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こんな投機予想詐欺がある −−「小麦・豚肉、大豆の値段があがりますよ」という電話がかかってきた。「でもあなたが投資してくださる必要はありません。ただ当社の調査能力を見てほしいだけです。ちゃんとみててくださいよ」という話から始まる。数日後、大豆などの商品価格が上がる。それから数日後、電話があるが勧誘はしない。「うちの会社と投資していいと思われるかどうか、時間をかけて判断していただきたいのです」−−そして、予想はまたしても的中する。三度目の電話を受ける頃にはその投資家を信じてしまい、大枚はたいて投資するが・・ 詐欺師は入金を確認したら隠遁の術!
そのメカニズムは−−電話帳などから千人に電話をかけまくる。五百人には上がると言い、あとの五百人には下がるという。二度目の電話では当たった五百人の半分には上がると言い半分には下がると言う。かくして、二百五十人のカモリストができあがる。
悪徳商法は「今のままでは損をしている。これに出資すれば確実に儲かる」というエサに飛びつくカモを求めて、いつの世でもあの手この手で近づいてくる。
驚くことに、田舎の和尚にも金融商品のいろいろな誘いが入る。ところで、投資や投機の仕組みも理解できていないのに頬をゆるめると・・・。「だいたいの人が儲かっているんですよ!」「私を信用してください!」「言ったことは必ず守ります!」などと巧妙な口車に運用知識も乏しい顧客は乗せられてしまう。金融のプロにしても助言を与えるのは簡単だが自己の投機判断となると容易ではない。バーチャルの証券ロボコンでうまくいっているからといって、実際のマーケットでの運用がうまくいく保証はどこにも無い。会社を応援する情の投資家は応援したい気持ちはあるが、投機とは利益や元本が保証されるものではないから覚悟が必要です。人生には三つの坂があるという、一つには上り坂、二つに下り坂、もう一つが「まさか」、この想定外のまさかを考えておかなければいけない。まさかに遭ってから「あいつがこんな商品相場の話さえもってこなければ・・・」と憎しみ、殺してやりたい衝動にかられたとしても ・・・ 如何ともしがたい。あやしいと判ってはいても、警察力に頼ることもできない。警察は損失が発生してから動くものであり、前もって禁止や予防処置はできないのです。肝心なことは、ひとりひとりが騙されないようにすることしかありません。自分で判断がつかない時には、家族や友人、知人に相談してゆっくり考えることが大切でしょう。
自分に売った証券会社の社員の家に何年もいやがらせの電話をしてつかまった主婦の事件がありましたが、自分が下すべき決断を他人まかせにするからそんな事件になるのでしょう。
慶応義塾大学経済学部教授の金子勝さんは、バブル崩壊の予測などを的中させた方で、経済動向を見る目の確かさには定評があるそうですが、金子さん自身は株をやらないそうです。曰く「大儲けができるでしょうと言われるけれど、損得がからむと絶対見誤る(笑)。したがって、僕はやりません。しょせんマネ−ゲ−ムは莫大な資金と情報網を握っている連中が勝つ構図なんです」と。
マネーゲームは人工的な金融商品と人工的な価格と人工的な格付け機関によっていろいろな波が発生する。故に「絶対に儲かる」投資の公式など無いに等しい。ノーベル経済学賞学者がコンピューターを使って緻密に計算したとしても市場は思わぬ方向に転換する。釈尊は「占いや確率論を人生のよりどころにするでない」と教えられるように世は「無常」です。株で儲けるには、株が安いときに買って株が高いときに売ればいいことは誰でもわかる。しかし、これを実行するには世間の人気に反して行動することが求められる。「右を見て左を見て皆が買うから買う」とか「どこまで下がるか不安だから売る」を繰り返すのでは証券会社がよろこぶだけ。危なくないようにと分散投資をしたところで利益と損失の相殺がいいところ。幸運にして少し儲かったとしてもギャンブルや投機の世界にはゴ−ルが無い・・・。それより、いつも株価ばかりが気になるようでは「今」がまったくおろそかになる。いつも金熱におかされていれば他に目を向ける余裕も無く、損をしていればいつも自分を拷問にかけておくことにもなりかねない。株価がちょっと上がったからとよろこんでいるようであっても、・・・「酔っぱらっている」状況と大差はない。
翻って、世間には、そんなにお金持ちではなくても幸せに暮らしている人は大勢いる。衣装持ちほど着こなしがヘタとも言われるが、限られた服を上手に組み合わせて着こなしている人こそ「いいセンス」「ファッショナブル」と思うのです。「豊かな人」とは収入の如何にかかわらず収入に応じながら生活を充実させているもの。 一方、一流大学経済学部を優秀な成績で卒業し企業手腕がすごくても、生活が派手、思いこみなる執着により泡露いなずまの如く消える「まさか」はいくらでもある。
小口の話しでもそれは同じ・・新聞折り込みには「持つだけでアッというまに驚くほどの大金をもたらす」「お金の不安や悩みはどこかへ吹き飛ぶ!」「次々とお金が舞い込む開運財布!「風水御利益サイフ」、この財布を使った途端に宝くじが大当たり、パチンコ、懸賞、ナンバ−ズ、病気は直って、会社じゃ昇進、収入倍増!更には「効果がなければ全額返金!」「90日間のお試し体験実施中!」
財政が悪化すると尚更であるが、御利益のエサに弱いのが凡人。ところが開運財布を使っても、金運も昇進も良くなったように思えないからと販売元に問うと、「返品はご自由ですが、その財布を手放した途端にいきなり不幸に見舞われたとしても当方は関知いたしません!」
「達磨大師の観想学」などと祖師の名を語っての商法もある。肩書きや超自然的神秘的なものに惹かれる気持ちはわかるが、自分が乱れていれば運も調子も狂ってあたりまえ。けれども、それは風水以前の問題であり霊障でもなんでもありません。
「他人に迷惑をかけてはいけない」という道徳規準も「他人の迷惑にならないことは何をしても良い」と解釈する若者もいるが、無意識的なのか・・。 超人気番組の中でも「情けは人の為ならず」ということわざを、「他人に情けをかけるのは、その人の為にならない」とか、「人に親切にすると、甘やかすことになって、かえって為にならない」と答えていた。あくまでも「他人」の問題としてしか受け止めていない。
道元禅師は「而今の現成」(にこんのげんじょう)「有時の而今」(うじのにこん)、つまり、「永遠の今」として「いま、ここ」をつかんでいくことの大切さを繰り返し懇切に説かれていますから、「而今」という、「いま」「ここ」での人への情けとは「いつか返ってくる」ということではなく、「今」のそのままにおいて真実を見る。すなわち「而今に為すいまの現成」と解釈すべきでしょう。
人の為と書いて「いつわり」です。ライバルやパ−トナ−も含めて仲間に感謝し利益を分かち合う姿勢であれば、当然パ−トナ−は更に頑張ることとなり自分の取り分も増えていく。「まず人(社会)の為」、そのような心でおつきあいすれば、当然信用ができ「おなじみさん」も増えるでしょう。結局は自分の為にやっていることになりますから人の為と書いて「偽り」なのです。 畢竟、地位とは特権ではなく責任です。宗教の人生観とは何を成したかではなく、どのように生きたかということです。ここがブレると、「人(社会)の為」のつもりが「自分(会社)の為」となって「あだ花」となるのです。
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| 巨釜 宮城県 唐桑町 |
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