| 第42回山形県少年の主張大会 優秀賞 南陽市・宮内中3年・恩地裕子さん |
| 「学校なんて行きたくない!」。 そう言って何度両親を悲しませたことでしょう。私の不登校は小学三年生の時に始まりました。 人の目を気にして、誰からも良く思われたいと気を使い過ぎ、それが限界に達すると、体の具合が悪くなってしまうのです。自分の殻に閉じこもり、学校へ行ったとしても、相談室で過ごす日々が続きました。 五年生の時、新しい担任の先生がいらっしゃいました。S先生は、「失敗したっていいじゃない。完ペきな人なんていないよ。一生懸命やっていれば私ずかしくないんだから」。そう言って、私をぐいぐいクラスに引っぱっていってくれました。何度も足がすくみくじけそうになりながらも、S先生に励まされ、「今までの私は逃げてばかりだった。まだやってもいないのに自分にはできないとあきらめてはだめだ」。ついにそう決心し、六年生への進級と同時に三年ぶりにクラスに復帰しました。それからの一年間は、私にとって挑戦の連続でしたが、S先生との出会いをきっかけに、一歩を踏み出すことができたのです。 そして私は、テニス部で頑張ろうと、期待に胸ふくらませ、中学校に入学しました。 初めのうちは、一日一日とうまくなっていくのが感じられ、ポールを打つのが楽しくてしようがありませんでした。しかし、何カ月かすると、うまくいかなくなり悩み始めました。いくら先生に指導されてもその通りにできずいら立ちを感じることが多くなりました。 それに加え、ペアを組んでいたのが先輩ということで、プレッシャ−がいつも付きまといました。 そんな時に部活動の仲間からも無視されて、「テニス部なんて辞めてしまいたい!」と思い悩む日々が一カ月くらい続いたでしょうか。 でも、人と向き合うことから逃げてはいけないのです。中学校に入学してからの私には、温かく見守ってくれる顧問の先生や、一緒に笑ってくれるクラスの友達との出会いがありました。それらの人々に支えられて、私は自分を奮い立たせ、テニス部の仲間にぶつかってみました。 「どうして無視するの。話してくれないとわかんないよ」。初めはみんな何も話そうとしませんでした。「だから。黙ってちゃわかんないんだって」。私は思わずそう叫んでいました。みんなは少し驚いていたようでしたが、しばらくすると、一人またひとりと口を開き始めました。「裕子ちゃんは先輩とペアを組んでるからって自分は特別みたいなこと思ってない」「私たちがテニス部の仕事をしてても、裕子ちゃんはあんまりしてないと思う」「移動の車の中とかで、いつも先輩と話してて、私一人でさみしかった」。聞いているうちに、つらさや孤独を感じていたのは自分だけじゃなかったんだと知り、涙がこぼれました。「ごめん。でも、私もずっとさみしかったよ」。私がと切れと切れにそう言うと、みんなの目からも涙がこぼれ、お互い顔がぐちゃぐちゃになりました。 私は、人と向き合うことから逃げず、思い切って本音をぶつけて本当に良かったと思いました。 そして、自分とも向き合う強さを持って、悪い所は直していこうと心に決めたのです。 今、人間関係をうまく築けない人が増えていると言います。目の前にいる人たちと向き合うことを恐れ、どこの誰かもわからないメル友と偽りの交際に逃げ道を求めたリ、万引などの犯罪行為に走り、ストレスを解消しようとしたりする人もいます。人とかかわることは確かに気苦労も多く、思い通りにならなかったり、傷付いたりすることもあけます。小学校のころの私も、それを恐れ、不登校という形で逃げていました。しかし、人との出会いが私を変え、人とかかわることの素晴らしさを知ったことで強くなることができました。 人と向き合うことから逃げてはいけないのです。私はこれからも人を信じ、人と向き合い、かかわり合って生きていきたいと思っています。さらなる一歩を踏み出すために・・。 |