正法眼蔵について

 曹洞宗開祖 道元禅師の著された「正法眼蔵」とは、道元禅師が32歳から54歳までの23年間に弟子や大衆に説示した教えを集めたもので、一般には95巻としてまとめられています。日本曹洞宗のもっとも重要な根本教典であると同時に、日本の生んだ最高の哲学書ともいわれます。
 道元禅師の著述にはほかに「永平清規」2巻、「永平広録」(語録10巻)など多くの著述があります。「正法眼蔵」は内容的には、正伝の仏法とは何か、坐禅の本質と普遍性、日々の修行のあり方と意義など、仏教のあらゆる問題点が論じられ、科学や哲学も貫き、人間存在の尊厳性を垂示されています。つまり、「正法眼蔵」とは、仏の心・仏法そのものという「正伝の仏法」を指すものであり、体験的修行の実践を強く主張されながら、真に体験的修行によって得られた悟りの世界を『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)として示されたのです。 故に、道元禅師は「正法眼蔵」を「禅」とか「曹洞宗」という宗派教義とはとらえていないのです。


 仏教には五千七百の経典があるといわれます。これらの経典がインドから中国へ伝えられたとき、当然のことですが、どれが釈尊の真の教えであるかということが問題になります。そこで多くの経典に組織をたて位置づける教学ができます。これによって、ある経典が最高の位置をしめ、最深の意義を持つことになり、その他の経典はそれに従属するものとして体系づけられ、それが中国における宗派仏教へと成立します。
 しかし、このような教宗の成立に対し、数多くの経典の中から特定の経典をよりどころとすることは、仏教全体を正しくとらえる道ではないとする思想が生まれてきます。釈尊の根本精神は特定の経典にあるというのではなく、直接釈尊の精神を把握するところにあるとする宗派がおこってきます。これが禅宗です。この禅宗からは「不立文字、教外別伝・直指人心・見性成仏」(ふりゅうもんじ・きょうげべつでん・じきしにんしん・けんしょうじょうぶつ)が教えの旗印とされました。「不立文字」(ふりょうもんじ)とは、文字や言葉を伝えるものではなく、「行」のありかたを伝えるべきとして示されます。「以心伝心」の仏法とは、釈尊の仏法に還り、釈尊の仏法の心髄ををそのまま今日に伝えるという意味です。

 「不立文字」の仏法を伝える いろいろな説話があります。その代表的な話しです ・・・ ある日のこと、釈尊は霊鷲山(りょうじゅせん−古代インドのマガダ国の首都、王舎城郊外にある小高い山)の山頂で説法の座に着かれました。でも説法を慕って集まった大衆に向かって釈尊は一言も語らず、ただ黙って一輪の金波羅華(こんぱらげ)を目の前にささげ拈(ひね)って微笑まれたのです。それがどういうことなのか理解できずに呆然としている人々の中で、摩訶迦葉という弟子だけがにっこりと微笑したのです。 すると、釈尊は「私の悟りの内容は、言葉では表現できないものである。その正法眼蔵を今摩訶迦葉に伝えた」といわれたということです。言葉に示すことの難しいところを、拈華微笑として表現されているのは誠に意味深いことだと思います。

 言葉で表現できない教えは言葉で教え伝えることはできません。それ故に、釈尊はあらゆる試みをされて、この言葉にならない教えを伝えようとされたのでしょう。機縁が熟すというのでしょうか。以心伝心、摩訶迦葉尊者がそれに気がつかれ彼に「正法眼蔵」を託されたのです。 お釈迦さまが示された、いわゆる八万四千の法門は、すべて蔵に納められています。それが正法の蔵です。言語化された経典の納められた蔵と言うわけです。 しかし、言語化された経典というものは、時、場所、機会に応じて説かれた教えです。
 たとえば、あまりに厳しすぎる修行をやっている者に向かっては、「すこし怠けなさい」と教えられるわけです。反対に怠けている者に向かっては、「しっかり修行しなければ・・」と教えられる。それぞれの相手に応じて説法されておられるのです。天童如浄禅師は居眠りをしている修行者に対し、スリッパで覚醒し涙しながら法愛を説かれたという。一方、総持寺貫首であった御誕生寺のご住職、板橋興宗禅師は、御誕生寺の修行者に「人は起きていても坐禅をしないのに、眠りながらでも坐禅しようといている。えらいもんだとむしろ褒めています」という指導方針をとっておられます。
 釈尊の八万四千の教えをしまっておく正法蔵という蔵の他に、この正法を読み取る力、文字にならない教えを読み取る「眼」が必要になるのです。この「眼」というものは、ことばでは伝えられないものであるというのが「不立文字、教外別伝」と解釈してもいいでしょう。
 「わたしには正法蔵でない、もうひとつの蔵がある。経典を納めた立派な蔵以外のもうひとつの蔵、それが正法眼蔵だ。これを言葉の教え以外に伝えておかないと、のちの世になって必ず誤解する者が出てくるから、正法眼蔵を伝えておかなければならない。摩訶迦葉よ、そなたはそれをつかんだのであろう。だから、正法眼蔵をそなたに授けよう。そなたから、また別の者へ不立文字・教外別伝たる正法眼蔵を以心伝心によって伝えてくれ」ということでしょう。

 道元禅師は「正法眼蔵」第57巻「面授」で次のように示されます。
「大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏、はじめて道元を見る。そのとき道元に指授面授するにいわく、仏仏祖祖面綬の法門現成せり。これすなわち霊山(りょうぜん)の拈華(ねんげ)なり、嵩山の得髄なり、黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり、これ仏祖の眼蔵面授なり、吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在なり。」
 如浄禅師と道元禅師の出逢いは大切な機であります。「仏仏祖祖」とは仏様仏さま、お祖師様お祖師さまです。「これこそ我が師、これこそ我が弟子」と互いに直感で認め合う、いわゆる感応道交の出逢いでありました。ちなみに「霊山(りょうぜん)の拈華」とは前記しましたが、お釈迦さまが摩訶迦葉に「吾に正法眼蔵涅槃妙心あり、摩訶迦葉に付属す」と、初めての面授をしたことを指します。これが即ち正しい仏法の眼目の面々授受、嫡々相承の始めで、かくの如くして相伝わってインドから中国に渡った第28祖、中国初祖の達磨大師に継がれ嫡々相承して天童如浄禅師、そして道元禅師に伝わったのであります。
 「面授」とは面(ま)のあたりに授けるということであり、受ける方は「面受」面のあたりに受けるということになります。師匠と弟子の授受があって本当の仏法の学びというものがあるのです。インタ−ネットでは概略はつかめても真の仏法の学びはできないのです。

 この正法眼蔵涅槃妙心とはいったいどうゆうものか・・・。
 実を言えばそれがどうゆうものかと学道の人は仏祖に問い続けて今日に至っているのです。「教外別伝とは如何」 「祖師達磨大師の西来の意如何」 「仏法の第一義とは如何」と問法の形で全身全霊をもって修行してきたのです。
 ところで、お祖師方の答えはというと以外に素っ気ありません。梁の武帝にそれを問われて「廓然無聖」(かくねんむしょう)と答えた達磨さまはまだ親切なほうでしょう。趙州(じょうしゅう)和尚は「庭前栢樹子」(ていぜんのはくじゅし)と答え、洞山和尚はただ「麻三斤」(まさんぎん)と答えるだけでまったくとりつくしまもない。そのとりつくしまもないところに向かって祖師方は精魂をつくし弁道功夫してきたのです。お祖師さま方は故意に親切心をもって禅家特有の指導手段を用いられてきたのです。
 「仏法の第一義を文字で知って何の用ぞ」 「頭だけで理解して何の用ぞ」 と慈悲心をもって学道人達の精進弁道の機が熟するのを待つのです。

玉簾の滝