仏教の教えは「あきらめよ」

元滝 秋田県象潟町

 平成16年、成田真由美(34)さんはアテネ・パラリンピック競泳で8種目で金7、銅1の計8個の金メダルに輝きました。その7個目の金メダルを獲得した直後「あきらめないで泳ぎ続けてよかった」と語りました。更にアナの「あきらめずにというのは?・・」に対し「この4年間振り返って、いろいろな出来事があった中で、もう一度アテネを目指したいと思い始めて、ここまで練習をこなしてきました。止めてしまうことは簡単でしたが、またアテネに向けて泳ぎ続けて、その結果、こうして世界新を出すことができたので、本当にたくさんの人達の応援や支えがあって、ここまでくることができたのかなと思います」と語りました。
 成田さんは13歳の時、脊髄炎を発症して下半身が不自由となります。更に23歳の時には運転していた車が追突され頸椎を損傷、後遺症で左手が麻痺し体温調節も利かなくなります。それでも記録を伸ばし続け、前々回のアトランタで金メダル2、銀2,銅1のメダル。4年前のシドニーでは5種目の世界新記録を更新し6個の金メダルを獲得して世界の頂点に立ちました。しかし、シドニー大会の後結婚した成田さんには再び試練が待っていました。02年、持病の内部疾患が悪化して入院、一時面会謝絶。退院したものの薬の副作用も激しく引退も覚悟するのです。しかし、同年代のライバルであったドイツのカイ・エスペンハイン選手が病気で亡くなったのをきっかけに再び水泳を始めます。そして今回のアテネで8種目で金7、銅1の計8個の金メダルに輝いたのです。まさに成田選手にとってシドニーからの4年間は「激動」の4年間であったに違いありません。その後の談話の中でも「あきらめる」というのは簡単なんですよね。でもあきらめないという自分が好きです」「何もしなければ何も始まらない」と語っていた言葉の重みを感じました。 このような夢や希望をけっしてあきらめないということは人生の肝心な要です。

奈曽の滝 秋田県象潟町

 さて曹洞宗の主経典「修証義」には最初に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり・・・」で始まります。
 この「修証義」でいうところの「あきらめ」は先にあげたような「断念する、放棄する、放り出す、投げ出す、望みや希望を捨てる」という「あきらめ」とは違うのです。経典の「あきらめる」とは、道理を明らかにする、原因をあきらかにする、ものの本質をつまびらかにすること、はっきりさせることを示すものであり、お釈迦さまの根本の教えである「四諦」とは四つの真理を表しているのです。
 この、「生死の問題を明らかにする」ことは仏道を修する者にとってもっとも大切なことであると示されるのです。仏教で言うあきらめるとは、絶望的な放棄ではなく、死ぬまで前向きに生きる為の受容であり積極的な姿勢です。努力をしなくていいと言うのではなく、努力も正しい智慧に基づかなければ方向を見失うのです。


 お釈迦さまの晩年、お釈迦さまの故国の釈迦国は、近隣のコーサラ国の侵攻をうけて滅ぼされてしまいます。その因縁とは −− かつて、コーサラ国の前国王は深く釈迦の教えに帰依していたので、自分の妃は釈迦国から迎えたいと思った。そこで、使者を釈迦国に遣わしたが、この使者の態度があまりにも尊大であったので、腹を立てた釈迦国の人々は、ある富豪が下女に産ませた美女を、その富豪の嫡出子といつわってコーサラ国に嫁入らせたのであった。
 そんな事情を知らぬコーサラ国王は、彼女とのあいだに生まれた王子を、王子が八歳になったとき、釈迦国に留学させた。だが、かわいそうに王子は、釈迦国の人々に徹底的に苛められた。母親が下女であったとの理由で、ひどい差別を受けたのであった。王子はその屈辱を忘れなかった。やがて前国王が亡くなり、王子が王位に就いたとき、釈迦国への復讐がはじめられた。王は軍を率い釈迦国へ進撃する。ところが、そのことを聞かれたお釈迦さまは、コーサラ国から釈迦国につづく街道の一本の枯木の下で坐禅をされた。街道を進撃してきたコーサラ国王は、お釈迦さまの姿を見かけて挨拶した。「世尊よ、ほかに青々と繁った木もございますのに、なぜ枯木の下に座っておられるのですか?」「王よ、親族の陰は涼しいものです」 お釈迦さまはそう答えられた。じつはその枯木は、釈迦国のシンボルの木であった。そのことばをもって、お釈迦さまは故国の釈迦国への愛情を表明されたのでした。そのことばを聞いて、コーサラ国王は軍を引き返した。しかし、怒りに燃える国王は、やがて二度目の進軍を開始する。が、二度目も釈迦の姿を見て、進軍を断念した。そして、三度目。三度目も枯木の下で釈迦は坐禅をしておられ、王は軍を引き返した。だが、四度目。この時はお釈迦さまの姿はなかった。コーサラ国王の軍は、それで釈迦国を滅亡させた。
 お釈迦さまは人間の欲を見透しておられたのでしょう。いかにしても防ぎきれぬ釈迦国の運命を悲しみを持って黙過されたのです。この故事をもって、「仏の顔も三度」の諺となります。
 釈迦国が滅亡する時に、弟子の目連さまが神通力の使用をお釈迦さまに申し出ています。目連は釈迦の十大弟子の一人で、「神通第一」とされていたのです。神通力に関しては、目連がお釈迦さまの弟子中の第一というのでした。彼は、師であるお釈迦さまの心中を推し量って、釈迦国の首都の迦毘羅衛城(カビラヴァストウ)を「鉄寵」で覆いましょうか……と言った。だがお釈迦さまは、目連の進言を断わります。そんなことをしても無意味だというのでしょう。「釈種(釈迦族)は今日、宿縁がすでに熟した。今まさに報いを受くべし」『増一阿含経』。釈迦国が滅亡の運命にあるのであれば、自分の力でもってしても釈迦国を救い得ないことを釈迦は知っていた。 お釈迦さまはあきらめていたのです。 仏教でいうあきらめは、「明きらめ」「諦め」です。真実を明らかにすることです。一国の運命は個人の力で左右できない。お釈迦さまはそうあきらめて、「政治」に介入されなかった。滅びる運命にあるものは、どうしたって滅びる。じたばたしても仕方がない。あきらめるべし。それが、お釈迦さまの基本的態度であったようであります。
 
 
世の中の出来事を必然と考えると「運命論・宿命論」に陥りやすく、偶然と考えると「唯物論」に陥りやすくなります。仏教ではこうした二つの考え方に与しません。たとえば、運命論にかたよると、成功した者は努力に対して有頂天になりがちです。でも、いくら努力しても誰でも横綱になれるわけではありません。努力に努力を重ねてもリストラされることもあるでしょう。或いは、実直な人であっても交通事故に遭ったり、病気になったり、試験に落ちたりすることもあるでしょう。人生とは「切に思うことは必ずとぐるなり」も本当なのですが、思い通りにはいかないことも人生です。世俗的には人間は決して平等ではありません。人間は生まれた時から、それぞれに運命や宿命といったものを抱えています。才能や容姿、あるいは病気をもっていたりと、まさに一人一人が異なった宿命の中に存在しています。まずはそれらを全てひっくるめた自分自身を意識し、受けとめることが大切と思います。どうがんばってもできないこと、自分の抱えているマイナスの部分、それらをしっかり認めることです。それはマイナス思考ではなく事実をしっかり認識することと私は思います。

 社会がどんなによくなっても、欲するもの全てが手に入ることもありません。何かを得る為には何かを断念しなければならないのが人生といえます。 一度止まる。 そして、出直したり、別の道を見直したりする。すると、誰にだってあらゆる可能性がある。「生」という平等なものがみえてくる。仏道の門戸は常に開いているということがみえてくるのです。
 禅とは、時として正反対のことを示します。「身を惜しむでない」という返す刀で「命を大事にしろ」と言います。「坐禅は安楽の法門なり」と示す一方で「坐禅をしたって何の得にもならん」とつっぱなします。これは、それぞれの人生の生き方に対する心構えを示しているからなのです。いったいお前は何の為に生きているのか、何の為に苦しい坐禅をしているのかと問いかけているのです。
 「生死を明らめる」の「生死」とは「生老病死」です。「生死の中に仏なければ生死にまどわず」というお示しがありますが、これは、俺はこんなところはいやだ、あっちの方へ行こう!と「今」「この場所」から逃げだすようでは安心なる居場所はどこにも現成しないぞということです。「生死を明らめる」ということは、今の瞬間、ここをおいてどこにゆく? 今、生きているこの瞬間を、しっかり受け止め生きてゆけよと示すものなのです。

十六羅漢岩 山形県遊佐町吹浦