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世の中には、中古自転車で健康を楽しんでいる人もいれば、高級車に乗りながら不満足に悩む人もいる。お茶と漬け物で人生をありがたく暮らしている人もいれば、上等な食事に高価なお酒をいただきながら喜びを得ない人もいる。けっして恵まれた境遇ではなくても、花を楽しみ、名月をめでる人もいれば、何不自由ない恵まれた生活をしながら苦虫を噛みつぶしたような人もいる。
こんな問答があります。
「人生に楽しみをもたらすものはなんですか」
「苦」
「では、苦しみをもたらすものはなんですか」
「楽」
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| H17年 町内にて撮影 |
「極楽」という言葉もあるように、仏教とは「楽になるための教え」であるともいえます。しかし、「何もしないでうまいものが食える、好きな酒が飲めれば極楽よ」などというような極楽ならば、うまいものが食えない、好きな酒が飲めなくなったら
・・ 途端に奈落に転落する。
仏教では苦の原因とは「自分自身」、その根元は「貪瞋癡」(とんじんち)の三毒と説示します。貪(とん)とはむさぼりです。足るを知らなければ「欲しいから手に入れた」と満足できるのはほんの短い間だけになる。瞋(いかり)とは、目をつり上げ三角にしての恨みねたみです。癡(ち)という字は、疑うという字にやまいだれですから、道理や真理が理解できないおばかさんのこと。
幽霊の話題は日本では夏ですがイギリスでは秋の話題らしい。ホテルや怪奇な場所での幽霊ツア−、ビクビクしながら幽霊はいるだろうか、いないのだろうか・・ その場所で幽霊を感じた人は半数近くいたが、結局は未確認とのNHKニュ−スがありました。 近隣のお寺さんの迫力ある特大幽霊画が山形新聞に掲載されました。この日本の伝統的な幽霊には3つの特徴があります。
1.髪を後ろに長く引いている
2.両手を前に垂らしている
3.足がないこと
髪を後ろに長く引くということは、「あの時にこうしていさえすれば・・」「あの時にこんなことをしていなかったら」と過去の出来事にいつまでもとらわれる。両手を前にたれているのは、ここから逃れたい、ああしたい、こうしたいと、先のことをあれこれ考えすぎる。足がないというのは、今自分は何をしたいのか何をしていいのかがわからない。悲観的な思いにとりつかれて動くことができない。「今・ここ」を取り逃がしているから、思いは過去や未来に飛び、腹を立て悔やみ叶わないような望みに「ウラメシヤ」となるのです。
「一切唯心造」(いっさいゆいしんぞう)という禅語がありますが、不安や悩みとかいっても、悩みは自分でつくりだすという意味です。未来を決定するのは「今の自分の生き方」なのだということを忘れてはいけません。
ところで、あなた・・・ 幽霊は感じられますか?
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| 山形県花 紅花 H17年撮影 |
「心ここにあらざれば 見れども見えず 聞こえども聞こえず」
妄想とは自分の考えにとらわれていることですが、自分が自分にだまされるようなもので自分では妄想とは思ってはいないもの。人間とは自分自身の選択を正当化しますから、いとも簡単に思いこんでしまうところがあります。「信じていないはずの幽霊を実際に見るようなもの」かもしれません。
釈尊の教えは「人生は苦である」ですから、気に入るばかりの人生などありえない。救われるというのは苦がなくなることではないのです。世間では希望や夢を持てといわれるが、あてのないものをあてにしたら外れる。理想を持てといっても理想どうりにはいかないのも世の常故に、理想というような予知夢に惑わされず、「今」をしっかり見つめ、為すべきを精一杯為すということが大切でしょう。
沢木興道老師は「釈尊もわれわれもちっとも違わないのに、いつのまにか錯覚を起こして、釈尊は偉いし自分はつまらないときめてしまっている。最もつまらないことは、自分をつまらないと思うことがいちばんつまらないことである」と云われます。「自己が自己を自己で自己する」と示される沢木老師から見れば「今に成りきれない」ならばそれこそ「幽霊」ということでしょう。
たび重なる攘夷の失敗と幕府による長州征伐、元治元年(1864)は長州藩にとってまさに冬の時代でした。この閉塞情況を打開したのが幕末の風雲児、高杉晋作です。晋作と望東尼は孫と祖母のような年齢の差がありましたが性が合ったのでしょう。望東尼は勤王の志士を庇護した科により玄界灘の姫島に遠投されますが、晋作は望東尼を命をかけて救ったこともあり、晋作が重い結核を罹った時には逆に望東尼の看病を受けることになります。 晋作がいまわのきわに、「お婆さん筆と紙を取ってくれ」そして、うつむけに寝たまま「おもしろきこともなき世をおもしろく」と書いたものの、「お婆さんそれから後を書いてくれ」と言う。そうすると野村望東尼がそのあとに「すみなすものは心なりけり」と下の句を付けたそうです。
『 おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり 』
「お婆さんは、うまいな− 儂が思っていることと同じだ」と言ったという。これが高杉晋作の辞世の句となったようです。幕末を疾風のように駆け抜けた希代の英雄、慶応3年(1867)享年29歳でありました。
・・・ ここのねらいを忘れたくないものです。
『 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり 』
これは道元禅師の御歌です。
しっかりと自分のおかれた環境に腹を据えればいつでも好時節となるでしょう。冬だけがすずしいのではないのです。 こころがすずやかなる時には、目に入るもの耳に開くもの身体で感ぜられるすべてのものが驚くほどにみずみずしく受けとめることができる。木立の蝉時雨の中を歩くだけで季節を肌で感じることができる。それが、ある日から虫の声に変わったことにも気づく。天候や朝夕の微妙な風の感覚の違いを肌で感じる。冬がくれば潔く葉を散らして木枯らしに耐え、そして時を待って暖かくなれば一斉に芽吹かせてすばらしい花を咲かせる木々のように、寒いときには耐えることも生きることですが、耐えて生きる、その時、その中には既に大いなる楽しみが内在しているものでしょう。仕事も子育てもそうです。病気であっても、今日は起きられた、歩けた、食べることができた・・・と。楽しみはいつでもどこでも我が手中にありという行住座臥となるならば有難い人生です。
自 戒 (作者不明)
つらいことが多いのは感謝を知らないからだ
苦しいことが多いのは自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは自分のことしか分からないからだ
心配する事が多いのは今を懸命に生きていないからだ
行きづまりが多いのは自分が裸になれないからだ
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