
妖しげなカタクリの花 2002.04.09 山のゴミについて 2003.06.18
鳥海のサルとの遭遇記 2002.03.30 シラネアオイ 2003.06.01
フキノトウ(ばんけ)の緑 2002.03.23 春を感じる時 2003.04.01
草花の呼び名を考える 2002.03.13 雪の上の足跡 2003.02.24
立山のライチョウを憂う 2002.02.26 氷瀑の玉簾の滝 2003.02.07
春の山菜取りをまえに 2002.02.20 大山の新酒祭 2003.01.26
吹浦の鮭孵化場にて 2002.02.03 白鳥の餌づけで思うこと 2003.01.13




2003.12.05
 鳥海山地図のバイブルとして長年、池昭マップと呼ばれ親しまれてきた昭文社の山と高原地図の2003年版から調査執筆が池田昭二氏から斎藤政広氏になった。山岳会の重鎮、自然保護活動の中心として池田昭二氏は鳥海山になくてはならぬ存在なので、さびしい限りである。それとともに、今まで鳥海山単独だったのが月山と併記になった。一冊で二つの山が見られてラッキーと思う人もいるだろうが、私はおもしろくない。
 付記. 池田昭二さんから引き継いで鳥海山の地図を執筆されている斎藤政広さんは、ここ酒田市に在住しプロの写真家として活躍されています。「鳥海山の自然を守る会」の自然観察会でも何度かお会いしたことがあり、いろいろと撮影のアドバイスも頂いたことがあります。
 鳥海山に関連した写真集なども数多くあり、
   『鳥海山・花と生きものたちの森』 『鳥海山ブナの森の物語』
   『鳥海山で会える花』 『ブナの声』 などを出版されています。
また、『岳人』11月号には「晩秋のブナ」のカラーグラフなども掲載されるなど、多方面にわたり活躍中です。



2003.11.26
 “わたし” “いま、やま” “すごくいいよ”
それはわかる。私だっていいから来たのだ。わっせわっせと気分よく登ってきて、ほっとしたところにひびきわたる携帯電話での山岳観光現地生中継放送は、なんなんだ。他には帰りの買い物の打ち合わせをしている人も見た。不慮の事故では携帯電話の果たす役割が大変大きくなっている。反面、安易に救助を要請して、遅いと不平を漏らす登山者もいるらしい。『自然の雰囲気を楽しんでいる方々に不快な思いをさせる恐れがありますので登山中は携帯電話の使用をご遠慮下さい』なんて、立て札が立つようになるほどこの国はバカではないと思うが。
 ガンガンとラジオを鳴らしながらの登山者も、うっとうしい。本人は熊除けと考えているのか、それとも、静かなのでサービスにBGMを流しているのだろうか。
 月山の弥陀ヶ原は、駐車場からすぐなので、シーズンになると白装束の信仰登山者や一般登山者の他に、温泉旅行方々見物的団体や買い物がてら的雰囲気の人達などの観光客も多く訪れ、木道はにぎやかになります。そんな人達の中にいるのが、みんなが行くのでしょうがなくついて来たという感じのくわえタバコのおじさんである。そして地塘にはスイガラが浮いていた。
 鳥海山の山岳道ブルーラインの道沿いに咲いているマーガレットはなんだ。秋田県側のある区間である。はじめて見た時は、新種の山野草だと思った。そのうち、山岳道の法面をどぎつく派手なシバザクラでおおっても恥じない人が出てくるかもしれない。


2003.10.23
 2003年10月10日、日本産最後のトキ死ぬ。
学名 Nipponia nipponの名で、日本を代表する鳥であった。
ニホンカワウソも風前の灯である。もう絶滅している可能性もある。以前、四国の南西部で足跡や糞が見つかった。その時に、カワウソ保護区を設立したという話は聞いたことがない。逆に情報が流れて、スクープ目的のカメラマン達が押しかけて自然環境が破壊された。
沖縄で野生化したネコによる希少動物(絶滅危惧種のヤンバルクイナ、キノボリトカゲ、トゲネズミ、カラスバト 他)の食害があり、駆除しようとしたら動物愛護団体から『ネコを殺さないで』と抗議されたことがあった。ある島では、そんな世論に気を使い、捕獲したノネコに不妊手術を施して再び放すということをした。
野生動物保護と動物愛護がごちゃまぜになっているようだ。動物愛護センターという優しい名前の施設では毎日数多くのイヌ、ネコが殺されている。
絶滅の境界線上にいる動物は、悲しくなるほど多くいる。海岸や汀を埋めたてたり、ダムや道路の工事は反対があっても、ドッカンドッカンやるのに、生態系の自然環境を守ろうとする動きはほとんどない。場合によっては、絶滅危惧種の存在を隠して、開発しようとする。
そんな中、まったく発見されなくて絶滅したとされたオガサワラアブラコウモリの目撃情報が多数よせられ、生存している可能性が出てきたという。幻のオガサワラアブラコウモリ発見。中ぐらいのよかったね!だった。コウモリって、夜こそこそ飛び回り、吸血鬼の子分みたいで印象悪いもんな。でも、日本の哺乳類の絶滅種が5種から4種になって、よかった。
今、佐渡のトキ保護センターでは39羽の中国産トキを飼育していて、野生に戻す計画があるらしい。中国産トキといわれると、スーパーに買い物に行き中国産ネギを見かけたかんじだ。学名をChinia chinaとでも呼ばなくてはならないような錯覚になる。
二風谷ダム、長良川河口堰、諫早湾干拓等の数多くの犠牲で、ようやくブルドーザー型公共事業が失速し始めた。
日本産トキの死で、何かが変わればよいのだが。まあ、中国産でもいいや、と何も学ばなかったら、第2、第3のトキが続々と出てくる。


2003.10.16
 10月5日、鳥海山 初冠雪。
 7日、最上川河口に白鳥飛来。
 どちらも例年より1週間〜10日早いらしく、今年の冬は厳しいという声がある。林道を散策して見かけたカマキリの卵が笹竹の上についていた。雪の多い年は高いところにつけるという伝承がある。いっぱい予算を使っている気象庁でも、ことごとく長期予報をはずしているのに、どうしてカマキリにはわかるのだろう。

 冷夏、長雨で、栗やきのこの山の幸は、全然だめである。ひもじいらしく里での熊の目撃が多い。オリに捕らえられ鉄格子に噛みつき口を血だらけにしている姿や、猟友会が射殺してその前でポーズを取っているニュースを見ると、なんとかならないかなと思う。
今年、あざらしのタマちゃんは人気者だった。でも、どっかの養魚場に入り込んで大騒動、定置網を壊して被害、なんてなっても、カワイイから許そうと、なるだろうか。私には、あのどてっとした姿が、かわいいとは思えないが。おしよせたボラの大群は壮観ですばらしいが、襲って捕食するウ達はひどいという声もあった。
“熊が出た” “さあ、殺せ” で、いいのだろうか。熊などの大型獣がきちんと生きている自然環境では、他の生物もしっかりと生きていける。山で、森で、林で、我々を取り巻く生態系の中で起きている何かを、声無き者達が、身をもって伝えようとしているように思う。
 もっとも、今の日本の人間達が日々起こしている悲惨な事件を知ったら、どんな動物でも山に逃げ帰るだろう。


2003.09.21
 気象庁の、梅雨明けしたと思われる、梅雨明けしたらしい、したんじゃないか、なんてアバウトな宣言の後、ずっと冷夏で梅雨が続いた。そして、残暑とともに秋が来た。
突然ですが、秋の七草を知っていますか。山上憶良が万葉集の中で “はぎのはなおばなくずばななでしこのはなおみなえしまたふじばかまあさがおのはな” と詠んでいる。あさがおのはなはキキョウであるというのが定説となっているので、整理すると “ハギ ススキ クズ ナデシコ オミナエシ フジバカマ キキョウ” となる。
 
 私は、この花を見ないと秋らしくないと思っているのが、ミズヒキ、ツリフネソウ、リンドウ、トリカブト。これに、キク、コスモス、ススキを入れて、独断と偏見による私の秋の七草にしている。他には、タデ、オシロイバナ、シュウカイドウ等を思いつく。
春の七草は語呂や七草がゆとして、きちっと確立されているが、秋は、私の秋の七草ということで、それぞれに遊んでもいいのではないかと思う。 


トリカブト ミズヒキ



2003.08.17
 鳥海山麓の道の駅、農産物直売所、山野草情報。クルマユリ1株1500円、ネジバナ4〜5株500円でした(7/31)。
都市近郊の自然観察会で希少種の植物を見つけ参加者に説明すると、数日後訪れたときには跡形もなくなっているそうです。ある観察会では、小学校低学年の子供たちがカブトムシやクワガタを見つけると 『これはいくら?』 『これとこれではどっちの値段が高い?』と聞いてくる、と指導員が嘆いていました。

 遊佐町白井新田の高瀬峡は長坂コース、万助コースの起点のほか、大滝に至る散策がいいかんじのところです。十数年前は春に訪れると、シュンランがいたるところに咲いていましたが、この数年見かけていません。
鳥海山のお花畑の中で、売られている山野草のことを考えると、どっかになんかがひっかかって、すっきりしない気分になる。



2003.07.23
 今のところ冷夏です。原発停止で、猛暑の夏は大変な事になるぞの電力問題も、今のところ、声が小さくなっています。なにがなんでも原子力発電推進派の人たちは、狼が来るぞ少年みたいです。
道の駅やパーキングエリアでズラーッと並ぶ自販機。田舎道に突然光り輝く自販機。店内で売っているにも関わらず外にもある自販機。 10時開店、6時閉店が一般的だった頃、名前のように7時から11時まで営業のコンビニができ、なんていいもんだと思った。今は24時間営業が当たり前。スーパーストアまで、追従している。
衛星から地球を見ると、日本列島がひときわ明るく輝いて、不夜城化しているという。 かつてのオイルショックの時は、街のネオンの早期消灯、TVの深夜放送の自粛などをしたものだ。 今は、蛇口を開けっ放しで危機をあおり、原発は絶対必要だとこじつけているようにしか思えない。国民をあげて、本気で省エネをやったら、逆に電力が余るんじゃないかとも思う。
こんなんで、危機を煽り、責任を押しつける事で免罪符を得るやり方って、河川改修、ダム開発なんかとどっか同じような気がする。


2003.07.18
 地域住民の意見を取り入れた近自然工法による多自然型河川つくり、なんてハハァーとひれ伏し、すぐにでも豊かな川がよみがえるような気にさせられてしまうが、現実は、魚道の無い堰堤で川は寸断され、護岸工事のため水面には近づけなくなっている。
以前、川岸で風に飛ばされた子どもの帽子をひろおうと棒を持って川に近ずいた知人が、泥をかぶっていたコンクリートの護岸で滑り川に落ちてしまった。すると、水際で浅いが傾斜のついたコンクリートの岸はつかまるところがなく、なかなかあがれなかった事がある。
川は危ないから近づいてはいけません、と教えざるをえない状況で育った子どもたちが、大人になったとき“豊かな自然を、取り戻そう!”なんて思うのだろうか。抗菌グッズに囲まれ、泥がつくと汚いとしかられる。花粉症、SARSなどで、自然とは危険で恐いものだと思いこまなければよいのだが。
話は飛ぶが、最近相撲取りのしこ名に‥‥‥‥川とつく力士がいなくなった事に気がつきませんか。川がダムなどで寸断され途切れているので、縁起が悪いという事らしいですよ。国土交通省の川をいじくっている方々、あなた方は伝統あるしこ名にも影響をおよぼしているんです。



2003.06.18
 今の時季は雪形がアクセントになり奥行きのある素敵な姿の鳥海山を見せています。山開きは7月1日ですが、登山や山菜取りの人たちで、にぎやかです。
先日、蔵王で山開きを前にボランティアでごみ拾いをしたところ、全然見あたらず途中から自然観察会に変更したとのニュースがあり、いいぞと思った。“来た時よりも美しく!”をスローガンにした啓蒙活動で、登山者のマナーはかなりよくなった。が、である。一部の山菜取りの人たちはひどい。ところかまわず車を止める。車座になって食事をした後には弁当の空き箱を残していく。林や薮の中は、空き缶、ペットボトルが散乱している。山の恵みをいただき、1日楽しませてもらいありがとうと豊かな自然に感謝してくるべきなのに、この現状を見ると、恥知らずな盗人としか思えない。今年も、山菜取りの遭難事故が多発している。自然への謙虚、礼節、思いやりをどこかに忘れているような気がする。




2003.06.01
 5月18日、今年も鳥海山で、シラネアオイと逢ってきました。チングルマの群落、ニッコウキスゲのお花畑などと量で圧倒されて感動することが多いが、シラネアオイの気品と優雅さは一輪と出会っただけで幸せになれる。
以前、ふもとの道の駅でシラネアオイが1株千円で売られていた。販売されている山菜には季節や土地柄が感じられてそれなりにおもしろいが、その経歴がどうであれ野菜と混じって売られている山野草の姿は寂しかった。
来年、あのシラネアオイが盗掘されずに、また逢えることを祈るばかりである。



2003.04.01
 ようやく、当地も春の気配です。郊外では、フキノトウも開いて、まだ枯れ草色のなか、そこだけ明るい緑色で、しっかり春を主張しています。
ところで、皆さんはどんなときに春を感じますか? 雪が消える、陽が長くなる、白鳥の北帰行が始まる。野山では、ネコヤナギ、マンサクを見かける。林床では、イチゲ、カタクリ等の花を見る、などでしょうか。
その他、思いつくまま述べると、話題では桜前線、花粉症、卒業式、入学式、プロ野球キャンプ情報、選抜高校野球。春一番、なごり雪などの、春定番の歌が流れたとき。渓流魚釣り解禁。スタッドレスタイヤを普通タイヤに交換。歩いていて、沈丁花の香りがしたとき。彼岸の墓参り。野原で、ツクシを見、ヒバリの鳴き声を聞く。冬物をしまう。鮭の稚魚の放流が始まる。小アミが採れ、食卓に上がる。吹雪のなか耐えた女生徒の生足がまぶしく見えたとき(春情と言いますから)。
それぞれに、いろんな春を探してみましょう。



2003.02.24
 今、雪の上の動物の足跡がおもしろいです。いつもは森や林にとけ込み、気配を消しているのだが積雪期はそうはいかない。動物だって好き好んで断崖絶壁や危険なところには棲みたくはないだろうし、歩き易いところを移動した方が楽だと思うのか、雪がつもり車が入れなくなった林道を歩いているといたるところ足跡だらけです。特徴からすぐ解るのが兎である。カモシカ、肉食獣らしきものもあり、今まで雪で静まり返っていたと思っていた森が命で満ちているように感じられてきます。真新しいと追いかければ追いつくんじゃないか、それとも息を潜めてこっちを監視しているんじゃないかと想像したりしてみます。       11月、雪の消えかかった林道でモグラを見ました。雪の上を動く小さな黒い物に最初ネズミと思ったが動きがとろいのである。近づいて見るとモグラで、あわてて落ち葉の下に潜り込んで行き、しばらくガサゴソとやってました。フクロウの写真集にモグラをくわえたのを見るが、この動作と騒々しさではしかたないと思った。


2003.02.07
 鳥海山付近では今、氷爆がおもしろいです。二の滝が有名ですが、車道終点から2時間以上の行程でカンジキ等の装備も必要の為、気軽な見物気分というわけにはいかない。その点、升田の玉簾の滝は、比較的気軽にいけるスポットである。以前はうっそうとしてほとんど訪れる人もなく霊域的雰囲気がありましたが、近年ニュースステーションで取り上げられたりしてから、遊歩道が整備され、あずまやも作られすっかり公園になっています。但し、低地にあるため氷爆の期間が短く完全氷結にはなかなか出合えませんが、駐車場から10分たらずで行ける滝は一見の価値はあります。あまり人が訪れない頃、その距離をカンジキをつけてラッセルしたこともありましたので、いくら簡単に行けるといっても足元はしっかりしてでかけたほうがよろしいかと。


厳冬期の玉簾の滝 厳冬期の玉簾の滝
氷 瀑



2003.01.26
 2月に鶴岡市の大山で新酒祭がある。各醸造元の倉が見学でき、さらに試飲ができるという大変けっこうな祭りである。数年前、車で通りかかり非常に悔しい思いをしたので、酒田から列車でいくことにして時刻を調べた。鶴岡の一つ先の小さな駅で特急は止まらないので各駅停車である。
ここで質問です。
朝9:08発の便の後、次の大山駅に行ける便は何時になると思いますか? 勿体ぶって正解は最後になんて引っ張っても意味がないので言いますが、なんと13:04の便なのです。乗客がいないから列車を減らしたのか、列車がないので利用する人が減ったのか、どこまでいっても切りがありませんが、ちょっと理解に苦しむ。みんな急がないでゆったりしようよ、という昨今の風潮で、ファーストフードからスローフードに、TVでも“各駅停車の旅”的な番組が作られています。きっと列車の時刻をプログラムしている人達は新幹線か特急しか利用したことがなく、各駅停車を利用する人達のことなんて全然考えていないんだろうと思う。新幹線ばっかりに目を向けているうちに足元がおろそかになっているようです。

それはさておいて、友人にみんなと騒ぐのは好きだが酒は全然飲めない人、みんなが楽しんでくれるなら犠牲になってもかまわないと言うすばらしい人がいたら、その人を運転手にして行くとおもしろいですよ。勿論私は後免被りますが。


2003.01.13
 最上川河口へ白鳥が昨年より早く来たので、今年のシベリアは寒いと話していたら当地も秋を通り越して一気に冬になり、紅葉など秋を楽しむことができませんでした。
ところでみなさんは最上川スワンパークに行った事がありますか。最初は雪の中の白鳥に感じた愛情からの出発だったと思うが、今の餌付けのありさまは養鶏場と錯覚しそうな雰囲気です。初めて見たときは野生生物への冒涜であると感じた。先日、全農庄内から自然環境保護運動としてくず米1トンが餌として贈られた。くず米とはどんな物なんだろうか。観光事業と位置付けられているので後戻りはできないんだろうが、専門家による適正管理が必要ではないだろうか。人工餌の影響、伝染病の発生などのほかいろんな問題があるだろう。餌付けの弊害が取り上げられ世界的には禁止の方向に向かっているという。野生生物を愛するというなら邪魔せずにそっと見る程度にしたほうがいいと思う。餌で釣って近くに引き寄せて付き合おうというのは野生生物のペット化のような気がする。
一度、最上川スワンパークにきてください。善意で行われている餌付けの状況を見るだけでも為になりますよ。


2002.12.08
 30年位前、埼玉の川越にいたとき、海釣りに誘われた。100M近い底を手釣りでさぐったが、仕掛の投入、引き上げで疲れた。そのうえ、海面を見ているうちに船酔をして、ダウンしてしまった。帰ってから、道具を揃え、千葉の海に出かけた。50M位の浅場だが、大型の平目が良く釣れるということだった。釣り人はあのときは大漁した、この次は最高だ、と過去と明日は語るが、今日の現実の前には沈黙する人種なのである。さっぱりで、幾度も場所を変えるがみんな当たりも無し。そのうち、根がかりしたらしく、リールが巻けなくなった。また、地球を釣ったよ、などと言っていると、糸の位置が横にずれてくる。船が流されていると思っていたら、船頭がでかいぞと叫んでいる。竿を持ち上げたとたん、すごい力で竿先が海に引き込まれ、リールからギィーと糸が出てゆく。竿を持ち上げようとするがビクともしなく、逆にググッググッと引きずられる。竿が折れる、と叫んでいたらしく後で笑われた。みんな寄ってきて、網まで用意している。なんとか少しづつ巻き上げ、後20M位というときに、ふっと軽くなった。みんなの失望の中で巻かれた先には、折られた針の残骸がついていた。その後、何度となく出かけ、それなりに釣果はあがったが、このような幸運の女神に出会うことはなかった。
 
 ある時、山梨出身の友人に渓流釣りに誘われた。船頭の言いなりの船釣りに疑問を感じていたせいもあり同行した。魚釣りは一カ所に座り、のんびり魚との我慢比べなどと思っていたら、渓流釣りは延々と歩く。川にたどりつくために、薮こぎをして崖を下る、時には川の流れをわたったりと、命がけなのである。富士川の源流、早川に入った。渓流は初心者ということで比較的楽なコースにつれていってくれたらしいが、ついてゆくだけで精いっぱいだった。そして、友人はフライフィッシングだった。映画“リバーランズスルーイット”(ロバートレッドフォード監督、ブラッドピット出演)でその華麗な釣り技を見た人がいると思うが、26年前のことで、カルチャーショックにびっくりしてしまった。初夏の美しい渓谷で、清流の上をフライラインが延びてゆく風景が、かっこいいのである。一緒に行動しても無駄ということで、私に餌釣りの道具を与えて、上流にいってしまう。ハヤを1〜2匹釣ったような気がするが、それよりも深山の景色の中にいることが心地よく、幸せな気分になった。釣果なく戻った友人と河原で湯を沸かしてカップラーメンとお握りの昼食。これがうまい。日中は釣れないとのことで昼寝タイム。ゆったりした時間が流れてゆく。3時から行動。来る途中、アマゴの美しさを散々吹聴してきた手前、釣り上げるまで帰らない雰囲気のなか、友人は夕方近く20cm強のアマゴを釣り上げた。紫のパーマークのある魚体にちりばめられた鮮やかな朱点が、どきっとするほど妖しく美しいのである。釣り上げたことが罪悪に感じられた。
釣行から帰って、酒席でこの体験を登山が好きな総務部長に話したところ、「俺とお前で弟子入りだ」と、決まってしまった。それから、師匠、ナチュラリストの部長、戦力外の俺と、フライフィッシング修行が繰り広げられることになる。

 フライフィッシングをはじめた頃、師匠と一緒に渓流で釣っているときに、上って来た釣り師に追いつかれたときがあった。どうですかと、挨拶の後、この先で川は二股になりますがどちらに入りますか?と聞かれ、師匠は右の沢の予定と答えた。じゃ私は左にと答え、薮に消えていった。釣り上って行き、分岐点につくと、左手の沢の岩の上に石で草の葉が押さえられてあり、先ほどの釣り師がこちらに入りましたとシグナルを残していました。なんかその日はいい気分でした。
それから3〜4年後、我々が釣っていると、後から来た釣り人が我々を追い越して先で釣りはじめた。唖然としてしまい、文句をいう気もなくなってしまった。このころから、ごみを含め釣り人のマナーの悪さが気にかかるようになった。そのうえ、堰堤による川の寸断、河川工事という川殺しの現場を目にする。そして、関東近隣の渓流は魚より釣り人のほうが多いのではと思う状況で、ほとんど魚が釣れないせいもあり、徐々に釣りへの意欲を失っていった。

 春の小川はサラサラいくよ、とあるが、川の流れはやかましく饒舌である。ザザーッ、ゴボッゴボッ、ジョビジョビ、ザップン、ゴロンゴロン、パッシャン、ゴーッ、きりがないのでやめるがにぎやかなものである。渓流釣りは、みんなでワイワイやるものではなく、各々釣る範囲を決めて行動するのが一般的であり、我々も集合場所を決めて、師匠が自動車で適当に配置して釣っていた。そして一人で釣っているとき、風による草木のざわめきや沢の流れる音が幻聴となり、自分を呼ぶ声に聞こえることがある。思わず振り返るが誰もいない。幽霊の正体見たり枯れ尾花、の例にもあるように、全然釣れなかったり、曇天で薄暗くなった時など気弱でいるときに聞こえた。森の精霊、物の怪、コロポックル‥‥‥‥‥思い上がりを捨て謙虚につつましく行動しなくてはと感じる。気の持ち方だとは思うが、なんかの存在をまるっきり否定もできないのである。


2002.10.23
 7月24日 前日、気象庁が梅雨明けしたらしい宣言をし上天気。鳥海山がくっきりと姿を見せている。頂上小屋は真夏でも寒くて寝られなかった、水1リットルが千円だった、などの情報で荷がどんどん多くなった。飲み物だけでもスポーツ飲料500ml、水1リットル、ビール500mlが4缶、焼酎1本それにカメラとレンズ。いつもの好きな所までの軟弱日帰り登山とは雲泥の差である。
 7時40分、K氏迎えに来てザックを背負った時ちょっと不安になる。待ち合わせ場所に行くと夜行バスで着いた3人はジベタリアンで各々朝食中。主役のT氏は深夜のテレフォンショッピングで健康器具の宣伝をしているような体育会系の青年、空手のけいこ中にアザを作ったためにサングラスをしている20代前半。カメラマンのG氏は南西諸島でカヌーをやってきたと言うバリバリのアウトドアマン。火の中、水の中、地の果ても何のそのてな感じ、30代前半。まとめ役で編集部のO女史は補佐をしながら、きっぱりリーダー然として、テキパキとスケジュールをこなしていました、20代後半。下調べも完璧で私が口を挟むことなんてほとんどありませんでした。

 八幡町の鳥海高原家族旅行村にある猛禽類保護センターに寄って、湯の台口の車道終点の登山道を10時位に出発。ギンリョウソウを見て滝の小屋に着く。積雪期、雨天時はちょっとわかりにくい八丁坂への取付きから登り河原宿へ。この斜面の花畑と眼下の庄内平野、日本海がいい感じである。そして暑い! 最後尾で登ることが多い私が元気印の若者の先頭になって無理しオーバーペースになり、この坂で体力のほとんどを使ってしまったのです。ウルトラマンの胸のランプが点滅し始めた感じ。途中で先頭を変わってもらい河原宿に到着。この時期に楽しみにしているミヤマハンショウズルを見る余裕もありませんでした。ニッコウキスゲを見ながら休憩し軽食。とっくに飲み干したスポーツ飲料のボトルに水を詰め出発。休むたびザックが重くなって行くような気がする。夜だったら妖怪のせいに出来るのだが。

 心字雪渓に入ると涼気が心地よい。いつもはこの辺りで雪解け水でキリッと冷えたビールをグビッと飲んで、ニコウキスゲやチングルマ、ヒナザクラの中でくつろいで帰るのだが、今日はまだ序章なのである。Gカメラマンには「撮影しながら行くのでゆっくり」と言われていたが、それでも徐々に落ちこぼれる。”スタートダッシュで出遅れる どこまで行っても離される……”「走れコータロー」の文句が頭の中でリフレインする。快晴なのでアザミ坂の入り口がすっきり見える。悪天候時の難所がこの雪渓で、登りは何とかなるが下るときにガスに巻かれると遭難しやすい所である。この雪渓を抜け、このコースのアザミ坂へ。途中すれ違った関東からの二人連れに「下りるだけでも怖かったのにこれから登るんですか」と気の毒そうに同情された。そして実際きつかった。3人はとっくに先行して姿は見えない。かつて泣き言を言ったり挫折しそうな人をおどし、なだめながら引っ張り上げたんだが、今日は逆の立場になってしまった。AさんBさんごめんなさい。この整備されていない荒々しさがいいんだ、などと負け惜しみながらようやくよじ登ると、O女史があきれて待っていて「頂上小屋で会いましょう」と行ってしまう。ザックを投げ出し眼下に広がる千蛇谷、七高山、新山の大パノラマを前に茫然自失。今日の景色はずっしりとしみた。こんなに鳥海山は美しかったのかと思った。最後にここに来たのは30代前半。あの時と鳥海山は同じだが、私が変わったのだろう。

 頂上小屋を眼下に見ながら歩き出す。あそこが終点と思うと、ようし!と力が入る。ウルトラマンだって胸のランプが点滅してからが強いんだ。途中、小屋のそばの雪渓で3人が手を振る。クサリ場を下りて雪渓でビニール袋に雪を詰めようやく到着。何がなくてもとザックから缶ビールを出し雪の中にうずめる。3人は各々周辺で行動している。一段落したので小屋の下に集まってキリッと冷えたビールをグビグビと飲み交わす。下戸はいなかった。外輪山にかこまれ日本海を見ながらくつろぐ。
 夕食後、質、量ともに欲求不満をおこしているGカメラマンをなだめるべく、先ほどの場所でOさんがアウトドア料理を作る。夕陽が山肌を赤く染め、水平線に太陽が沈み行く景色の中で、Oさんのワイン、私の焼酎と隠し玉のラム酒を飲みながら4人で取り留めのないよもやま話。太陽が沈むと急に夕焼け空が輝きだしゆっくりと闇に入っていく、この刻々と変化する光のショーが好きである。

 8時 就寝。夜型の私にはまだ夕方である。平日なのに小屋は定員に近い状態。関東はもちろん関西からも、九州からは2組居た。みんな疲れているせいかイビキも多い。イビキが止まり静かになったと思ったら急にゴゴゴッと始まる人もいて気になると寝られない。うつらとしたら集団でゴソゴソ起き出す、もう朝かと思ったら連れションであった。よく寝付けないままガサゴソという喧噪で4時前に起こされる。薄明かりの中を新山へ。ピークや好位置はすでに人でいっぱいである。朝日が昇り、背後に影鳥海が現れる。「ご来迎きれい!」「影鳥海がすごい!」まわりで声がするたび、前、後ろと忙しい。影鳥海は日本海に鳥海山の影が映される現象で、好条件がそろわないと見られない。私も初めて見た。平野から日本海に広がるシルエットを見ていると向こうが本当の鳥海山じゃないかという幻想に取り憑かれる。まわりの人たちが、口々に来て良かったと歓声をあげ、にこにこした好い顔になっている。

 出だしの騒がしさで山小屋の朝は慌ただしく過ぎて行く。我々も主発。飲み物を消化した分ザックは軽くなったし、今日は下りなので気分は楽である。
今日も雲一つ無い快晴。下界ではこの日、記録的な暑さであった。千蛇谷コースを下り、崩落によってしばらく通行禁止になっていた七五三掛への難所も支障なく通過し、お花畑の中をのんびり歩く。昨日の登りとは雲泥の違い。ハイキング気分で御浜小屋に着く。ニッコウキスゲの群生に誘われて長坂道を進み、途中に鳥海湖に降り、湖畔でOさんが立ててくれたコーヒータイム。山でのコーヒーは美味いと聞いてはいたが本当に美味しかった。山頂、外輪山の山容を見ながら山行きを思い出す。「こんなに変化に富んだ山にはなかなか出会えません」「これじゃ、人気があるのは当たり前」3人とも鳥海山を気に入ってくれ嬉しくなる。私は何も出来なかったが、天気に恵まれた上に鳥海山が饒舌だった。

 ニッコウキスゲが見事な群落を作っている長坂道に戻り象潟コースに合流する。この登山道はきっちり整備されている。その為に登山者に混じって一般観光客がもう少し、もう少しと登ってくるので、場違いなスタイルが珍しくない。赤信号と違ってみんなで登れば怖くない、てな訳にはいかないのだが。12時、鉾立の駐車場に到着。酒田からK氏が迎えに来て途中の温泉で汗を流す。日焼けが痛く、シャワーを浴びるだけ。3kg体重減でした。…にんまり… 午後2時30分、3人と駅で別れる。家に帰りあらためて鏡を見ると真っ赤に焼きあがった顔があった。それから2週間も日焼けの後遺症に悩まされる。紫外線は標高300mにつき4%増加するとあった。いつものフィールドで遊んでいる分には問題ないが、今回みたいにピークハントする場合は紫外線対策も怠りなくと反省。まして晴天時の雪渓では倍になる。
 
 9月1日、象潟口からニッコウキスゲが群生していた場所まで登ってみる。途中、甘酸っぱいベニバナイチゴの実をつまむ。ニッコウキスゲのオレンジがまぶしかった所は、花を失った草原が広がっていた。リンドウが咲いている。紫に秋を感じる。登山者もめっきり少なくなった。
 山頂の雄大なパノラマを見ていると、あの山行がずっと昔だったような気分になる。いい人たちで楽しかったと回想。天気が良かったのはあの頃だけで8月は悪天候が続き、山行きは出来なかった。そろそろ登山シーズンも終わる。「この前はすっかり世話になったな!」と言って帰途についた。 (完)

 今回のY社編集部の鳥海山取材の記事は、来年2003年6月号の『山と渓谷』に掲載予定です。
 お楽しみに!


2002.08.20
 7月のとある日の朝10時にK氏より電話。至急相談したいことがあるので今から行くとのこと。電話で話せないかと言うと、とにかく行くというので、なんか重要な事らしい。待つ間、宝くじに当たって使い道に困っているなんて都合のいいことは浮かばず、何となく嫌なことばっかり思いつく。面倒なことになると嫌だから逃げ出そうかと思っていると、到着。深刻そうな表情かと思っていたが、何となく楽しそうである。そして、彼のホームページに、Y社より鳥海山取材協力の依頼があり、鳥海山を熟知した人の同行をお願いしたいとのことだそうだ。

 「すごいなあ!ホームページを開設するとこんな依頼があるのか」「IT革命だな!」なんてノー天気に談笑。日程は7月16〜17日でほんの数日後のことだ。当人は最近退院したばかりで医者に過激な運動はしないように言われているとのこと。「それじゃ人選が大変だな!」と談笑。北アルプスの山小屋でアルバイトをしていた22歳のイギリスの留学生をモデルに、北の山を訪ねる企画とか。「そんな元気印と同行するんじゃ人選が難しいな?」と談笑。こんな話をしている頃から彼はおいらに白羽の矢の雰囲気。

 小生50歳。アルコール性体力不足症候群、きっぱり夜型。話題をそらそうとするが、なかなかしぶとく粘る。談笑から会話そして不穏なムード。“人生はチャレンジ”“チャンスは一度”“ファイト一発”“なせばなる”…… 拒絶バリアが薄くなり、まあいいかモードから、NO!と言えない日本人のごとく、なんとかなるだろうになってしまった。ニコニコして、ワイワイ騒いでいるうちに保証人にさせられた雰囲気の中、彼はさっさと帰っていった。
 改めて依頼の文章を見ると「……鳥海山の歴史や文化、地元の人とのかかわりなど多角的にとらえた…」体力とともに、知識の面でもまずいことを引き受けたんじゃないかと後悔。反省、そして、台風が日本に向かっている。15〜16日に当地を直撃しそうである。
 7月12日。朝、Y社より電話。16〜17日の予定だが台風の影響により、翌週の23〜24日に順延するかもしれなく、今夜までに決定するとのこと。賽は投げられていた。夜、延期したと連絡ある。
 7月13日。張本人の所に行き、インターネットなどによる、付け焼き刃的にわか鳥海山雑談をして、資料を持ち帰る。

 7月14日。今朝3時半過ぎに強い雨が降るが目覚めると曇天で雨は降っていない。鳥海山はほとんど雲の中である。下調べをかねて湯の台方面に出かける。12時位に車道終点に着く。ポツポツと雨があたり、すぐ上は雲で視界がきかない。フロントに百名山のプレートを付けた水戸ナンバーの大型バスが1台止まっている。運転手に話を聞くと、今朝3時に土砂降りの中、視界がきかず時速30km以下でようやく到着。それからガイドに引率されて全員出発。4時間後に半数は引き返してきたが残りはまだ山で、無線が通じないので心配しているとのこと。ツアーでは天候に関係が無いので仕方がないのではあるが、八丁坂のお花畑.河原宿のニッコウキスゲ.心字雪渓の涼気.アザミ坂を越えた時の山のパノラマ。この天候ではそんな景色とは全く無縁で、雨とガスの中を1〜2mの足元しか見えなく数珠つなぎになって行進しているんだろうと思うといたたまれなくなる。運転手にはガイドが付いているから大丈夫ですよ、と声をかけて引き返す。

 6月末頃にに大平口から登り鳥海湖の近くまで行った時に、ヘリコプターが湖の付近に降りて飛び去るのが見えた。その後で6〜7人の登山者が現れたので仲間が何らかの事情で動けなくなったのだろう。ケガなどによる救出ではニュースにならないので、知らないところで事故はいっぱいあるのだろうと思う。素敵な思い出でを持って鳥海山を後にしてほしいと思う。この日はずっと心が重かった。
 
 7月15日。Y社より警察に提出する登山計画書の件で私の生年月日、血液型の問い合わせ。50歳と告げると心なしか声のトーンが暗くなるように思えた。後で計画書を見たら20代2名と30代前半のバリバリのメンバーだもんな。
 7月20日。一日中鳥海山は雲の中。山麓は小雨であった。
 7月21日。曇天。鳥海山はすっぽり雲の中。月山の弥陀ヶ原湿原に行く。駐車場からすぐの所に広がるこの湿原は気軽に行ける別天地である。素晴らしい植物群や池塘の中でぼんやりしていると、何となくいい人になっていくような気がする。こ日は月山も途中から霧が深くなり、すれ違う車がライトを点けている。こちらもライトを点灯して登る。駐車場に着くと霧がたちこめているが視界は10〜20m位ある。ウインドブレーカーを着て散策。ニッコウキスゲがいい感じ、チングルマは花と種が混在している。霧が雨になってきたので20分ぐらい木道を歩いて引きあげる。この雰囲気だと鳥海山のニッコウキスゲも期待できるかも知れない。この日の夜、Y社より23〜24日の予定を1日ずらして24〜25日にするとのこと。諸事情によりこれ以上延期できないので、これがファイナルアンサー。  (つづく)



2002.07.22
 6月30日、2週間前と同じ場所に出かける。スタスタと直進できた雪渓は4分の1に後退していた。前回ちらほらと咲きかけていたチングルマが満開でウキウキしながら花園の中を登る。秋、山肌の紅葉がチングルマと言われた時、草ではなくて木なのだと教えられた。厳しい高山の環境で群落になるまでには、とても長い年月がかかっていたんだろうと思う。白いハクサンイチゲの花畑だった場所はミヤマキンバイの黄色いじゅうたんに変わっていました。ニッコウキスゲの花を数株見ましたので、半月もするとその群落が見られることでしょう。
 同じ地点を訪ねて、短いシーズンに一気に生命であふれ、どんどん変化するいろんな表情に出会うとなかなか別の場所に行くことが出来なくなる。百名山ブームが続いているが、私は一名山から当分抜けられそうもない。


チングルマの花 チングルマの種子 イワカガミの花
チングルマ チングルマの種子 イワカガミ



2002.07.11
 6月4日の朝日新聞の山形版に県が実施した「野生動物に関する県民意識調査」の結果が載っていた。その中で、ニホンカモシカを見たことがあるのが59.8%で一番多く、コウモリ、野ウサギ、タヌキが続いていた。この話が出たときの友人4人は「鳥海山の自然を守る会」のメンバーで、さすがに全員見ているとのこと。でも私だけが見ていなかったので80%の確率である。 本当にこれが山形県を代表するものだろうか。

 アメリカで病気で死ぬ老人が異常に多い地方がある。そこは温暖で福祉が充実し住みやすいので、人生が残り少なくなった人々が多く移り住んだからであった。数値だけなら病気の老人が多く住みにくい所となるかもしれない。アンケートは意識調査の原点だと思うが、限定された調査範囲の結果が一人歩きすると、おかしなことになる。

 今まで私が出会ったのは、クマ、サル、アナグマ、テン、イタチ、タヌキ、野ウサギなどである。2番目のコウモリなんてツバメやトンビみたいなものと考えていた。 まだニホンカモシカに出会っていない私にとって、山形県民の6割が目撃しているとは、いまだに信じられない。



2002.06.27
 6月16日、昨夜は小雨だったので寝坊して起きたら青空が出ている。鳥海山の山腹に雲がついているので迷ったが、ずっと休日が天気に恵まれなかったので、偵察がてら出発。ブルーラインの吹浦口を登り始めたのが12時になってしまう。早い人なら下りてくる時間だと思うが、まあ、それぞれである。
 
 やぶの中からタケノコ採りの人たちの声が聞こえてくるつた石坂を約30分で登りきる。登り始めはこんなつらい思いなんかやめて、さっさと引き返しビールでも飲みながらワールドカップでも見ようぜ、と言う悪のささやきがする。途中から体が登山モードに変わり始めると、あの場所はどうなっているんだろう、今年の花はどのくらいだろう、という期待の方が大きくふくらむ。見晴台で庄内平野と日本海の景色を見ながら思いっきり深呼吸。この頃から雲がどんどんと去って行き、ほぼ快晴のいい感じになってくる。清水、とよ、河原宿と三ヶ所の雪渓を進む。この時期は窪地が雪で埋まっているので一直線に登れて快適である。ただ、雪渓を歩く時はステッキとサングラスは持ってたほうがいいです。

 13時35分、定点に到着。ハクサンイチゲの白いじゅうたんが迎えてくれました。青空の下、残雪の鳥海山とお花畑の中で昼食。上空を飛行機が飛んでゆく。ものすごい速度で移動しているあの中で飲み食いしている人間がいる。そのはるか下で飛行機から見るとゴミみたいな距離をワッセワッセと登っている人間がいる。交通網、通信網の発達で地球は小さくなったと言われるが、それって人間の思い上がりで何にも変わってないよな、とそばのハクサンイチゲに言う。
 1時間近くボ………ッとして帰途につきました。


2002.06.06
 鳥海山麓を含め、日本海側の針葉樹林はどうしたんでしょう。吹浦から国道7号線を北上すると、かつての林はなくなりハゲ山に立ち枯れた木が墓標のように身をさらしていたり、新緑がまぶしいはずの森林が茶褐色で不気味な沈黙の春となっていました。枯れてゆく木々は何を伝えようとしているのでしょう。
 今年は記録的に桜の開花が早い年でした。桜は目につきみんなが関心を持ちましたが、他の植物も2週間から20日も早いように感じます。自然はいろんなシグナルを発しています。警告かも知れません。「なんで、今年はこんなに早いんだよ!」と、ぶつぶつ独り言を言いながら山里を散策する危ない人になっていました。


2002.05.12
 4月26日、鳥海ブルーラインが開通。28日、どんなものかと出かける。大平口と鉾立口の間は、なだらかな斜面のために例年スキーやボードを楽しんだり雪山散策の人達でにぎわう。 この日、各駐車場は満車状態で、雪に歓声を上げている家族連れ、スキーやボードを抱え心地よい疲労で幸せそうな人達、フキノトウを夢中になって採っている人達、アウトドアとは水と油のような若者たち、雑誌の広告のようにバーベキューとイスできめているグループと、みんなそれなりに雪山を楽しんでいました。

 快晴、無風だったので、防寒用のウィンドブレーカーはザックの中に入れ、2時間ほど雪山ハイクを楽しむ。この積雪期は登山道に関係なくスタスタと直登でき何処にでも行ける楽しさがある。この楽しみも快晴、無風の状態だからで、これが風が吹くと真冬になり、ガスが発生すると地獄になる。 鳥海山に登り始めた頃、夏、山頂に雲がついていたが下界は晴れていたので出発。稜線に出る頃からガスが深くなり、足元2m位しかわからなくなる。同じ道を引き返すのは面白くないと考え、別ルートから戻ることにして進むが、分岐点がなかなかあらわれない。ますますガスが濃くなり、視界がきかず誰とも会わない。30分も歩いたつもりが10分だったり、100mも行ったはずがほんの10mだったりと、体内尺度が異常をきたす。体がガスでじっとりとして、手が冷たくなる。 ”戻ろう”引き返してしばらくするとガスのかなたから人の声が聞こえてきました。
その後、このルートで60代の男性が行方不明になって、まだ発見されていません。遭難して救助された人達の常套句に「まさか私が遭難するなんて思わなかった」というのがあります。事故なんて、ほんのささいなことがきっかけで引き起こされる。 今、麓に居て、朝に山の状況を見てから山行きを決められることの幸せを感じています。 



2002.04.22
 もうじき鳥海ブルーライン山岳道路が開通し、山のシーズンが始まります。雪の回廊はどのくらいでしょう。湿原の水芭蕉はどうなっているでしょう。稜線のハクサンイチゲはまだかも知れません。それに、怠惰な生活で体力が心配。うきうき感80、不安20くらいな心境です。
 山里ではイチゲ、カタクリに代わってニリンソウ、ヒトリシズカが咲き出しています。訪れるたびに、どんどんと様変わりしてゆく草花を見、そして素晴らしい瞬間に出逢うと、これから先、このような機会はどのくらいあるのだろうかと思う。その為に、休日は家でおとなしく、のほほんとしていられなくなってしまう。
 ついでに、2年前、鳥海山で見たニッコウキスゲの群生はすごかった。すれ違う登山者はお花畑の余韻でみんな、にこにこと幸せいっぱいの顔をしていました。 


ミズバショウの花 ヒトリシズカの花
ミズバショウ ヒトリシズカ



2002.04.09
 鶴岡市近郊の高館山、大山公園をはじめ各地でカタクリが満開です。
葉の繁る前の陽のあたる林床でピンクの花弁が春風に、そよそよとゆれているさまは華やかで色気があり、心がウキウキしてきます。 で、こんなに色っぽいんだから夜遊びが好きかと思うと、陽がかげるとさっさと花弁を閉じてしまいます。そのきちっとしたところが、またまた好きです。


カタクリの花 カタクリの花



2002.03.30
 吹浦の箕輪鮭孵化場から牛渡川への稚魚の放流が始まりました。一度訪ねて下さい。感動ものです。運が良ければカワセミにも逢えるかも知れません。

ところで昨年の5月に、この付近でサルと遭遇しました。林道を車で走っていると道の真ん中に一匹のサルがのっそりと居たのです。車で近づくと林の中に入りこちらを見ています。その距離4〜5m。観光地日光の看板に「危ないのでサルと目を合わせないで下さい」とあるように目を合わせるのは危険なのですが、何と言ってもこちらは車の中です。にらめっこすると案の定、歯をむき出して威嚇してきました。こちらも歯をむき出して応戦すると、2〜3歩身を乗りだしてコノヤローとばかりすごみかけてきます。そうだ写真だ。後部座席のカメラバックに手を伸ばし右往左往していると、新兵器を持ち出してくると恐れをなしたのか、もう居なくなっていました。あ〜あ、何処かに行っちゃったと車を出し、しばらく走っているうちに、なんで追いかけて写真を撮らなかったんだ……そんな後悔とサルを見たぞという喜びがぐちゃぐちゃにふくらんできました。

神の気まぐれで素晴らしい瞬間に出会ったとき、感動がすぐには消化されず、ほわ〜んとなり、後からじわじわっと喜びがわいてくるみたいです。一年近くたつが、思い出すたび頬がゆるんで、にた〜っとしてしまう。


2002.03.23
ばんけ(フキノトウ)  日本海側のどんよりとした冬景色から解放され枯草色だった野山にポッポッと緑色を見かけるようになりました。フキノトウです。

ういういしい淡い緑色は、やさしい早春の雰囲気があります。フキノトウ味噌やてんぷらにして、ギュッとつまった若草の香りとほろ苦さを味わって下さい。体に春が入ってくる感じがします。

ところで一般に新芽のアクが少ないのは、早く光合成で栄養を作り出さなくてはと成長を優先し、有害物質を作り出す過程を省いているからだそうです。でも、中には生まれつき食べられてたまるかと思っているのもいますので誤食には十分注意して下さい。
開ききったばんけ(フキノトウ)


2002.03.13
 土手や田のあぜにオオイヌフグリの可愛らしい青色を見つけました。どんどんと春の足音が近づいてきて、ウキウキしてきます。でも、オオイヌフグリ。大声で話すのはちょっと気恥ずかしい、はばかれる名前です。
このように差別的な名の草花を思いつくままに。
 ヘクソカズラ。この草の匂いを一度知ると忘れられないそうです。何処にでも見かける草ですので皆さん一度試してみたら。小生は危うきに近寄らずで見るだけにしてます。
 ママコノシリヌグイ。道端で見かけるとさわってトゲトゲを確認してみます。イジメは昔からありました。涙、涙の哀しい名です。

 自分たちがこんな名前で呼ばれているなんてわかったら、草権擁護団体に訴えて裁判沙汰になるはずです。ただ、責任者出てこい!と叫んでも、誰がこんな名前を思いついたのかわからなく時効で却下。昔の迷コピーライターっていったいどんな人だったんでしょう。


自然と人間の生活
どっちが大切だ
よそ者は口を出さないでくれ
黙るしかなかった

水害がおきたとき
おまえに責任とれるのか
うつむくしかなかった

全てが終わって
こんなはずじゃなかった
こうつぶやいた時には
もう おそかった


2002.02.26
ハスの池の寓話を知ってますか。詳細は忘れたので概略をいいます。池がハスで全面覆われると生物は光合成や呼吸が出来なくなり死滅します。ハスは一日毎に倍に増え、一つのハスが二日目には2枚、三日目には4枚となり八日目に池の半分まで広がっていました。あと何日で池は滅びるのでしょうか?答えは翌日です。 何を言おうとしているのかというと、自然はまだまだ大丈夫と構えていると絶滅は突然に来るということ。半分覆われている状態の池を見てノホホンとしていると翌日には全面びっしりと覆われてしまっていた。

 少なくとも50億羽といわれ、鳥類で最も多くいたといわれたアメリカのリョコウバト。群が渡る時は数日間途絶えることなく空を覆ったというこの鳥はアメリカ開拓の人々による大量捕獲により絶滅。たった一つの標本がワシントンの国立博物館に残っているだけ。
身近ではメダカがそうです。何処にでもいると思っていたのが地域によっては激減して絶滅に瀕しています。過去にはニホンオオカミやトキなど。「そう言えば最近見ないね」そんなふうに気がついた時には、すでに手遅れなのです。

”やっぱり”それが2月20日の朝日新聞に載った「立山のライチョウが皮膚病」「平地の細菌?環境省調査へ」の記事を見た印象でした。最近、犬連れの登山者とよく会います。急に大きな犬と出会い心臓が止まりそうになったこともあります。たいてい、その後には「大丈夫よ,うちの〇〇はおとなしくて何もしないんだから」等とでも言いそうな誇らしげな家族がニコヤカに現れるのです。飼い主には良き家族で従順だろうが、他人にとっては大きな迷惑である。驚いて転んでケガでもしたところで、このような人たちは「うちの〇〇はおとなしいのに、あんたが大げさに驚くんだから」等と言うんだろうな。
 ペットと病気の因果関係がはっきりしていないし、「別に私くらいは」等の理由でのペット連れ登山はやめるべきだと思う。はっきりした時にはもう遅いかも知れません。絶滅危惧種のライチョウに病気が見つかったことに、非常に恐ろしいことが進行していると感じました。老婆心ながら、野山にペットを連れていって草原や藪で遊ばせて帰ると、相当ダニにたかられているそうですよ。


マンサクの花   ”先ず咲く”から名付けられた
  マンサクが咲き出しました
  山で木の枝先が
  ふわっと黄色い雰囲気に包まれていたら
  近よってください
  ゼンマイみたいに丸まっていた花弁を
  まだ寒いな、と思いながらも
  がんばって
  ソロソロとのばしている姿が見られます

  ようし!
  なんとなく、背筋をのばし
  気合いを入れたくなります
マンサクの花



2002.02.20
 鳥海山に登り、帰ってくると聞かれたのが「今何があるの?」「何を取ってきたの?」 
苦しい思いをして山に登り、何の収穫もなく手ぶらで帰ってくるという行為を理解できない人たちがいるんだと思ってました。ましてや尾瀬みたいに一木一草取るべからず、歩道からちょっとでもはみ出したらよってたかって説教されたり、白神山地の入山禁止に見られるような絶滅危惧種だらけの生態系保護観察公園的な自然を当然のように教えられていましたので、山菜などの植物を取るなんてとんでもないと思っていた。

 でも楽しかったのです。縄文の狩猟採集民族になったような気がしました。
食べ物はスーパーでキチンとパックに詰められて手を汚さないで買う時代にしかもその中身は、外国産牛を国産牛として売っていたのを今度は国産牛を外国産牛にしたり、遺伝子組み換え食品やポストハーベスト野菜。こんな話を知っていますか?昨今出来ている昆虫館の蝶の舞うドームで飼育されている蝶の青虫に市販の野菜を与えると死んでしまうので特別に栽培している植物を与えていることを。

 このような世の中でキチンとした春の季節を感じ、独特な野性味あふれる天然の山菜を自分が取ってきて、嬉々として家族が食べている風景はなかなかありませんよ。
これからフキノトウ、タラの若芽、ワラビ、タケノコが出ます。その他いっぱいあるんでしょうが良くわかりません。山里で培われている山菜についての知識があれば、山歩きも風景が白黒からカラーになったようにまったく違って見えるんだろうと思います。ただ、それを生業としている人たちがいますので、山の幸のおすそ分けを恵んでもらう気分でささやかに採りましょう。まして、欲に目がくらんで遭難騒ぎだけにはならないように。


2002.02.03
 今、鳥海山のふもと、吹浦の箕輪鮭孵化場で、稚魚が真っ黒に群れて放流を待っています。
この小さな命が、世界の海でものすごい旅をして帰って来る苦労を考えると、近くの入り江や磯でのんびりしていれば良いのにと思うのだが、そうできない自然のサイクルや鮭の都合があるのだろう。 海を回遊しているうちに、いつしか相思相愛の仲になって、ようやくふるさとの川に戻ると、流れはせき止められ人間が待ちかまえていて、カップルは引きさかれ、帝王切開で卵を取り出され、何の恍惚感もなく射精させられる。涙の鮭残酷物語である。
 そんなことを考えながら稚魚の群を見ているうち、網ですくって湯がき、たたみイワシみたいにして、あぶって食べたらと思い、生つばを飲み込んでいました。


店内のネコヤナギ
冬の間 じっとしていた里山の草木で
ネコヤナギの芽がふくらんできました
まだまだ 風は冷たいですが
そんな中で 毛皮のコートをまとっているような
ぬくぬくっとした姿をみていると
ぽっと うれしくなります


                 (02/09  記)






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