庄内竿(竹竿)の過去と未来 後編 (20002年掲載分)コラムの目次に戻る ホームページのトップに戻る
 かなりの手間暇をかけて作り上げられるこの庄内竿であるが、よほどの名竿でないかぎり、釣りに使用すれば曲がりや節の癖が顕著に出てくる。
 特に雨が降る時には竹本来の性格上これらが酷くなるわけで、素人には手入れによる修正は難しくなるのです。
 けして笑い話しではないが、同じ方向ばかりに竿を曲げ続けるなと言う先代達からのアドバイスが伝えられているようだが、要は、庄内竿は負荷が掛かったら竿を回しながら使い、曲がり癖を付けるなと言う事なのである。

これらの話しからも推察できると思うが、庄内竿は使用も手入れも、実際はかなり難しいのです。
 また、曲がりだけに限らず、庄内竿は生き物と同じく、日々の気象条件に反応しているから大変な代物でもありますから、例えば、本来の庄内竿は、竹藪から採取した状態で、一本のままが理想なのであるが、持ち運ぶと言う事を考慮して適当な長さに数カ所切断して、切断個所の繋ぎ目を真鍮などのパイプにネジ切りを入れて繋ぎ合わせるように加工が施されています。
一般的に言う所の並継であるが、問題はこの継ぎ目なのだが、先に言った通り、その日の気温や湿度で竹とこのつなぎ目のパイプに僅かではあるが誤差が出てしまうという事なのです。
 また乾燥した状態が続くと、竹は痩せてくるため、パイプとの相性が狂い始めるものでもあります。

 したがって、これらの手入れや、いろいろなトラブルに対処できる釣り人でなければ、結局は庄内竿を管理し使いつづける事は非常に難しいとも言えます。
残念な事にこれらの問題点を無視するかのように、何の説明や責任の所在もあやふやにして、簡単に庄内竿を県外に売りさばいている業者が過去に多くいたのであるが、庄内竿の特性を生かした状態で使い続けていただくには、庄内竿の手入れができる人が身近にいるような条件が本当は不可欠なのです。
したがって、これらを無視して庄内竿を売りこんできた人には少なくとも庄内竿に対してと、庄内竿を使おうとする釣り人えの配慮が欠けていたと、自分では思えて仕方がないのです。

 先にも説明しました通り、あまりにも著名になりすぎた名竿である庄内竿ではありますが、竿も使い手を選ぶと言っても過言じゃないと思います。
 どんなものでも、それなりの価値を有する物であれば、使う側のレベルを問われます。
 同じ庄内竿でも、昔のように使い捨てに近い駄竿も多かった時代であるならば、駄竿は駄竿で、それなりの使い方でも良かったのでしょうが、後世に残したいような庄内竿であるならば、やはり使うにしても、家宝よろしく飾って置くにしても、庄内竿の特性と性格を知った上で、大切に扱ってほしいものです。

 現実的に当地にはこれらの庄内竿を実際に使い、また、庄内竿の認識を深める為の目的でいくつかの愛好会なるものが組織され、これらの愛好会だけの庄内竿を使った釣り大会や、愛好家の中には実際に趣味として庄内竿を製造する方々も数人おられたものです。その中でも自分の知り合いで著名になられたアマチュア竿師であるN氏やO氏は、残念ながら近年他界されました。
 流れる歴史の一幕でしかないこれらの庄内竿に纏わる話ではあるものの、語り継ぐ人が意外に少ないのも寂しく思われるのです。

 めまぐるしく変わりつつある今の時代、釣りも釣法も多様化してきた現代が、竹を用いて作られてきた庄内竿を今更受け付けないのかもしれません。
 確かに近代の釣具で特に竿に関しては、余りの進展と様変わりが激しく感じます。
 現代の竿と言えば、カーボンです。細く、軽く、張りがあるために、昔より楽に、簡単に、大きな魚を釣る事ができますし、遠投ができるリールを用いた近代のウキ釣り法が近年主力化している事も、この庄内における釣りの特徴でもあります。
 間違い無く、一世を風靡した庄内竿〈竹竿)は姿を消しつつあります。
 しかし、そんな中、釣り人にとって竿とは一体何なのか、釣において竿はどんな存在なのかをじっくり考えてみた時、竿本来の価値観と、竿の歴史と、昔の釣り人気質にも少しは興味が持てるのかもしれないと感じています。

 偶然ではあるが、九州に住むFさんと言う方から突然メールがきたのですが、そのメールの内容は、庄内中通し竿に興味をもったとの事で、飛行機で当店まで来ると言うとてつもない話しに、少し驚いた自分ではありましたが、期待に添えるかどうか、多少の不安はありましたが、とにかく来ていただく事にしました。
それが昨日の夕方から夜にかけての来訪でしたが、ここのコラムでも見ていただけたのかと確認しましたら、見てはいないという話しです。
 
 Fさん曰く・・たまたまこの魚信のHPで、庄内中通し竿のPRを見たらしく、近年数多く出回っている竿の中でも、際立って面白そうな竿が庄内中通し竿ではないだろうかと直感的に感じたそうだ。
 実際店内でFさんから庄内中通し竿を見ていただいた。
 もちろん庄内中通し竿のルーツである本来の竹製である庄内竿、そして現代において最も普及しているカーボンの振り出しタイプの庄内中通し竿で、当店オリジナルである「魚愁」と「魚信」モデルを見ていただいた。
 Fさんからいただいた感想では、竿を介して、庄内釣法の面白さが判るような気がするとの素直なご意見を聞く事ができたのである。

 この度は庄内中通し竿については山程もある能書きを敢えて説明するよりも、白紙に近い予備知識状態で竿本体から何かを感じてもらえれば有り難いと思っていたのであるが、多少なりとも竿の良さは判っていただけたようである。
 実際に魚を釣っていただければ、百聞は一見にしかずと言うか、体感こそが事実とでも言うべきか、その初期の当たりから、食わせの送りこみ、そして引き込みから合わせの感触、本格的な竿を駆使しての魚とのやり取りの醍醐味などを感じていただけたら申し分ないのではあるが、今回はFさんの都合で時間が許してくれないとの事で、翌朝には帰途する忙しいスケジュールでありました。

 しかし、ほんの短い時間では有りましたが、この庄内中通し竿を見ていただき少しでも理解を示していただけた事には本当に感謝しております。
 これを機会にこの庄内と九州と言う遠距離の隔たりはあるものの、釣りを楽しむ感性には全く障害は無いものと自分なりには解釈しているところです。
また、話しは変わりますが、若い方でも庄内中通し竿に理解を示し、これらの釣法を楽しみながら少しづつ極めてみたいとの声もあります。
 正直頼もしくも有り、またうれしいものです。
釣りを真から楽しめる庄内中通し竿を用いた庄内釣法は、これからも引き継がれる古くて新しい釣りであり、簡単な様で実は奥があまりにも深い釣では有りますが、どのように楽しむかで、個々のどんな釣りにも対応してくれるやさしさも兼ね備えているのが、庄内釣法であり庄内中通し竿の良さであるとも自なりに思っているところです。

 さてさて・・・・今までだらだらとまとまりもないような文面で書きつづけてきまして恐縮しておりますが、少しは庄内竿について理解していただけたでしょうか・・・
 庄内竿を語るには、竹竿だけが庄内竿ではないかとの声も聞こえてきそうですが、自分流に解釈するのであれば、庄内竿は延べ竿であり、総じてやや細身で胴に乗る調子であり、近代は中通しであり、両軸の小型リールを用いて(一部にはフライリールを使っている)基本的にはフカセ釣りを主とするが、応用した釣法も庄内では数多く見られる・・・・と言ったところでしょうか。

何も片意地張って、庄内釣法をがんじがらめにする事もなければ、庄内に受け継がれてきた庄内中通し竿も、無理に定義付ける必要もないような気がしています。
 もっとも、先に説明した自分流解釈の範囲は必要不可欠な庄内竿としての形ではないだろうかとは思います。
 また、庄内竿の原形とも言える苦竹で作られた庄内竿は、実戦で使う場面はもう極端に少なくなっています。
 少なくとも名竿やそれらに近い竿はもちろんの事、全ての竹竿は大事に手入れを施し、後世に語り継ぐ資料として残しておく方が良いのではないでしょうか。
 名竿はもちろん家宝にもなり得るでしょうし、俗に言う座敷竿(部屋の中で竿を振ったり、眺めたりして楽しむ)としての価値もあります。
庄内竿〈竹竿)は立派な工芸品でも有りますから・・・・・この章終わり