![]() 福島県三春町 滝桜 H17年撮影 |
釈尊がこの世で悟りを開くにいたった過去世の因縁としての物語の中で、一人の修行者が雪山(ヒマラヤ)でひたむきに修行していた。その真摯な態度に感動した帝釈天(仏法の守護神)は、悪鬼(羅刹)のすがたに身をかえて修行者の前にあらわれた。そして「諸行無常なり、是れ生滅の法なり」と雪山偈の半分を称えた。
この四句を諸行無常偈といい、葬儀幡として当寺で行う葬儀にはセレモニーホールなる葬儀会館にても龍頭と共に掲げていますが、現今では周辺市町村でもほとんど見られないと言う現状は誠に残念であります。葬儀幡は四本幡(四幡)ともいい旗ではなく幡です。幡は仏菩薩を称え、教えを表示する意味を持っています。この無常偈は、修行中の釈尊を雪山童子(せっさんどうじ)といいましたので、雪山偈ともいわれます。 諸行無常(しょぎょうむじょう)−−− すべての存在は移り変わる 是生滅法(ぜしょうめっぽう)−−− 是がこの生滅する世界の法である 生滅滅已(しょうめつめつい)−−− 生滅へのとらわれを滅し尽くして 寂滅為楽(じゃくめついらく)−−− 寂滅をもって楽と為す これを和訳したものがいろは歌だといわれています。 いろはにほへと ちりぬるを・・・ という、ひらがなを、重ね字なく並べて読みこんだ四十七字の歌を「いろは歌」といいます。昔は手習いの手本やカルタ遊びの読み札として用いられました。しかし、戦後の国語教育では、「ゐ」や「ゑ」という字が使われなくなり教えることもありませんから、この歌を知る人も少なくなりました。 ところで、このいろは歌を「仮名手本忠臣蔵」とも言うのです。なぜ忠臣蔵なのかというと、最初の紙に「いろはにほへと」と書く。次に「ちりぬるをわか」三枚目に「よたれぞつねな」となっている。この仮名手本の一番下の字をつないでいくと、「とかなくてしす」。つまり、「咎なくて死す」であって、赤穂四十七士は主君の仇討ちをした忠義の士となるというのです。主君の仇討ちという忠義の士を幕府は切腹の刑に処したという権力者への痛烈な批判が込められていますが、どこで切るかによって意味がまったく違ってしまう見本のようなものです。このいろは歌は、『諸行無常偈』和訳したもので、弘法大師の作とも伝えられますが、はっきりしたことはわかっていません。その真偽はともかく、甚深なる意味が含まれています。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす このままでは意味がわかりにくいので、漢字を当てはめてみると、 色は匂へど 散りぬるを −−− (諸行無常) 我が世誰ぞ 常ならむ −−− (是生滅法) 有為の奥山 今日越えて −−− (生滅滅已) 浅き夢見じ 酔ひもせず −−− (寂滅為楽) となります。 「色は匂えど散りぬるを」花は爛漫と咲き乱れていてもやがて散ってしまうように、すべての存在はうつりかわる。苦も楽もいつまでも続くものではない。我が青春と肉体を謳歌していても、月日のたつのは実に早いものであるぞということでしょうか。 「我が世誰ぞ常ならむ」この世に存在するものは生滅する法(真理)です。釈尊は「一切のものは無常である。諸法は無我である。故にすべての存在しているものには永遠不滅なるものなどは内在しない」と示されます。 「有為の奥山今日越えて」−− 有為とはインド語でサンスクリタ(作られたもの)英語で言うと the created しかし、キリスト教のように神によって創られたものということではなく、仏教では縁起思想ですから、原因と条件が合するところに万物は存在する。因縁は常に加わりますから、それに応じて常に相(すがた)を変えています。すなわち「無常」です。この「無常」なるものへのとらわれを滅して因縁の道理を知る、真実の道理に目覚めることです。有為とは為す有りとも読めます。人間のはからいとは「人生とはどうしたって有為だ大切なんだ」というのでしょうが、無為というのは為す無しということです。そのことに一所懸命には勤めるがアテを作らないこと。アテを作るとどうしても手前みそになってしまうのです。 「浅き夢見じ酔いもせず」寂滅をもって楽と為す−− 有為の奥山を越えて観るならば、苦しみ悩みは「夢のようなもの」「酔っぱらっていた」ようなものである。「寂滅」とはやすらぎということです。有為の選択の結果が「苦」の原因であったと諦観して他にとらわれるのではなく、自分の我を滅する。我が滅しられ、煩悩の火が吹き消えた状態で、一切のものごとへのこだわり、とらわれの心がなくなった状態、やすらぎ、無や空の境地を示しています。
お釈迦さまはお悟りをひらかれた後、まず最初に共に修行したことのある5人の仲間たち、それが最初の弟子たちなのですが、その修行者達に先ず正法を説かれました。それがいわゆる初転法輪(しょてんぼうりん)というものです。 その最初の説法で三法印という三つの真理を示されました。それが「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」です。お釈迦さまの教えの根本道理とは、この世の道理、仕組みををしっかりと心に持ちなさいという三法印(三つの真理)の教えです。
お釈迦さまは29歳で釈迦国の太子の地位を捨て6年の厳しい修行のあと35歳でお悟りを開かれました。それから45年の間、そのお悟りの尊い教えを説いて巡られ、やがてクシナガラの町外れサーラの林で80歳のご生涯を終えられました。その日は2月15日、満月の夜であったといわれます。お釈迦さまは別れを惜しんで集まった人達に最後の説法をなされました。
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