世尊指地(せそんしち)  

「従容録」第四則



【本則】 (原文は漢文です)
 挙(こ)す。世尊、衆と行く次(つい)で、手を以て地を指して云わく、此の処、宜しく梵刹(ぼんせつ)を建(た)つべし。帝釈、一茎草(いっけいそう)を将(も)って地上に挿(さしはさ)みて云わく、梵刹を建(た)つること、已(すで)に竟(おわ)んぬ。世尊、微笑す。頌(じゅ)あり、頌は開口(かいく)の口頭(こうとう)に分布す。
【本則大意】
 釈尊がある日衆とともに遊行せられたときに、地上を指さして、「ここに清浄な僧院を建てるがよい」と言われました。すると、衆のなかにいた帝釈さまが、一本の草を持ってきて、その地上にさしはさんで「清浄なお寺が建ちました」というと、釈尊は微笑されたというのです。−− ここでいう微笑は、禅で黙っていても心が通じたというしるしで、釈尊は帝釈の境地の高さを認めて黙って微笑(ほほえ)まれたという意味です。

【頌】 
天童の覚和尚、頌に云わく。百草頭上(ひゃくそうとうじょう)無辺(むへん)の春。手に信(まか)せて拈じ来たりて用(もち)い得(え)て親し。丈六の金身(こんじん)、功徳聚。等閑(なおざり)に手を携(たずさ)えて紅塵(こうじん)に入る。塵中(じんちゅう)、能(よ)く主と作(な)り、化外(けがい)、自(おの)ずから来賓す。触処(そくしょ)、生涯、分に随って足る。未(いま)だ嫌(きら)わず、伎倆(ぎりょう)の人に如(し)かざることを。〔獅子吼、不尽(ししくふじん)〕


 天童の覚和尚の頌がこの本則の要でもあります。頌に云わく、百草頭上、無辺の春。手に信(まか)せて拈じ来たりて用(もち)い得(え)て親し。−−−春の野に咲くすべての草。あらゆる草の葉先にかぎりない春があらわれているということで、いたるところに仏法があると云うことであります。されば、あちらの草が良くて、こちらの草はよくないという道理はありません。それゆえに手に任せて摘み来たって見れば、どれもこれもすばらしい春を感じとることができて親しきものだというのです。
「一茎草を拈じて丈六の金身となす」という言葉があります。一本の草であっても一粒のお米であっても、一本の草、一粒のお米の中に世界全体を統一してみるというと、その一本の草はたんなる草ではなくして、世界全体を背負っているところの一本の草ということになります。「一粒米の重きこと須弥山の如し」という言葉も同じように米一粒が世界全体を代表しているということになる。これが仏教の考え方ということになります。


 凡人は花と草を分けて見てしまいますが、花や草の方からすれば、「私は花です」とか「私は草です」といって生えているわけではありません。ただ百草それぞれに生えている姿を凡人の分別で花と草を分けているのです。ここのところを、花園大学学長であった盛永宗興老師は「若きひとびとへ」という著書の中で自分の体験を綴られています。盛永宗興老師は、花園大学の学長の後、妙心寺管長、そして大徳寺管長を歴任された後藤瑞巌老師に弟子入りされるのですが、はじめて老師に対面されたときの話です。
 老師は七十歳の身体で、すぐに腰揚げをして、これから庭掃きをするからおまえも一緒に庭掃きをしろと言って、竹箒で寺の庭を掃かれました。四月頃でしたが、樫の木や楠の木の病葉がいっぱい落ちる時期で、またたく間に、落葉の山の掃き集めができたのです。私は腹の中で、クソ爺、誰が出会ったばかりで、そう心の底から信じられるものかと反撥をしていながら、まことにイヤらしいことに、反面では即座に自分を認めてもらいたいという心があったのてす。だから、一所懸命掃きました。そして、掃いて落葉の山ができると、言いつけられもせんのに自分のほうから勝手に、「老師、このゴミをどこに捨ててまいりましょうか」
と気をさかせてものを言ったのです。そして怒鳴られました。
「ばカ、ゴミなぞはどこにもない」
でも、ここにこんなに山になって、と言いかけた途端、老師は、「おまえはわしの言うことを信じないのか」ときたのです。これで初めて、師匠を信ずるということは、師匠に対して文句が言えないんだということに気がつきました。そこで文句を言おうものなら、おまえ信じないのなら帰りなさいと来るに決まっている。そこでしようがないから、「ではこの落葉をとこへ捨ててきましょうか」と言って、また叱られました。
「捨てるのじゃゃない」
もう言うことがないから黙って突っ立っていたら、「炭小屋へ行って、炭俵の空いたのを持って来なさい」
 それを持って来ますと、老師はしゃがんで、一生懸命落葉をかきあけて、その落葉を全部炭俵につめて、足でグイグイ踏み込んて、最後の一枚までそこに入れて、「オイ、納屋に持って行っておけ。風呂を焚くときの柴じゃ」と言われたのです。文句が言えなくなると、人間は得てして腹の中で文句を言うようになるものです。私はその俵を担いで納屋に行きながら、「クソ爺め、確かにこれはごミではなかった、風呂を焚くときの焚きつけじゃった、しかし、あとに残っているあれはゴミじゃぞ」と、反抗しておったわけです。
納屋へそれを置いて帰って来てみますと、今度は老師はしゃがみ込んで、掃き溜めの中から小石を拾っている。そして拾い出した小石を雨落ちのところに並べろと言われた。軒先から雨がポトポト落ちると下に穴があさます。そこに小石を並べると、穴は塞がるし景色にもなります。確かにこれもゴミではなかった。だけどまた苔の折れたようなものだとか土塊だとか訳ののわからんものが最後に残っている。あれは絶対ゴミだぞと私は思っていたら、老師はそれを掌の上に全部しゃくいあげて、地面を透かして見て、凹んでいるところに持って行って、足でトントンと踏み固めたら、何も残らなくなってしまった。そして、こう言われました。「とうだい、人にも物にも元来ごミはないということがわかったかい」
 これは非常にこたえました。こたえましたけれども、私はろくでなしでしたから、深い意味がもう一つわからなかったのです。 老師は私との最初の出会いの中で、私が縷々話したことを聞いていて、おまえは今、何も信
じられないという心境のようだが、師匠を信ずるということなしには修行は成り立たない、と言われたのですが、実は老師が一番言いたかったのは、自分を信ずるということなしには何事も成り立たないということだったのだと思います。




 道元禅師は「正法眼蔵」仏性の中で次のように述べられています。
「ある一類おもわく、仏性は草木の種子のごとし、法雨のうるおひしきりにうるおすとき、芽茎(がきょう)成長し、枝葉華果も(茂)すことあり、果実さらに種子をはらめり。かくのごとく見解(けんげ)する。凡夫の情量なり。」
 意訳すれば次のようになります。
ある一群の人達は、仏性というものを草木の種と同じように考えている。種をまくと、日光の恵みや雨のうるおいで、種の自然に宿す力で、やがて芽を出し茎も成長し、枝や葉が茂り、花が咲き実を結ばせる。仏性もその通りで、衆生の中に仏性の種が宿っていて、いろいろな仏縁や良縁、つまり因縁がこれを育てると、ついには結実して仏性があらわれる。このように思っている者が沢山いるが、これは凡夫の勝手な憶測にすぎない。
 つまり、自分の中に仏性という種子があって、それをうまく育てると、やがて仏性の花が咲き、仏性の実を結ぶというのではないのです。「只管打坐(しかんたざ)」とは坐った刹那に仏性そのものなんだということです。坐禅したから、その時間に応じて少しずつ仏性という実が結ばれるというのではないのです。草木の種で例えれば、その芽も仏性現前、茎も枝葉も仏性現前です。花や実だけが仏性ではないのです。

 「信心銘(しんじんめい)」という禅の語録に「至道は無難なり、唯(ただ)揀択(けんじゃく)を嫌う」−(くらべあうな、より好みをするな)−とあるように、どれをとり、どれを捨てるということがなければ「不染汚(ふぜんな)」ということです。染汚のない心で見る世界が「如是の法」となるわけですが、「如是」とは「これぞ実相」ということであり、如是とは「ありのまま」です。花は花として咲き、川は川として流れている。そこに意味と価値を見つける働きを仏心というのですから、文字の世界ではないのです。
 故に「従容録」第一則 世尊陞座(せそんしんぞ)の本則、 釈尊がある日説法の座に登り、一言も語らなかったが、弟子の文殊は釈尊の仏法とは、まさしくこれこそが根本の教えであると告げて、この法座を終えた。というように真理は言葉で言い表しえないものである。とする公案が示されるのです。
 このような訳で、修行道場の指導者は、物事を教えるというよりは、自ら悟らせることを主眼として育成指導するのであります。ですから、あるときには修行者が教えを願っても冷酷なまでにこれを拒み、修行するものを「冷暖自知(れいだんじち)」の世界に意識的に追い込むのです。