ウツの兆候とストレス解消法
川原毛大湯滝  平成16年初秋

 健康とは、身体的、精神的、社会的にも満たされている状態といえるでしょうが、四苦八苦の人生で全て満たされている人など・・ いないでしょう。好きなゴルフでも、接待ゴルフともなればそれ自体がストレスになることもある。そんな百人百様の自我なるストレスに、「解消法」とは妄想みたいなものですが、おつきあいのほど願います。 
 和尚のお薦めリラックス法は・・・ ゴロ寝。 −− 冗談です!
 いいゴロ寝ならばこれまた快適なものですが、リラックスも過ぎると疲労感が増すだけで心の疲れはとれません。肉体的な疲れは寝れば回復しますが、脳だけが疲れると寝ても疲れはとれないどころか寝ようとしても眠れなくなったりと奇妙な疲れ方をしてしまう。脳の疲れには運動や好きな映画を見にいくなど行動する方がいい。絶叫マシ−ンやバンジ−ジャンプなどがそのいい例になるように、人はストレスに苦しみもしますがストレスを求める傾向を持っています。適度なストレスというのは「今」を頑張る人間にとって必要なものでもあるといえるでしょう。
 今、あなたが、睡眠をいくらとっても疲れがとれない。熟睡できずに朝起きた時に元気が出ない。何事にもやる気が出ないというのであれば生活リズムを変えてみたらどうでしょう。今の生活習慣を変えてみる。今の生き方を見直すということになります。習慣は思考や経験の繰り返しによって定着するものですから、この思考をコントロールできなければ悪循環は絶ち難いでしょう。
 綾小路きみまろ氏は「人生、顔形ではありませんよ、人生で大切なのは・・見た目!」と笑わせていますが、この“見た目”には本当に心の状態があらわれるものです。 ウツの症状のひとつに、身だしなみが悪くなるというのがあります。ヒゲが伸びても気にならない、女性ならメイクアップに関心がなくなる、部屋が乱雑になっても平気になるなどです。こうした意識を逆手にとって、元気が出ない時には部屋の片付けや不要な物は捨てて掃除を試みる。意識的に仕事や遊びの身だしなみにもメリハリをつけてみる。ちなみに、玄関・トイレ・お仏壇はきれいですか? この三ケ所を見れば、その家の状態は何となくわかるものです。「人間、外見じゃなく内面が大事」などといわれますが、外見を磨き調えることで内面も自然に調えられるものです。もっとも文殊菩薩は乞食の格好で現れるといいますし、詐欺師は詐欺師に見えないとも言いますから、あまり「見かけ」にもとらわれないように・・。

 脳生理学者の佐藤富雄先生は「足早で15分から20分歩くとβエンドルフインという爽快物質が分泌されて「わくわく」してくる。さらに25分歩くとドーパミンが分泌されて「やる気」がみなぎってくる。これが夢や希望の源になるんだよ。歩きながら音楽なんか聞かないで、黙って45分歩いて、脳の声を聞きなさい。さらに40分歩き続けると、今度はセロトニンが分泌されて、夢の実現の方法をひらめかせてくれる」といいます。
 昔からわかっていることですが、無心に歩くだけでも「ウツ」なる「厄」を落とせるということです。厄が汗となってジワジワ出るぐらい歩く。余念無く体を動かして脳を調和させていく。頑固な厄でも四国88ケ所を昔のように歩いて巡礼するならば「厄」は落ちるのです。日中に身体を動かさないと生態リズムにメリハリがなくなり自立神経も乱れ快眠できません。そんな乱れを正すべく夜更けまで仏教のネットサ−フィンをする。けれども、そのあまりに広く深いのにため息をついていては生体リズムは崩れます。仏教を学ぶ上で大切なことは、学問的に学ぶのではなく自分の姿勢と呼吸を調える為に学ぶのです。 

 ストレス解消には「好きなこと」をするというのが基本でしょうが、本山流儀を採りいれて早寝早起きをしてみたらどうでしょう。疲労には不可分の法則というか原因があります。充実感がないことと日常に流されることが疲労を倍増させるのです。いつもより30分ぐらい早く目が覚めたときなど「まだ早い、もっと体を休めなきゃ」と二度寝をすると逆にスッキリ起きられなくなります。睡眠にも体のリズムがあるからです。一日の初めに体を調えるてっとり早い方法は日の出の頃に外気にふれること。早く目が覚めたらそのまま自分の為の時間を作ってみる。早朝のウオーキング、笑顔で挨拶を交わす。猫に声をかけ庭の草花に声をかける。花に水をあげることも、肥料をやることも幸福、そんな自分を客観的にみることができれば呼吸が調います。
 そのようなこともやってみた。がんばったけれどももうがんばる気力も限界!という人 −−
 ウツ症状はかなり重いようですが・・・、道を求める志しがあるなら大丈夫です!
 ウツ病になるような人は、家族の中では誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで働きながらも充実感を感じられない真面目過ぎる人に多いのです。真面目なのは長所ですがネガテイブな真面目ではいけない。やる気の喪失や、疲れているのに眠れないのは結局、自分が自分に満足できず自己実現できないことへのいらだちです。それこそ自分なりにがんばってがんばって、その結果ウツになるという側面もあるのですから、同じパターンでがんばっても悪循環で傷つき倒れるだけ、がむしゃらに頑張っても方向が間違っていれば満足感は得られません。元気な挨拶や「ありがとう」「ごめんなさい」の一言でも現状は変わるのに、それが言えずに憎しみわだかまった状態で頑張るから周囲と乖離し気力を消耗するのです。

 人生、何もしたくないときもある。そんな時、頑張れない時は頑張らなくていい、何もしたくない時は何もしなくていい。けれども決して投げ出さない。それを念頭に置いて、本当に心が疲れているなら「休むこと」です。基本的にまちがった脳の働きではいくらがんばっても解決できるはずもない。思い煩うことなく今まで一生懸命頑張ってきた自分へのご褒美のつもりで有休をとってでも休むことです。ごろ寝はだめといいながら矛盾するようだがそうではない。ごろ寝もいい、昼寝もいい。ウトウトとするだけでも極楽極楽。人生決して倒れないというのが望ましいわけではない。倒れたら起きあがり小坊師のように起きればいいのです。
 「七転び八起き」「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁が馬」、いずれも悪いことや失敗があっても精進していれば必ずいいこともあるという喩えです。世の流れや物事の道理とは自然とそういう仕組みになっているように思える。過去の解決できない悩みにいつまでも考え沈んでいても何の意味もない。幸せになる為には「今」を如何に活かすか、為すべきは「今」を如何にプラスに転じるか。仏法でいう「あきらめ」とは絶望的な放棄ではなく、過去に学び前向きに生きる為の積極的な姿勢のことであり、自己を客観的に観る為の教えです。

蔵王温泉 大露天風呂の一部分

 温泉もお薦めです。「ツキがなくなったら吉方位の温泉に行け」という言葉もあるくらい、温泉はストレス解消や厄落としには大きな効果があるようです。蔵王の大露天風呂は渓流を利用した天然大岩風呂で男子風呂だけでも70人ぐらいはゆっくり入れます。大自然の中でゆったりと身体を温泉にゆだねる・・、湯から上がって涼風に身をゆだねる・・、ゆったり雲を眺めているだけでも・・ もう何とも言えません。
 自律神経には交感神経と副交感神経がありますが、交感神経が働くと緊張感が増して働く気力は出るが、緊張し過ぎると逆に食が細くなったり夜眠れないとかいう症状がでてきます。逆にリラックスし過ぎると気持ちがたるんでしまって、達成感や充実感が無くなりその憂いによって気力が低下する。この自律神経が崩れると、眠れなくなったり、神経が過敏になったりと奇妙な疲れ方になってしまう。自律神経とは緊張と弛緩、動と静、活動と休息などのバランスをとって身体を守ろうとしていますが、イライラが続くと自律神経のバランスがあっという間に崩れる。熱い湯は交感神経が働き、心拍も活発になり血圧も上昇し気持ちも緊張しますから朝風呂にはいいでしょうが、ストレス解消のためのお風呂であれば、ぬるめのお風呂にじっくり入るほうがいいようです。
 蛇足ながら、米国の食品医薬局(FDA)は今まで発売されている80以上の抗うつ剤の効果を再調査したところ、50%は効果が無く、30%は偽薬、実際に効果があったのは20%だったという研究報告がありました。うつ病薬として日本で販売されているルボックス、パキシルなども吐き気、疲労感、性的障害等の副作用があり、問題とすべきは60%位の人に再発があるようなのです。再発率から考えれば抗うつ薬SSRI、SNRIなどの薬はうつ病を根本的に直す薬ではなさそうです。薬には一時的に興奮やイライラを鎮める効用はあっても、根本的な心の不安を無くすものではなく、逆に副作用として精神活動全体が抑制されてしまい思考力や活力さえも失ってしまうようです。

須川温泉 栗駒山荘  眺望抜群の露天風呂 平成17年秋

失敗が人間を駄目にするのではなく
   失敗にこだわる心が人間を駄目にする
 昔の人が「忙しい」という字を「心」と「亡」を組み合わせたことに感服します。忙しいという字は「心がなくなる」と書くように、余計なことを忘れて打ち込んでいる状態とも考えれば一概に悪いともいえないでしょう。反面、がむしゃらに頑張ればいいというものでもない。「頑張っているけれど、どこかおかしい」という時には黄色信号が点滅しているようなもの。精神バランスがいい場合には、人はストレスが生じると「闘争」か「逃避」の行動になるが、闘争にも逃避にもエネルギ−が作用できずに無気力になってしまう場合もある。心身共に健康ならば忙しく働くことで益々エネルギッシュになるが、自分の気持ちをごまかして頑張ればストレスが過剰となって気力を消耗してしまう。 自分だけで無理に頑張ろうとしないで他人にも依存すればいい。自立と依存はバランスよく共存させてこそ力を発揮させることができるものでしょう。嫌いな人と仲良くするコツは、相手の考えに賛成するかしないかではなく、相手を受け入れるという心が「嫌い」という観念を解放させるのです。

 −− 考え方の切り替えには行動し空気を変え風を変えましょう。
 部屋の片付けや掃除ができないのは時間がないからではありません。多忙であっても仕事のできる人の机の周りはよく整理整頓されているものです。机に向かう気持ちも萎えている時には、窓を開け、机の上をかたづけて必要なものだけにしてみる。野原の花を摘んできて灰皿などに活けてみる。花を活ける知識は無くともいいのです。一輪の花を飾るということは、自身が一輪の花になるということ。机の上がきれいになったら部屋の片付け掃除をこころみる。「今を生きる」とは「今」に感応するということ。「そのうち頑張る」「明日頑張ります」では解決しません。「今を頑張らなければ意味がない!」こういう気持ちに切り換えてリフレッシュできたならば、まさに空気を変え風を変えたことになります。

 うつ病がなぜ起きるのか現代医学でもはっきりわからないということですが、うつの患者は脳内のセロトニンという物質が少ないという。治療にはこのセロトニンを増やすSSRIという薬が使われる。セロトニンは癒しのホルモンともいわれ、笑ったり、優しい言葉・接触・好きな趣味などによっても脳が活性化され、このセロトニン物質が多くなることがわかっており、病院の中で寄席などを開いて治療に役立てているところもある。「笑う門には福来たる」という諺もあるように、笑うことは身体に良いことは昔からわかっています。現在では笑いはガン予防や治療にも効果があるということも判明しています。人は笑うと体内のNK細胞が活発になり、ガンに対する抵抗力が格段に高まるというのです。悔しさ、憎さ、怒りの自分の顔を鏡で見ればその醜さ情けなさに驚きますが、何よりストレスは身体によくない。。無理にでも口角をあげて笑い顔を作れば、泣き顔よりはマシになる。顔は心の窓、苦なる人生において笑顔をつくるということは心を調える大切な方法です。「病気は否定的な感情から生まれる」とも言われる。否定に対する「笑顔」で暮らすことは人生の醍醐味ともいえる。笑顔を忘れないように明るい幸せな言葉を使うという心がけがあれば人生は確実に明るくなりますから「笑顔は人の為ならず」です。

賢者は非難と賞賛に動かされない(法句経81)

栗駒山 須川温泉

 さて、最後になりましたが、和尚のお勧めする究極のストレス解消法とは「坐禅」です。西洋的な考えでは「ストレスは発散しろ」というふうに勧めるでしょうが、発散の方向が違えば危ない。怒りは抑えれば消えるものでもないし、怒りを爆発させてガス抜きをしようとすれば破滅的なことになる。仏法の「安楽」とは、温泉に入ったり寝ころんだりすることではありません。為すべき事を当たり前に為しているのであれば、それが「安楽」といえますが、禅では最上の安楽とは坐禅のことを示します。
 現代はコンピュ−タ−による情報化で一切が数字化・バ−チャル化され便利にはなっています。しかし、頭脳イメ−ジが先行し身体感覚が後回しにされていくようでは心火が逆上します。なんらかの行動によって、ある程度妄想の世界から救われはしますが、その感情という実体のないものにたわいもなく振りまわされてしまうのです。このこころの乱れ、つまり煩悩をひっくるめていえば、コン(りっしん偏に昏)沈と散乱になるでしょう。コン沈とは心が沈んでしまうこと。憎しみが心に沈滞していれば心から喜べない。愛を求めながらも憎しみがあれば心が沈んでしまうのです。
 人生がんばり過ぎている時には視野は狭まる。そんな時には立ち止まって一休みしてみる。基本的に人は体を動かしながら深く思考することはできません。坐禅の基本は「調身、調息、調心」の三つ。姿勢を調え呼吸を調え肩の力を抜き静かに堂々と坐るのです。胡座で坐禅をする方もおられますが、胡座では腹式呼吸にならず、背筋も曲がり堂々とした坐りにはなりません。坐禅で大切なのは姿勢と呼吸です。日常ほとんどの人は意識して息をすることなど考えないでしょうが、坐禅もスポーツも声楽もすべて呼吸が大切です。「短気」という言葉がありますが、息が短いと肝に力が入らず気合いも集中力も減じるだけでなく心身が調わない。息を細く長く吐き続けるのがコツです。鼻から三秒息を吸って、二秒下腹に溜め、十秒位はかけてゆっくり息を吐くような感じです。この時に完全に吐ききらないで少しだけ息に余裕を残す。呼吸が調えば自律神経も調い心身の無駄な力も抜けていきます。
 そして、調心、「心」の調え方です。釈尊の一夜の賢者の教えに「過ぎ去れるを追うことなかれ、いまだ来たらざるを願うことなかれ ただ今為すべきことをなせ 明日、死のあることを知らんや」というような教えがあります。自分が明日死ぬという場面に、今怒っていることはそんなに許せないことか、そんなに大事なことなのか考えてみなさいということです。釈尊の教示は「人生は苦である」です。その苦の原因は執着にあるというのです。「人生は苦である」ですから、「苦」から逃げようとしても「苦」からの解放には至りません。苦しみ悲しみも結局はしっかり受け止めていくしかない。苦しいことはあっても憂いなく心を豊かに保つ姿勢を忘れないこと。対象が外に向かう自我の分別を止め、苦しがらず難儀がらずに、明るい話題を振りまき、「きれいだなあ」「ああ楽しい」「しあわせだなあ」と口にするその時、言霊(ことだま)とも言われるように憎しみは消えるのです。たとえ作り笑いでも、自己をとらえた笑顔とは「今」を生きる力へと変化させます。「イヤだ」も「好き」も結局は自分のせいなんだということに気づくと、不思議なことに自分をとりまく世界が大きく変化する。今まで無愛想と思っていた人が電話をかけてきたり、優しい言葉をかけてくる。周りが偶然に変わるのではなく、自分自身の妄想を放棄し、明るくやさしく語ることができれば必然的に起こることなのです。
 坐禅については他も参照してください。現代社会ではこうあるべきという「脳」が先にきてしまいますが道元禅師は身心と示される。パソコンでしんしんと打つと「心身」となりますが、伝統を持つ禅宗の身体重視の思想である「身心」と示されるところを真摯に見直してみたいものです。



須川湖  H16年秋撮影