につ |
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| J.Fケネデイ−は「あなたが人生で最も重要視することは何ですか?」と問われて、「出会いである」と答えたそうです。世の中はいくつもの人間関係でできており、出会いを良好な関係に結べるかどうかは別にして、人間関係で人生は大きく左右されます。結婚でも「いい人」に出会えればいい人生になるといえるでしょう。では「いい人」とは?・・ 恋人として魅力的であっても夫婦としても同様とは限らない。相手が一流のシェフであっても自分の料理を笑顔で食べてくれないならば幸せな気持ちにはならないでしょう。ところで、結婚相手の条件というアンケートによれば上位3位は、一番が性格で人間性がいい。二番目が一緒にいると楽しい。三番目が価値観が一致しているというのが男女共通の条件のようです。これを拙僧風に簡単に言うなら −− 明るく挨拶できる、ほめることができる、聞く力がある、約束を守る、失敗したら素直に謝る・・ような人であれば1.2番はおおよそ、いい・・のではないかと思います。 三番目の価値観とはビジョンともちょっと違うでしょうが、自分の人生何を目指し何を大切にしているかとなるでしょうか。人間の性格は内因性、外因性、心因性によって形成されるといいます。惹かれ会っての縁であっても、内因、外因、心因も無常です。自分勝手で自己主張が強い資質を持った相手を好きになったら、よほど慈悲深い仏のような心でなければ添い遂げられないでしょう。やさしい・おもしろい・身なりがいいというだけではなく、ものの考え方、「今」の生き方を識別する能力が必要なのです。 ![]() ※ 厄介な縁を防ぐチェックポイント・・ 話し方が「感情的」で「否定語」になる (ネガテイブ思考であれば、感情表現も否定的になってしまう) 気分が悪いと長時間無視する (黙るというのは、自分の中に閉じこもること) ライバルの悪口をいう (嫉妬は危険な感情で、悪口も過激になりやすい) 失敗してもあやまれない (素直で前向きな心なければ失敗が本当に失敗になる) 結婚しない若者たちが増えている問題の背景には経済情勢もあるとは思うのですが、裕福で理想的といえるようなカップルがアッという間に別れる訳は何なんでしょうか・・・ 「恋人ができれば気を使うじゃないですか!・・ 趣味に時間を使いたいので・・」「一人のほうが楽ですよね、家にいてほしくないし・・」という草食系というより偏食系は、恋人がほしいいらないの問題よりも、まだ・・人間性の根幹たる自己に気づいていない。 それはともかく、すぐに離縁するようならば、もともと相性が悪かったといえるかもしれない。逆にいえば、この相性がよければ小さな問題などはなんとかなるでしょう。相性とは性質と息が合うかどうか、相性が合うとは、欠点を含めた相手の個性を好ましく見られるということでしょうか。人にはいろいろな資質がありますが、本質的にあまりにも違いすぎると、あらゆる面で振りまわされ厄介な関係になってしまいます。 「目は口ほどにものを言いません。言わないで伝わることはない」という帰国女性識者の主張がありましたが、「視線で納得させられなければ、唇で説得もできない」とオーストリアの劇作家、フランツ.グリルパルツアーが明言するように、人柄は言葉の内容よりも表情や態度にこそあらわれる。人柄とは「話すこと」だけでなく、「聞く」姿勢そのものも自己をすべて表しているものです。言葉の内容だけでなく、「目で聞き、目で云う」ことでなければなかなか相手には伝わらない。反対に、「ばかなやつだ」と相手を見下す心があれば、お世辞を言ってごまかそうとしても必ず態度に出るもので、特にまなざしに表れる。否定的な思考が否定的な感情を生み、肯定的な思考がおおらかなで優しいまなざしを生むのです。 幸せは笑顔というかたちで表れる。幸せな人とは、挨拶をする、料理、掃除、歯を磨く、顔を洗う、食べる、相手との会話 −− そういった何げないことを、あたりまえに穏やかに行なっているものです。相手が失敗した時にも、「失敗の経験が最後には上手くなる秘訣だよ」と受けとめ励ます言葉となる。話すことが得意でなくても「聞き方が上手」であればいいが、わけもなく無表情で否定口調やねたみ話しが出るようではまずい。二人の中で、家の中でブツブツ言っている分には他人にはわからない。自分がしっかりしていればそれほど問題にならないのではないかと思われるかもしれませんが、なかなかそこが悩ましい。相手に良き関心を持つことと、携帯や友達チェック等に関心を持つこととは関心の方向が違う。価値観の押し売りみたいに、「そうじゃなくて」「それは違うでしょ」「本当に自分勝手なんだから」というような口調が多かったり、ブランド装飾に身を包んだ同じ相手に「なによあの人」と冷たい視線やねたむ話がよく出てくるなど、自分の好きな表情より気になる表情が多いようなら注意したほうがいい。真面目そうで控えめそうであっても、ちょっとしたことでいきなりムッツリ黙ってしまうことはないか。そのような・・傲慢な良い男?や良い女?を乗りこなすには財力と高度な人生技術も必要となる。否定や言い訳が多くて話しがはずまないようなら自分の感覚を信じたほうが無難かもしれない。結婚すれば、子供の数、教育方針、金銭感覚、こづかいや趣味への理解、親や近所づきあいなどなど問題は山積するのが人生です。 とはいっても、人間とは矛盾の中で生き、程度の差こそあれ誰でも自分勝手なところはあるものなのですから、忍辱と前向きな思考でのぞむことは、幸せに生きる為には是非とも必要な修行です。 「侮辱さえも忍ぶ」という「忍辱(にんにく)」は修行の中でも大切な実践要項です。この忍辱はいわゆる我慢とは違います。「我慢しなければならない」とか「私は我慢している」という気持ちで我慢すればイライラをつのらせることになる。プライドに傷をつけられたといつまでも怒っているようでは幸せにはなれない。断り方の上手な人は、断っても相手に嫌われない。それは、相手の気持ちを傷つけないように気配りするからです。上手に謝ることができない人は、人間関係を本当につまらないことで台無しにしてしまうのです。 忍辱とは自分の「イライラしやすい心を治める」為の行です。弁解などしないで「ごめんなさい、気がつきませんでした」と謝るほうが自分のストレスが少なくなるのです。忘れてならないことは、心に悪意をもたず怨みを結ばないこと。悲しみから逃げることなく、悲しみに負けることなく、悲しみに耐えることによって人生観は更に深まるのです。 「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分だけ、そして自分を変えれば相手も変わる」というのは真実の教えです。自分の思いどうりにしようとすればしっぺ返しは必ず起こります。結婚前には両目でしっかり観察するにしても、結婚したら片目をつぶる技術がかかせないと昔からいわれているように、お互い生まれも育ちも違う人間が一緒に暮らすのです。刺激的に惹かれ会い、相性も最高(o^^)o ・・のように感じても世は常に変化します。それを乗り越え絆を深めるには、自分を相手に認めさせようとするのではなく、相手を認め理解しようと努める。相手のメンツをつぶさないという気配りが大事なことなのです。忍辱行は修道者のものだけでなく、誰でもの人生における大切な修行の「道」なのです。「道」と反対の心はエゴなる「我」です。ハラをたて自縄自縛するのは「自分が正しい」「自分の思いどうりにしたい」というエゴが基であり、自分の幸福を阻害するものは「嫌いな人」という相手ではなく、自我なるエゴというのが仏の教えです。 人生は誰でも必ず壁にぶつかったりスランプに陥ったりはしますが、自分が認められたり、気持ちや意志を尊重してくれる伴侶がいれば決して自信を失うことはないでしょう。伴侶が前向き思考か否かでは精神の安定と生きるエネルギーにどれほど大きな差となるかしれない。幸せになる為に、どうか「いい人」とめぐり会えるよう祈念するのみであります。 既にネガテイブ思考の相手と結婚しているというのであれば・・・ (#+_+)\(^_^;; 「世界はあなたが考える通りにある」という言葉の如く、自己を磨きプラス思考に磨きをかけ忍耐強く慈悲深く・・・努力!いや・・修行するしかありません。修行の功徳は必ずあらわれます。 e(^。^)g_ファイト!! 一度は相性を認めた仲というのであれば、本質的に違いすぎるとは考えない方がいいでしょう。性格や価値観が違うから人間とはおもしろいのです。相手は自分とは違う見方をしていることを知り、相手の見方を受け入れることによって自分の心の垣根を取り除くことができるでしょう。 自分自身は変わらないで、相手にだけ変わることを願うのでは叶うはずがありません。自分が上司のつもりで・・相手を認め、誉め、心を開き続けること。肯定的な思考が肯定的な感情を生むのです。人間は誰しも例外なく「仏性」を持っているというのが仏の教えです。ただ、自我に振り回され「仏性」に気づかぬのを「凡夫」というが如く、仏性は宝石の原石のようなものですから磨かなければ光輝くことはありません。経験とは知識や自分自身に起こることではなく、そこから自分がつくり出すことです。自己の仏性を磨いて、自分は自分の最大の味方、最大の理解者となりたいものです。 人は不合理、非論理、利己的です 気にすることなく、人を愛しなさい マザー・テレサ(1910〜1997) |