患者や被災者を見舞う時、必死にがんばっている人にただ「がんばれ」というだけでは、「心配してくれるのはわかるけど、俺の気持ちお前には・・」と思われているかもしれない。人間とは「前向きに前向きに」と他人にいくら言われても訳もなく前向きにはなれないもの、「悩まないで」と言われても悩んでしまうのが人間ですから悩みなのです。
そんなことをいろいろ考えてしまうと、励まし慰めたいのに自分の気持ち自体が重くなってお見舞いの足が向きにくくなってしまうこともあるかもしれません。だからといってお見舞いを避けてしまうようでは尚いけない。重症患者の最も大きな苦痛はなにかというアンケ−トによれば、「人々が話しかけてくれなくなること」という調査結果があるのです。ですから、死にそうだからといって深刻な顔をしてお見舞いしなければならないということはないのです。むしろ、元気だった頃と同じ会話をすればいい。「いろいろ楽しかったね」と世間話をし、「あなたはよくがんばってきたね」と認め、「本当に親切にしてくれた」と感謝することができれば共に笑顔になれるのです。
ところで、家族の場合には、毎日の看病の中でそんなに単純にはいかないでしょうが、毎日、患者と接している看護婦さんを例にしてみましょう。
ある末期ガンの女性患者が一日何回もの鎮痛剤を必要としていたそうですが、治療手段がこれ以上無いと言われて病院を変えた。そこでも、やはり鎮痛剤は必要だったが、彼女の痛みの訴えを聞いた看護婦さんが鎮痛剤のかわりに、彼女の大好物という一杯のコ−ヒ−をもっていった。そして、コ−ヒ−をすすめながら、彼女のいろいろな訴えを心から聴いてあげた。その翌日から不思議なほど彼女の痛みは軽減して鎮痛剤の使用も激減し、最後は安らかに息を引き取ったということです。
上から目線の「がんばって」ではなく、やさしい声の調子で「だいじょうぶ?」と声をかける。「慈悲」や「同事」の心とは明るい表情を絶やさず相手の呼吸を感じ取ることです。自分がいい話をしようとするのではなく、何から話していいのか分からない相手の息づかいを受けとめながら丁寧に拾い聴いていくのです。話が飛んでも「話がわからない」とか「話が飛びすぎる」などとは言わない。「聞く」のではなく「聴く」のです。聴くということは、言葉をやさしさのフィルタ−で翻訳し言外の言葉を観ていくことです。しっかり聴くことができれば言語障害者の「あー」だけの反応でも、おはようの「あー」、ありがとうの「あー」、うんうんの「あー」など、いろいろな「思い」が聴き分けられるのです。「話しを聴いてもらえている」という人が自分のそばにいるということだけで、実に大きなこころのささえになるのです。

《正法眼蔵》
看病の「看」は手で見ると書きます。手をかざし手を使って心をかけるということです。何の経典か失しましたが、『看取る心得』に「便・唾・吐をいやしむなかれ」がありました。病む人にとっては、このような世話をしてもらうことはとても辛いことですから、介護される側の気持ちを理解し尊重しなさいということでしょう。「悪口・罵詈(ばり)に応ふるなかれ」、病人は看病してくれる人にわがままや暴言をあびせることがあります。大きな苦しみ、悲しみ、さびしさ、むなしさの混乱からそうさせるのです。そして、暴言を吐いた後、悔いて泣くのもその本人です。看病する側は「そんなことを言わないで」、ではなく手を握ってもっと話しを聞いてあげる。やさしい言葉はやさしい心がなければ出てきません。やさしいまなざしで、ただ黙って傍にいるだけで大きな大きな支えになるのです。
人はそれでも、尚つらければ人はつらい記憶にふれまいとしてしまうように思うのです。「ボケ老人」と呼ばれる人が実の子に向かって「あんたなんか知らない。私の息子はまだ学生なんだから」みたいなことを言う。 それは、今までの自分を理解してくれないという現実を直視するのがあまりに辛いので、自分を守るために無意識のうちに直視することを止め、良い思いでのところで記憶を止めてしまっている。そんなところをわかってあげることが「慈悲心」と思うのです。
あなたがそこに ただいるだけで
その場の空気が あかるくなる
あなたがそこに ただいるだけで
みんなのこころが やすらぐ
そんなあなたに わたしもなりたい
相田みつを  |
「人生」の一大事因縁とは「生老病死」です。人は誰でも、生まれたら老い、病み、そして寿命を迎える。長命ならば人生経験も多いのですから心やすらかになりそうなものですが、かの始皇帝も不老長寿の薬を求めて日本にも側近徐福を遣わした。その「生老病死」の一大事因縁は昔も今も変わりません。他人の死ではなく、誰であっても必ず自分の「死」を迎えるのですからごまかすことができなくなるときが必ずくる。「生死」とは人生の「いのち」ですから、「死」とは縁起の悪い話しではなく、因縁によって生じたものは、また因縁によってよって滅するという「縁起」の話なのです。
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| 十二の滝 平田町 |
さて ・・・ 道元禅師の仏法を慕うその良寛さんの話をしましょう。良寛さんのおられた五合庵に泥棒が入った。しかし、何も盗るものがないので泥棒は困った。そこで良寛さんはわざと寝返りを打って自分の布団を持っていきなさいと思っている人です。クシャミをしたいが、あまりに早くクシャミをしたら泥棒を驚かせてしまってもいかん。そこで遠くに行ってからクシャミをした。とか・・ その時の良寛さんの句に
「盗人に取り残されし窓の月」 −− 俗なる欲に少しもとらわれていない澄んだ心境がうかがわれます。その良寛さんが大地震に遭った親類の者に、災難逃れの法はないかと聞かれたのに対し 「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。 是はこれ災難を逃がるる妙法にて候。」と返信されました。 災難や死に直面しても逃げずにしっかり受けとめるしかないとする「今」の生き方を示す、こんなに霊験あらたかな呪文はありません。只、注意すべきは「諸行無常」もそうなんですが、他人に向かって上から目線で使う言葉ではないことを申し添えておきます。
良寛さんはその病状からみて、今日でいう大腸ガンであったらしいのです。つぎのような歌があります。「言(こと)に出て言えばやすけし瀉(くだ)り腹 まことその身はいや耐えがたし」。くだり腹とは下痢のことです。大腸ガンならば一日に十数回トイレに駆け込み、膝も体もガクガク、フラフラ、身体中が冷や汗でびっしょり、ただただ腹痛にころげまわり、トイレに行くことさえままならなかったかもしれません。既に、心理的不安は解消されておられたでしょうが、身体的な苦痛はなかなか厄介な事実でもあったでしょう。それをすべて承知されていた愛弟子貞心尼が師侍され、看病してくれる貞心尼と歌を詠みあうのです。師の臨終の時に貞心尼が、「生き死にの境離れて住む身にも 避らぬ別れのあるぞ悲しき」とうたい、良寛さんは、「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」と返歌されたそうであります。
ところで、江戸時代の博多の仙崖さんという和尚さんが床に伏した。弟子が最期の教示を乞うたら「死にとうない」と言われたという。それに対し、ある有名な仏教評論家が「悟られた禅僧たるものが・・」と嫌悪の論評をされていました。 しかし、驚愕動転しているのであればともかく、禅の先達は「苦しかったら、うんうん苦しんで死んだらいい、死ぬときまで自分を飾らぬがいい」と示される。信心の無い大泥棒でも泰然(見かけ上)として死ぬ人もあるかもしれないし、たくさん坐禅した人であってもつらい病であれば見かけは泰然とはいかない場合もあるでしょう。それに、現代医療にあっては自分の死を迎えるにあたって、それを自分で意志決定したり、自然にいのちの炎が燃え尽きるという形を望むのは難しくなっている。古人に倣って坐禅の姿で逝きたいと思っても、アルツハイマ−かなんかで無心の境に遊ぶことになるかもしれない。それが人生というものでしょうから修行が大切と思うのです。
先の仙崖さん「死にとうない」の言葉に「禅僧がそんな見苦しいこと言ってはまずいですよ。もっと立派な言葉を・・」と弟子達がもう一度お願いしたら、微笑んで「ほんまにほんまに」と云われたとか・・。自分の死に対して、素直に且つ平然と、あの手この手の雑念を働かさないすばらしい僧だと私は思います。いわゆる迷悟・尊卑・勝ち組負け組など二元対立の見解は自己の問題ですから、他人の評価で決まるものでもないでしょう。
死に対する拙僧はどうなのかという質問がありました。
いつどのようになるものかはわかりませんが、どのようになろうともありのままの自分を受け入れるしかないでしょう。自分自身が認知症になっても「すまんねえ、よろしくな」「ありがとう」を忘れないようにというのが目標ではあります。しかし、テレビドラマのように、「ありがとう」と言っておだやかに息を引きとる人は、そう多くはない。それを念頭に置いて、「いつ死んでも悔いは無い」と心が据わるような「今」を生きていくことを忘れないようにしたいと思っております。
一休禅師の道歌を紹介します
本来もなきいにしえの我なれば 死にゆく方(かた)も何も彼(か)もなし
やきすてて灰になりなば何ものか 残りて苦をば受けんとぞおもふ
拝借申す四大五蘊 お返し申す今月今日
柳は緑花は紅 行脚事畢 今日時節 錫杖子を折り 六月の雪に焼く
最後に、道元禅師さまの歌集である「傘松道詠」の中から一句ご紹介します
此心(このこころ)天(あま)つ虚(そら)にも花そなう
三世(みよ)の仏にたてまつらなん
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| 万助大カツラ 真室川町小又 幹周約18m(全国第3位) 樹高約35m 樹齢1000年以上 平成20年秋撮影 |
妻の好きな話2題 |
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