世の中は何にたとえん水鳥の
    嘴(はし)ふるつゆに宿る月影
      道元禅師和歌《無常》
                         光陰矢の如し
 人生はまことに無常迅速、「光陰矢の如し」とか「光陰惜しむべし、時人を待たず」といわれるが如く、うっかりしているとあっという間に人生の決着の時がやってくる。人生は無常であるが故に「今」を切に生きるに放逸(怠惰)であってはならない」と強く戒められるのです。
 時計とは今の時刻を計るものであって「今」を観るものではありません。私たちは時間の流れの中に生きていると思っていますが、仏教では私たちの存在が時間であると示唆します。時計は同じ文字盤の上をクルクル回り同じ数字を繰り返しますから、二度と繰り返すことのできない人生を考えれば「今」という本質の思い違いをさせるものかもしれません。時間の本質を慮るという面では、時と共に減っていく燻る線香のほうが「今」を見つめるには適っています。
 放逸にして嘆くのはこの「諸行無常」に気づかぬ証拠です。この無常のいのちを認識すると、誰しもが本気になり人としての納得できる生き方を求めるようになるでしょう。この無常の世界にあって確かなる真理に自ずから目覚めることを発心(発無上心)といい、この発心に目覚めて慈悲心を行ずることを「発菩提心」と示されるのです。



善男善女の為の法話です

生死事大 無常迅速
修正の月(お正月)
 お釈迦さまの根本教義
 お釈迦さまの幸福説法
諸佛の教え(普遍の道理)
 「生きている」ではなく、・・・
 鬼の目の玉ぶっつぶれろー
釈尊最初の教え(12因縁と八正道)
 お釈迦さま最後の教え(八大人覚)
涅槃会(ねはんえ)の話し
報恩の道(意訳父母恩重経)
七仏通誡の偈
「梅開早春」
花 ま つ り
大般若の話し
お地蔵さまのお話
曹洞宗のお念仏
曹洞宗の宗名由来
戒名と血脈について
焼香について
六波羅蜜(お彼岸)
お盆の話し
四苦八苦・八正道
施餓鬼会について
「飯を食う」では・・
おなら=@の作法
善悪は縁に随って起こる
心に残るすてきな生き方
お金が無くても施しはできる
赤ん坊でも跨いではいかん
「親孝行、したくないのに親がいる」・・
「我慢」はよいことではない
穏やかな情熱
魔類の正義と良寛さんの正義
妙好人善太郎と源太の出合い
ウサギと亀の競争(偉いのは・・)
仏教の教えは「あきらめる」
日本神話の物語(古事記・日本書紀の世界)
人間の澱(おり)について
自殺について
死後の世界・霊魂
「桃花源」とは・・
嫁と姑・・
タンポポ
不死人間への医療
最高の神通力
自然環境破壊
どんな人にも成し遂げられないことが5つある
安保(戦争)法案は廃案に・・

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町内の栗谷沢にて撮影







【蓮華は仏教のシンボル】
 日本では一般に、お葬式に使う為に不吉な花というように思われていますが、そうではありません。蓮華はエジプトの他にオリエント諸国の遺跡や遺物の中からも図柄が多く見られ、ペルシャのダリウス宮殿には至るところに描かれているといいます。もともと蓮は、古来めでたい花であり王の華、神の華でした。インドでは、サンチー大塔をはじめ、仏教文化の中にさまざまな形で取り入れられたのです。 
 紀元前2世紀頃、インド北方の王、ミリンダに対し、学僧ナーガセナとの問答は、ミリンダ王の問として伝えられています。
 「大王よ、たとえば蓮華は水中に生じ、水中に生長するが、泥水に汚染されないごとく、仏道修行者は布施をする家、修行者の群れ、利得、名声、尊敬、崇拝そして愛用する必需用具においても、全ての物において、汚染されずにあるべきです。大王よ、これが把握すべき蓮華の第一の徳分である。
 大王よ、更に又蓮華は水面から出て立つが如く、仏道修行者はすべての世間に打ち勝ち、越え出て、出世間のことがらにおいて安立すべきです。これが把握すべき第二の徳分である。
 大王よ、更に又蓮華は微風によっても揺れ動く如く、仏道修行者はわずかな煩悩においても制御をなすべきでありわずかな罪過においても畏怖をみて安立すべきです。これが把握すべき蓮華の第三の徳分である。世の中や人の心が汚泥であっても、蓮華の如く清浄無垢であり、しかもその状態を崩さない。大王よ、これらの徳分が必要なのだ、と言ったと伝えられています。

 蓮の花は決して清潔な陸地や水の中では咲きません。泥田にあってあの美しい清らかな花を咲かせるゆえに尊ばれているのです。また、普通の植物は花が咲き終わってから実ができるのに、蓮華は花が咲くと同時にその中に果ができています。欲望という泥沼に足を取られ自滅していく人々があとを絶たない。百八煩悩とか八万四千の煩悩などといわれるように煩悩には限りがないが、このにがりのような煩悩をしっかり見据えるところにこそ「煩悩即菩提」への仏道が開けるのです。こんなところから蓮華は仏教の象徴とされる華となったのでしょう。