2 庄内竿(竹竿)の過去と未来  前編 (2002年掲載分)  コラムの目次に戻る ホームページのトップに戻る
 自分がまだ20代の若き頃、県内テレビ局の釣り番組の連続シリーズのなかで、庄内竿(竹竿)と近代カーボンロッドをそれぞれ愛用する釣り人同士により竿の特徴や釣技などを語り合う対談コーナーの企画が持ち上がりました。
テレビ局の関係者から、白羽の矢が自分に放たれ、テレビ出演と相成ったのですが、自分と言えば、庄内竿の若き使い手ナンバーワンであるとの肩書きが出来あがっていたらしく、テレビ局側の勝手な設定に乗せられて、戸惑いながらも、リハーサルなしで30分間、庄内竿について切々と語った記憶があります。

もちろん、竹の良さは十分認識しているつもりではありましたが、当時はかなり多くいた庄内竿の愛好者を差し置いて、若造がのこのこテレビで論じたものですからすぐ評判になり、街に出ればすぐさま「釣りのお兄さん」と呼ばれるはめとなっておりました。
この時を機会に、釣り番組のゲストから、レギュラー的立場で、始終出演するようになってしまいました。
そんな当時ですが、あまりにも有名な庄内竿の時代も終盤を迎えつつあり、まもなくして、庄内においても釣り竿が大きく変貌する事になります。

ところで先日、秋田在住の釣友k・yさんから魚信宛てに興味深いメールをいただきました。
最近、極端に安く売っている輸入竹竿についての話にも触れておりましたので、その中のほんの一部を紹介させていただきます。

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>竹竿良い!!
あんな節だらけ、ねじれたような駄竿なのにガキの頃の感性そのものに訴えるせいかも知れませんが、実に使った感じ気持ち良かったっす。
カーボンやグラスなんかに慣れすぎたのかな?なんか表現しにくい違いがありますよね、竹とは。3.6〜4.2m位の欲しくなっちゃった(笑

竹竿(当然のべ竿)使った元祖庄内釣法すか?本気で面白いだろうなって思うっす(笑    昔の達人って凄いですよね。
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今から30年ほど前の話です。
ちょうど釣り竿にもカーボンの素材が出現し、いち早くカーボンロッドを製造発売したのは確かNFT(日本フィッシングタックル社)であったと思います。
その後においてロッドメーカー各社は、一斉にグラスロッドからカーボンロッドに製造が変革していきますが、そのロッドの種類と数の多さには目を見張るものがありました。
その中でも庄内竿(竹竿)に特性や特徴が類似しているものに、並継のへら竿がありました。
この並継のへら竿を改造加工する事により、手軽に庄内竿の感触を得られる事を知った多くのファンは、我先にとこれらのロッドを買い求め、改造加工したものです。

庄内竿の特徴は、細身であり並継、それに調子は、負荷をかけると次第にじわじわ胴に調子が移行する、言わば胴調子のものが多かった訳ですが、6尺クラスの小竿を除いてはほとんどが中通しであった為、これらの改造加工は庄内(鶴岡)の釣具店で対応してきたものです。
 当時30店程あった釣具店の中でも、これらの技術を持った店は自分の店を含め、5〜6店しかなかったと記憶してます。

当時のカーボンへら竿の場合、穂先はソリッド(無垢)がほとんどであったため、小型の両軸リールを取りつける庄内釣法では、穂先をチュウブラ(中空)に変える必要があったが、この中空の穂先がなかなか手配できなかった〈製造不足)時代でもあります。
本来は竹であるべき庄内竿が、カーボンロッドが代行してしまう時代の到来に、戸惑った庄内竿のファンも多かったはずです。
この頃になると、本来の庄内竿を作る職人もかなり減少しており、庄内竿の製造職人として家計を支え生活できる時代は終焉を迎えていたとも言えます。

そんな中で、庄内竿生誕の地である庄内、それも鶴岡で職人と呼ばれる竿師は2〜3人ほどいました。
そのうちの1人であるS氏は当時で60歳ほどの方であり、自分も何かとお世話になった方であるが、実戦用の庄内竿を数多く排出した竿師でありました。
そんなS氏を全国的に紹介すべく、国内トップの釣り雑誌社F誌の記者と共に自分も取材に出向いた事がありました。

 後日、この取材の模様はF誌の誌面を飾る事となり、この時の取材は全国的に紹介される事になる訳ですが、はるばる遠方から来たこのF誌の取材がこれだけで終わる訳もありません。
早速、この庄内竿を使って庄内の地磯においてクロダイを釣って欲しいとの要望が出ました。
ちょうど梅雨の最中の6月下旬の話しなのですが、当時のこの時期は、クロダイの産卵後であったために、習慣的に地元ではクロダイを釣る釣り人が少なかった時代でもあります。
しかも、すでに竹製の庄内竿を実戦で使う機会は少なくなっていた事でありましたが、F誌の記者から是非何とかお願いしたいと懇願された結果、取材釣行となったものです。

 この取材の後には、やはり地元の離島である飛島での大物釣りの実釣取材を自分は控えていたにもかかわらず、とにかく庄内竿での実戦釣法を公開、伝授する事となった訳ですが、当時自分は25歳という若さであったため、自分なりに役不足と判断したもので、庄内竿での実釣は先輩のN氏にお願いし、自分は解説の役に回ることにしました。

  さて、実際の実釣となったものの、普段は余り使わなくなった竹製の純粋なる庄内竿には、さすが先輩のN氏も使いこなすのに四苦八苦、ましてクロダイを掛けてから取り込むまでは冷や汗ものでした。
この時の懐かしい取材の模様は、このhpの一部に紹介されている「伝統庄内釣法・・・・・・軟竿の手練」と相成るわけですが、「軟竿の手練」ではなく「難関の手練」になっておりました〈苦笑) 

 昭和30年頃までは、鶴岡に住むほとんどの釣り人は庄内竿(竹製)を使っていたのであるが、まもなくに手入れや持ち運びが便利なグラスロッドが出現した事もあり、わずか10年程の間に竹製の庄内竿からグラスロッドに移行した釣り人も多かった。

 この時代に入ると、釣竿のみならず、多くの釣具が一気に開花したかの様に、新製品ラッシュが続いたものである。
余談になるが、ちょうどこの頃、ナイロンラインだけの市場にフロロカーボン製のライン(ハリスなど)製品が開発され始め、更に今は誰でもが持っているクーラーも大量に発売され、飛ぶように売れた時代でもある。
 話しは戻るが、竹製の庄内竿の良さは今更語るまでもないが、小さな魚信も竹の持つ独特な感度の良さが、竿を持つ手にまで明確に伝え、魚に餌を十分食い込ませる適度な穂先の柔軟さ、そして魚が餌を食い込んだ時に、竿を立てて合わせた時に生じる魚の乗りを微妙なまでにコントロールしてくれるような感性。

 そして針掛りした魚とのやり取りにおいても、引き込みには粘り強く対応し、魚が弱りかけたり、魚が手元に向かってきた時には、適度な反発力でバレを抑えて魚を寄せてくれる・・・・・
言葉では表現は難しいが、こんな感じの性格を持って活躍してくれるのが、竹製の庄内竿なのだが、これらの性格や特徴を無駄なく発揮してもらうためには、この庄内竿を製造する段階で作り上げる必要があるわけだ。

 少なくとも、竹の素材が同じであっても、手をかける竿師次第でその性格や特徴のみならず、1本1竿、個々の庄内竿の容姿か寿命に至るまで、大きく変化してしまうのである。   
 庄内竿が完成するまでの製造(製作)過程については省略するが、素材となる苦竹を確保できても、その100本中で、まともな庄内竿を作る事が出来るのは1本程度であり、その他は俗に言う駄竿が少し作れる程度である。
 竿の長さにもよるが、穂先から元竿まで、仮に3本継の18尺(5,4m)の竿を作るとした場合、竹一本の素材から作り出すのが理想であるが、バランス良く作るには穂先が馴染まない素材がほとんどであるため、他の竹素材を用いて穂先を繋ぎ合わせた庄内竿が実際は多いのである。
 この場合、後から別の素材を付け足す形になるため、通称「後家」(後家さんの意味からくる)と呼ばれる。

 したがって、庄内竿をよく見ていただくと判るが、庄内竿のほとんどはこの後家竿が多い。
 また、庄内竿は素材が持つ竹の特徴を最大限に生かした技法で製造する関係から、竹の皮を剥いたり、竹を削ったりしないばかりか、装飾は全く施さないのも特徴の一つだ。
 ただ竹竿そのものに人為的色彩を着色しない変わりに、竹本来が持つ、光沢と竹が持っている油性を保つために、色付けと称して囲炉裏なから発する煙で竹に色を付けていくもであるが、少し色がつく毎に一旦冷水で竹を洗い、再度(何度も)同じ工程で色付けしていくのである。
 上等な庄内竿はこの作業を通じて、竹の皮がこげ茶色になるまで続けるのである。
 これらの作業を続けていくうちに、竹に必要な油も保全され、また、素材にはつきやすい害虫も排除する役目を囲炉裏の煙は持っている。

  とにかく庄内竿は見た目では信じられないほどの時間と手間をかけて仕上げられるものであるが、一時期ではあったが、この色付けを薬品で簡単にやってしまうだけの要は偽物的庄内竿も多く氾濫したものである。