日本神話

 仏教の根本思想とは「因縁生」であり「一切衆生 悉有仏性」、この地球上にある全てのもの、命有るものすべてのものは仏であり、仏となる性を有していると示します。本義的には宇宙=「仏」或いは「仏性」ととらえ、独りの神が天地を創造したとは認めません。
 けれども、神道では古来より森羅万象の現象に対して畏敬の念でカミと呼び、豊穣をもたらすカミを讃え、又荒ぶるカミを恐れ崇めました。この神道は我が国独自の宗教でありましたが、仏教の神仏習合による影響を大きく受けます。

 神と仏は聖徳太子以来ともいう長きにわたって密接に融合し、いわゆる神は仏法に帰依し守護する存在として護法善神と呼ばれるのです。又、本地垂迹(ほんじすいじゃく)といって、仏、菩薩が人々の救済のために仮に神の姿をとるという考え方から八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)のように、神名に菩薩号が附され、あるいは権現(ごんげん)と呼ばれる仏教の影響を受けた神が現れます。 権現とは、本地の仏や菩薩が、権(かり)に垂迹の化身を現(あら)わして、日本の神となったというように理解され、ますます神仏習合の信仰を深いものにしました。いわゆる「仏本神迹」です。
 しかし、後世「神本仏迹」を唱える神道学者があらわれ、ことに江戸期の国学者や勤王の志士たちの伝統が源泉となって惟神の道を説くようになり、明治維新とともに300年にわたって伊勢神宮の伝統を支えた寺々が廃絶されます。神仏習合から神仏隔離の社会思潮は仏教を排除して神道による祭政一致を掲げ神仏分離令を布告します。これによって鶴岡八幡宮もかつて25房舎の真言宗の鶴岡神宮寺で、境内には豪壮な仁王門、5間4面の多宝大塔、7間4面の護摩堂、鐘楼、薬師堂、愛染堂、法華堂等が建ち並んでいたが明治2年になると悉く破壊され、仁王門を壊した後には今の大鳥居が建てられた。明治天皇の神宮参拝を契機にして宇治山田では100ケ寺余が廃寺になった。天皇の軍艦による伊勢神宮参拝から九州への巡航は富国強兵の国策推進を意味するものでしょう。国家神道の確立化へ向けた政策は次々に進められて、天皇の祖神とされる天照大神を祀る伊勢神宮が全国の神社の最高位に位置づけられ、更に国家の宗祀として、明治神宮、平安神宮、橿原神宮、湊川神社、靖国神社など、天皇や忠臣や英霊を祀る神社として創建され忠君愛国が奨励され、かくて祭政教一致の国家理念を掲げた国家統合の精神の根幹として位置づけられ、満州攻略への満州事変、上海事変とくるいはじめます。軍部暴走の226事件からは「興聖護国」の軍部の圧力は急激に国民に広く浸透させることになります。
 「廃仏毀釈」の暴動の根底には、思想的背景と同時に、厖大な寺社領の横領を国家ぐるみで行おうとした政策の一面もあったのでしょうが、このもくろみは途中でとん挫します。庶民の抵抗の多さに政策をひっこめることになったのです。しかしながら、「興聖護国」の大きな渦の中で、仏教においても釈尊やお祖師さまの教えではなく、「皇恩」「皇謨」「聖旨」として「不惜身命」「必勝信念」を以て征戦の完遂を説かざるを得ず、「不殺生」を説くべき仏教も過去の歴史的経過もあるとはいえまことに残念ながら戦争に荷担してしまいます。そして、戦後の連合国最高司令部GHQの農地解放によって寺社領も例外なく解放されることになり、GHQの宗教政策により、国家管理の神社制度も崩壊、日本国憲法により靖国神社も僻地寺院も同列の立場で一宗教法人となるのです。
 わずか百数十年前までは神仏習合であったことを考えれば未曾有の展開です。しかも、それまで神国と信じさせられていた敗戦の精神的衝撃は計り知れないものであったに違いありません。けれども、神社や仏閣も廃れることもなく、そして、人々は総力を挙げて国家の経済的復興を成し遂げました。あるお偉いお方が「日本は神の国」という発言をして大騒ぎになりましたが、日本は古来から八百万(やおよろず)の神の国といえなくもありません。しかし、それは国家神道による天皇崇拝の現人神(あらひとがみ)の国ということではありません。明治まで神社は戦争を奨励したり軍人を顕彰するようなところではありませんでした。怨恨に由来する荒魂を鎮めるところだったのです。神様の「鏡」とは、清浄無垢なけがれのない曇りのない清らかな心こそが神様の心というものでしょう。
 「一切衆生 悉有仏性」の教えと同様、心を浄め修すという原点たる「畏れ敬うこころ」を無くしているような現代の人に提起すべく日本神話を掲載するものです。


 それでは日本神話へ