高祖道元禅師  

 曹洞宗大本山永平寺は西暦2000年(平成12年)に道元禅師ご生誕800年と2002年(平成14年)に750年大遠忌という大きな節目として大遠忌事業を展開しました。当時101歳の永平寺七十八世宮崎禅師さまは、御遠忌のテーマを「慕古心」(もこしん)となされました。 正伝の仏法を今に伝えて下さいました仏祖の艱難辛苦の生きかたを慕い、仏道を今に生かそうとすることであります。弁道とは欲望に走るのではなく、苦難な道でも自らを励まして真理の中に生きましょうと説かれたのです。
 御遠忌のテーマの「慕古心」とは何かと考えてみますと、つまるところは道元禅師の原点に帰るということではないかと思うのです。
 
 道元禅師の参学の大事をかえりみますと、禅師24歳の時に入宋求法の念やみ難く、栄西禅師の高弟明全(みょうぜん)和尚と共に、貞応2(1223)年、万里の波濤を蹴って入宋します。禅師は諸山を歴訪しついに天童山の如浄禅師のもとで刻苦精励すること2年、宝鏡元年(1225)の夏安吾のある日、後夜の坐禅にいねむりする一僧がありました。如浄禅師はこの僧に対して「参禅は須く身心脱落なるべし、只管に打睡して什麼を為すに堪えんや」と大喝して警策を加えた。この如浄禅師の峻厳な策励の一言、よく満を持した禅師の心を打ったのであります。禅師はここに豁然として大悟し「身心脱落 脱落身心」(しんじんだつらく、だつらくしんじん)を悟られたのです。
 「身心脱落 脱落身心」とは、一般の「落伍」の意味では全くありません。執着我執のない非思量(ひしりょう)の境涯のことです。さまざまな煩悩から「脱」して悟りの境地に入ることで、別の言葉では「解脱」ともいいます。


 道元禅師は帰国されてしてしばらく建仁寺に身を寄せられます。嘉禄三年秋に帰ってこられますが同年12月に安貞と改元されます。この短い期間に道元禅師は釈尊正伝の仏法は坐禅こそ正門であり、しかも大安楽の法門であるとして『普勧坐禅儀』(ふかんざぜんぎ)を著わされます。『普勧』というはあまねく坐禅をすすめるということであり、坐禅の宗旨、坐禅を基盤とする教えをこれからひろめていこうという立教開宗の宣言のようなものです。その為に他宗との兼修や協調という妥協の無い純粋禅の思想は、比叡山の圧迫、迫害をひき起こします。「錫を建仁寺にとどむること一両三年」とありますから、約2、3年後でしょうか1230年(寛喜2)ごろ建仁寺を去られて深草の安養院に赴かれます。 そして主著『正法眼蔵』第一巻「弁道話」をお書きになられました。このことを考えますと道元禅を学ぶにはまず『普勧坐禅儀』と「弁道話」は実に重要な著述であるという認識が大切であろうと思います。

 『正法眼蔵』第一巻「弁道話」

 諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなわち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきわならんや、かたればくちにみつ、縦横きわまりなし。


 仏さまとはお釈迦さまのことですが、諸仏というはお釈迦さまの他にも偉大な仏様方がたくさんおられるように示されるわけです。大日如来とか阿弥陀如来、禅宗では過去七仏(お釈迦さま以前の仏様)というように語られるのでありますが、お釈迦さまからの正伝の仏法を身につけられた歴代のお祖師さま方も含まれての表現が「諸仏如来」であります。お釈迦さまの悟りの内容、真理の体得である「法」とは最高無上のものですから「妙法」と示されます。「妙法」も「阿耨菩提」も内容はほぼ同じととらえてもいいと思います。この「妙法」を体得するに最上無為の「妙術」ありと言われ、「最上無為の妙術」とは『普勧』の『坐禅』のことを示されるわけです。
 「ほとけ仏にさづけて」というのは「一切衆生悉有仏性」(すべての存在するものは仏性を有している)にも通じていますが、「妙法」を体得した仏が「仏性」を有している者に修行の結果、伝えたならば、その「妙法」は同一のものであるということになります。
 その「妙法」を身につけたときには、まさに自分の思うままに楽しみ、自分を充分に発揮させて自分で楽しむことができるようになる。その状態を三昧といいますが、この三昧の世界とは「坐禅」なのだと示されるのです。「端坐参禅」の「端坐」とは『普勧坐禅儀』に示されていますが、「妙法」を正しく具体的にあらわせば「端坐」の姿勢となり、不動の安心という坐禅の姿になると示されます。「参禅」とは申すまでもなく「坐禅」のことです。仏教では「大道無門」と申しまして、仏法を学ぶのに真理の門などは無く、言うならば開けっ放しであり誰でも入れるということですから、仏法を体得するのに坐禅が唯一というわけではないのでありましょうが、お釈迦さまは坐禅によって悟りを得られたのであり、道元禅師さまは「端坐参禅」こそ表門とされるわけでありますから、その流れを汲む宗門では「端坐参禅」こそ正門であると標榜するのはごく当然のことです。 そして、この「妙法」は、誰もが持っているのですが、そのことに気づき磨くことがなければ「妙法はあらわれない」と示されるのです。
 「はなてばてにみてり」ということもすばらしいお示しです。現永平寺七十八世宮崎禅師さまに縁あって揮毫をお願いしましたら、「放下着」という書を賜りました。一般的には自分自身の手につかむことができれば安心できるような気がするのですが、そんな小さなものを掴んでも、それだけのものでありましょう。無限の法の世界を感得するには、掴んでいるものを「放下」することによって対立するような垣根もなくなり「はなてばてにみてり」という宇宙と自己が一体となるところの世界を示されるところなのでしょう。
 ともかく「一切衆生悉有仏性」でありましても、修行をしなければ現れませんし、実証しないことには自分の身に付きません。どんなに理論が巧みであっても「端坐参禅」がなければ、諸仏如来の伝えるところの「妙法」は現じないのであります。「端坐参禅」によって自己の仏性が照らし出され自己の光を照らし出すことになるのです。


 「正法眼蔵八大人覚」の最後に「如今、建長七年乙卯解制の前日、義演書記をして書写し畢(おわ)り同じく之を一校せしむ、右本は先師最後御病中の御草なり、・・・若し先師を恋慕し奉る人は必ず此の巻を書して之れを護持すべし。此れ釈尊最後の教勅にして、且つ先師最後の遺教なり。懐奘(えじょう)之を記す」と懷弉禅師(えじょうぜんじ)の註がついているように、お釈迦さま入涅槃の夜の最後の教えであり、また、道元禅師最後の垂誡であることが記されています。道元禅師はこの八大人覚で「如来の弟子は、かならずこれを習学したてまつる。これを修習せず、しらざらんは仏弟子にあらず。これ如来の正法眼蔵涅槃妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん)なり」、と示されるのです。
 道元禅師は人間の真実性ともいうべく仏心、仏性に主力をおかれました。あくまで仏道を体験することであり、仏になりきることと示されます。それには、たえず自己を反省して、自己即仏、本来仏であるという自覚をなくしてはいけない。自己が悪かったと反省できるのはそこに真実あるべき自己が働いているからと示されるのです。これを懺悔仏(さんげぶつ)といっていいと思います。懺悔の心が起こるのは正信心のまことの心によるものだからです。この心による日常生活というのは本証の安心に基づく宗教生活となります。仏心仏性に基づく生活というものは、どんな仕事であっても仏光をはなつ仏行とされ、本修に基づくこの修というのは報恩の行持となると示されます。
 「行持」の巻に「祖師の大恩を報謝せんことは一日の行持なり」とあるのがそうです。この一日の生命は尊ぶべき身命であり、「その報謝は余外(よげ)の法はあたるべからず、ただまさに日々の行持その報謝の正道なるべし。いわゆるの道理は日々の生命をなおざりにせず、私についやさざらんと行持するなり」と。即ち生命を大切にし、報恩の精神、生活態度の確立であります。これが本証に基づく安心の帰結でありましょう。
 そして、報恩の態度を具体的に実践する理念は道元禅師さまが強調された四摂法(布施・愛語・利行・同事)が重要なキーワードになるでしょう。即ち心は布施、言葉は愛語、行いは利行、立場は同事と心得ることとなるでしょう。

 最後に、大遠忌は、21世紀にどんな花を咲かすのか?という問いに当時の永平寺各副監院老師は語られます。
◇大本山永平寺天藤全孝後堂老師は「金や物、便利さ快適さばかりが問題になる現代。「慕古」の精神をどこまでたたき込めるか。その教育能力を失ったらおしまい。」
◇大本山永平寺木村励雲副監院老師は「一仏両祖さまのまず信者になる。これが原点。」
◇大本山永平寺久我孝則副監院老師は「今一番批判を受けているのは形骸化。本当の信仰を見せなければ」

 大遠忌副総監各老師の理念や示唆をこころして受け止めれば、「慕古」とは一仏両祖さまの仏法の原点である「只管打坐」の行でありましょう。更に「仏道を習うふというは、自己を習ふなり、自己を習ふというは自己を忘るるなり、自己を忘るるというは、万法に証せられるなり」を原点に古風を慕い、それを「道」として四摂法(布施・愛語・利行・同事)を行じていかなければと思う次第であります。

大本山 永平寺 法堂