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年頭にあたって
長泉寺住職 矢口隆博
あけまして おめでとうございます。
平成24年の新春を心よりお慶び申し上げますと共に、皆さまのご清福を心よりお祈り申し上げます。
2011年は3月11日、宮城県沖でM9.0という大地震が発生し東日本大震災と名づけられました。大津波によって沿岸地域は壊滅的な被害となり風景は一変し、死者、行方不明者は2万人を数えました。一方、原発事故の影響は特に深刻な事故となってしまいました。首相は「原子炉は・・事故そのものが収束した」と宣言しましたが、放射性物質の影響で幾多の人が今も避難を余儀なくされ帰還の目途もたっていません。米、野菜、肉、魚の出荷停止や風評被害の影響はいつまで続くのかもわかりません。政局優先の与野党の駆け引きは相変わらずですが、被災地では苦境に耐えながら助け合う人々の姿は世界にも共感を呼び、多くの人が「絆」を胸に感じながら支援や復興に心を砕きました。復旧にはまだまだ年月がかかることでしょうが、支援や復興に「絆」を深められる年でありますように祈念致します。
さて、一月のことを「正月」というのは、「修正の月」という意味で、語源から云えば、「正」という字は「一」と「止」の合字ですから一度止まるとも読める。「一から出直す」というように使う「一」とは、数の一というだけでなく、物のはじめ、天、道、真と展開しますから自分の内面と静かに向き合うことも含む。又、つらいという字は「辛い」と書きますが、この上に一を引くと「幸せ」という字になります。一般的には、辛いことと幸せは、正反対にあるものと思っていますが、「一」をタダせば自分の考え方次第といえるかもしれません。
新年を改まった気持ちで迎え家族で初詣をしてお祝いする。この当然と思われている正月行事もアメリカではずいぶん違うようです。1月1日はアメリカでも祝日になっていますが、年間行事のハイライトがクリスマスのアメリカ人にとってこの日はカレンダ−が新しくなるという以上のものはなさそうです。それどころか「1月1日は二日酔いの頭をかかえて大学対抗のフットボ−ルを見る日」のようで、2日からはクリスマス前からのお祭り気分に終止符が打たれ平常に仕事がはじまります。思うに、アメリカには1月1日に「改まる」という習慣がないだけでなく物事の最初と最後にけじめをつけるという習慣そのものがないようです。日本ではごく当然とされる入学式もアメリカでは小、中、高ともありません。卒業式にしても小、中学校では日本のような儀式はないようです。国民性というのでしょうか、にぎやかでカジュアルなお祭り騒ぎが大好きなアメリカ人はフォ−マルで堅苦しい儀式的なことは苦手のようです。それに引き替え、われわれ日本人は、暮れになると大掃除などの準備をして新年を迎える、神仏に心静かに両手を合わせてそれぞれ「ケジメ」をつけて、お屠蘇やおせち料理をいただく。この日本流の「ケジメ」をつけ新年を迎える行事は素敵な行事と思います。
神仏に両手を合わせるということぐらい高尚な姿勢はないでしょう。しかし、目的や目標の方向を間違ってはいけません。宮本武蔵は「神仏を貴び、神仏を頼まず」といっているように、夢や希望があっての人生とはいえ、おねだり信仰ではなく、自他ともにしあわせになれるようにと願う誓願を大切にしたいものです。
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話しは変わりますが、元日の夜二日の明け方に見る夢を初夢といいます。昔は元日の夜には「お宝売り」という人が町を歩いたそうです。「お宝〜お宝〜」と呼びながら、宝舟に七福神が乗り込んでいる画に「ながきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」という賛を書いた刷り物を売り歩いたそうです。この賛が、上から読んでも下から読んでも同じという、かな文字の歌です。漢字を加えてわかりやすくすると、
長き夜の十の眠りの皆目覚め
波のり(法)船の音の善き哉
波に乗るを「みのり」の法にかけています。「長き夜」とは無明の闇です。「十の眠り」とは仏教で言う十界(仏・菩薩・縁覚・声聞・天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)で、「波のり(法)船」とはお釈迦さまのみ教えのことです。つまり、「お釈迦さまのみ教えを聞いて無明の闇の迷いを目ざまされた、まことにめでたき善きことかな」 という歌の意味です。
この刷り物を枕の下に置いて善い初夢を見ようというのです。お正月の軽い遊びの中にも仏教の深い裏付けが、それと知られず含まれていることに先人の智慧を感じます。
「日に新たに、日々に新たに」という禅語があります。仏教でいう新年の「新」ということはどうゆうことかといいますというと、今までに無かったものを新たに得るということではありません。実相とは無相ですから、定まった形というものができたら実相とはいえない陳腐なものになってしまう。こころが無相であって常に新鮮であることを「大智慧」と名付ける。「今」という時を真に充実させていくことが「新」です。しかも、この「今」という一瞬は「今」といったときには既に過去になっている。「時」は常に真新しく移り変わりますから、人生のすべてが「無常」であり「一期一会」です。「こんにちは」の挨拶言葉にしても、昨日までのことはともかく、「今日こそは」とか「日々に新たに」ということであって、過去にとらわれずに仕切りなおしの意味合いが含まれているのです。
つまり、正月だけがめでたいのではなく、常に心あらたまればいつでもおめでたいのです。「日に新たに、日々に新たに」とは、入学、卒業、就職、還暦などの節目も「これからの出発」としてとらえる。「日々是元旦」であり「日々是好日」であり「時々是好時」ととらえる。それが「今を切に生きる」ということになるでしょう。
専ら祷る 正法興隆 国土安穏 万邦和楽 諸縁吉祥

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