98’9月、青森県の高校で34歳の男性教論が2年の男子生徒をひざ蹴りし、視覚障害を起こさせたという事件は、授業が始まったのに私語をしているので、数度注意したが改めず発作的にやってしまったというのです。校長先生の謝罪談話の締めくくりは「どんな理由があっても、体罰は許されない」でした。
 もちろん、国の教育規定でも体罰は認められていません。しかし、同様の事件の度に繰り返し弁明されてきた言葉ですが事件は絶えることがありません。ところで、日本社会では教育的である限り体罰を容認することがあったことも否定できません。そのような社会的な土壌があるのかもしれませんが、ひざ蹴りなどの体罰が許されようはずはありません。 けれども、教師が「静かに!」と注意すると、「うるさいのはお前の方だ!」とすごむ生徒に対して、或いは何度注意しても改めない時、教師はどう対処すればいいのか・・・。


 埼玉県教育委員会は平成10年3月、体罰防止マニュアルを作って、県内全校に配布したそうです。「授業中に私語をやめない場合」との実例を挙げて・・・。 マニュアルは「口頭で注意すること」、「体罰で教育はできない」。 これでもやめない場合は「成果を性急に求めず、息の長い指導を」と示しています。
 マニュアルには文句のつけようがありません。しかし、実際に対処しなければならない先生としては、そんな生徒を無視して授業を進めるか、個々の指導を重視するか・・それでも問題が解決しないために、落ち込んだり、キレたり ・・・ 体罰で処分される教師は年々増加傾向(平成8年は600人)という報告もあります。
 昔だって新米の時には授業が成立しないこともありましたが、しかし、いま問題になっているのは新人、ベテランを問わず起きていることなのです。「実力のある先生」と評価されていた人のクラスで、学級崩壊がおこり、心労に耐えかねた教師が休職するというケ−スが増加しています。
 

 H12.12.日、佐賀県唐津市の某中学校で、授業妨害を繰り返した3年生の男子生徒14人に対し、学校側は出席停止を通告した。昔は不登校の子供に出席しなさいという通告であったのに出席停止を通告とは何故?。−− 授業妨害を注意した女性教諭は生徒から暴行を受けた。授業後別の教員が指導のため、生徒を座らせようとした際、腕をつかんだまま転倒し生徒が負傷、教師は県教育委員会から戒告処分を受けた。これ以降、学校側は強い指導ができなくなった。その結果、生徒からは「何をしても先生は手を出さない」となめられるようになったと学校関係者の弁。注意する教師を「キレた」「ムカつく」と言いながら、グル−プで取り囲んで罵声を浴びせたり、けったりすることが日常的になった。教員の乗用車がへこまされ、携帯電話の授業中の使用や服装の乱れ・・ そして学校側は、手に負えない状態に対しての出席停止を通告。 ちなみに出席停止とは、学校教育法で定められた処分で、市町村教育委員会が決定するものです。
 もちろん、出席停止で決着するのは本来の教育ではありません。一方、故意でもない負傷によっても直ちに処分を受けるのであれば、現場の担任教師や指導教員のストレスは大きなものでしょう。
 それではどのような手段を講じたらいいのでしょうか。

 
1.学校教育法  11条
「校長および教員は教育上、必要があると認めるときは監督庁の定めるところにより、学生・生徒および児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」
2.学校教育法施行規則  13条
「校長および教員が児童等に懲戒を加えるに当たっては、児童等の心身の発達に応ずるなど教育上必要な配慮をしなければならない。」

3.法務庁長官通達  児童懲戒権の限界について:教師の心得(要約)
1.身体に対する侵害を内容とするもの、殴る、蹴るの類は体罰である。
2.生徒に肉体的苦痛を与えるようなものも体罰である。しかし、その場合、生徒の年齢、健康、場所、時間的環境など種々の条件を考えあわせて、その肉体的苦痛の有無を判定しなければならない。
3.放課後、教室に残留させることは体罰にならない。しかし、合理的限度を超えれば監禁罪になる。その合理的限度とは非行の性質、性行、年齢、留め置いた時間の長さなど一定の条件を総合的に考慮して通常の理性をそなえた者が判断することを標準とする。
4.用便に行くことを許さないとか、食事時間を過ぎて長く留め置くことは体罰に該当しよう。
5.授業に遅刻した生徒に授業を受けさせないことは許されない。
6.授業中、喧嘩その他ほかの生徒に妨げになるような生徒を、教室の秩序を維持するために室外に退去させることは許される。
7.懲戒の方法として学校当番を多く割り当てることは、合理的な限度であれば許される。 


 要するに体罰とは「ひざ蹴り」はいうまでもなく、身体に侵害を加えたり社会通念上許されない肉体的苦痛をさします。しかし、傷害を与えない程度に軽く叩くなどの教育的配慮にもとずく行為は許される(法的には)ものと解釈できるでしょう。ただし、心身の未発達な生徒の場合などは慎重でなければならないことは申すまでもありません。
 茨城県の小学校では卒業式の練習中に、私語を注意しようとした教諭がたまたま咳をした6年生の男の子を足でけり右腕を骨折させた。無視されたと勘違いしたらしい。大阪市旭区のある小学校では、男性の校長が林間学校で就寝前の指導中、自分への暴言と勘違いして児童を逆さづりをしたという事件もありました。冷静さを失ったとは言っても、「過失」や「悪ふざけ」「不注意」には個々の資質がからみます。
 この資質の問題を含めて考えるには「児童福祉施設等における虐待防止マニュアル」が大きな参考になります。

1.児童が職員の指導に従うのは当然と思っていないか。
2.児童が反抗的な態度を取るのは、児童が悪いからと思っていないか。
3.児童が指導に従わないのは自分の指導力不足とは関係が無いと思っていないか。
4.自分の指導が一番いい指導であると思っていないか。
5.自分の強いところを見せておくと、他の児童にも自分の権威が保たれると思っていないか。
6.集団生活の管理の視点のみによって児童を動かそうとしていないか。
7.児童の気持ちを考えずに自己中心的な指導をしていないか。
8.自説に固執し、同僚などの意見を聞き入れずに指導していないか。
9.児童に要求したことを自ら守らないことはないか。例えば「時間を守れ」と言いながら、自分が時間にル−ズではないか。
10.児童は職員の言動が常に一致しているかを常に見ている事を自覚しているか。
11.児童の性格や個性を考えて指導しているか。
12.児童には一人一人発達段階に差があることを考慮して指導しているか。
13.指導の具体的な場面でカッとしてしまう自分の感情を、冷静にコントロ−ルしているか。
14.指導したことを児童はすぐに実行すべきだと考えていないか。
15.言葉による指導よりも力で従わせるほうが効果があると考えていないか。
16.指導力不足を威圧や腕力で補おうとしてはいないか。
17.自分が過去に受けた体罰等力による指導を肯定していないか。

 松原泰道老師は「ひとの短所や欠点は、上手に取りつくろってあげるようにすることが大切である。それをあばき立ててあらわにするなら、それは自分の短所や欠点でひとの短所や欠点を責めることになり、とても他者を改めることは不可能である。また、気質の頑固な人には、よく教えさとすことが肝要である。もしも、こちらが怒って憎もうものなら、こちらの頑固を更につのらせることになり少しも解決しないだろう」と説示されておられます。
 山本五十六提督は「やって見せ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」
 重ねて同様の例えをいくつも出すのは教育の基本を見据えたいからです。教師が「静かに!」と注意すると、「うるさいのはお前の方だ!」とすごむ生徒に対して、その生徒の人格をどう受けとめるかという教育理念を提示したいからです。 「先生と子供の人間関係」「家庭の中での人間関係」が子供にとっては最も大事なことです。この人間関係がうまくいっていれば、子供をよりよく伸ばしていくことができるでしょう。
 人生いろいろ、子供もいろいろです。口では反対のことを言うようでも必ずしも否定にこだわる必要もないし、「はい」と答えたとしてもかならずしも肯定というわけでもない。盲動でもなく無関心でもない姿勢の中に、自分中心ではなく相対的にとらえ、相手の意志の自由を認めている主体性のある自分を見据えた教育理念が見えてくるのではないでしょうか。