報恩の道(意訳 父母恩重経)

「子を持って知る親の恩」とはよく聞く諺です。しかし、世人曰く 「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深くっていうけど、エベレストなんかマリアナ海溝に沈んじゃうんだよ。やっぱり、父の思いより、母の思いなんだよね!」  ・・・ そんな屁理屈言っている時には親の恩などわからない。「親の育てかたが悪かった」などという人は間違いなく不幸であることが確定する。その妻と子も、それを見て冷たい目で見ながら笑うならば、自ら幸福になりたい気持ちを持ち合わせていない。かくしてともに不幸にして恐るべき五逆罪をつくる。父母はこのような言葉を聞いて心は悲しみにはりさけ嘆き悲しむ。もし、このように嘆かせることあれば、その子供は、地獄・餓鬼・畜生のいずれかの世界に墜ちていく。そして、父母の恩の十種をかかげて「父母の恩、重きこと天に極まりなきがごとし」と示されています。大きな人物として成長する第一歩は、親に対する感謝の気持ちなのです。


著闍崛山(ぎしゃくっせん)の、みほとけは。宝座(ほうざ)をめぐる、善男子。尊顔あほぐ、善女人に。かくの如くに、説き給う。汝等大衆(なんじらだいしゅう)、よく聞けよ。山より高き、父の恩。海より深き、母の恩。知るこそ道の、始めなれ。人のこの世に、生れしは。いみじき因と、縁ぞかし。生気(せいき)を父の、血に受けて、母の胎内(みうち)に、身を宿す。悲母(はは)の我子を、思ふこと。この世に並ぶ、ものもなし。始めて胎(たい)を、受けしより。唯(ただ)胎児(こ)のために、祈るなり。己に月満ち、時期(とき)来(く)れば。業風(ごうふう)頻(しきり)に、うちよせて。骨節くだけ、身もいたみ。生命(いのち)もいとど、たえんとす。父も心身、おののきて。母を気づかい、子を憂い。諸親眷属(しょしんけんぞく)、あつまりて。ただ安産を、願ふなり。やがて生れて、安ければ。父母の喜び、かぎりなく。子の泣く声を、耳にして。みな蘇えるが、ごとくなり。子を守(み)る母の、まめやかに。わがふところを、寝床とし。かよわき腕を、枕とし。骨身を削る、憐れさよ。美しかりし、若妻も。幼な子一人、育つれば。花の花(かんばせ)、いつしかに。衰え行くこそ、悲しけれ。身を切る如き、雪の夜も。骨さす霜の、あかつきも。乾ける処に、子を廻し。懐中(ふところ)けがし、背をぬらす。不浄をいとう、色もなく。洗ふも日日、幾度(いくたび)ぞ。己れは寒さに、凍えつつ。着たるを脱ぎて、子を包み。甘きは吐きて、子に与え。苦きは自ら、食ふなり。幼な子乳を、ふくむこと。百八十斛(こく)を、越すとかや。まことに父母の、恵みこそ。天の極り、なき如し。母生業(なりわい)に、いそがしく。野辺に草かり、耕せど。幼な子家に、泣き叫び。我を慕うと、思ふとき。心はさわぎ、胸つぶれ。乳は流れて、とどまらず。いつか仕事も、打ち捨てて。家路さしてぞ、急ぐなり。母の姿を、見出して。喜びおどる、幼な子を。見るより母は、馳(はせ)よりて。憐れとばかり、抱きしめ。乳ふくませて、顔見つめ。母も喜び、乳児も笑い。二つの心、映り合ふ。恩愛のほど、有難き。父母は吾子(わがこ)の、ためならば。悪業(あくごう)つくり、罪かさね。よしや悪趣(あくしゅ)に、落つるとも。少しの悔も、無きぞかし。若し子遠く、行くあらば。帰りてその面貌(おも)、見るまでは。出でても入りても、子を憶(おも)い。寝ても覚めても、子を念(おも)ふ。髪くしけづり、顔ぬぐい。衣をもとめ、帯を買い。きれいなものは、子に与え。父母は古きを、選ぶなり。己れ生ある、その内は。子の身に代らん、事思う。己れ死に行く、その後は。子の身を護(まも)らん、事願う。よる年波の、かさなりて、いつか頭の、霜しろく。衰えませる、父母(ちちはは)を。仰げば落つる、涙かな。ああありがたき、父の恩。子は如何(いか)にして、酬(むく)ゆべき。ああありがたき、母の恩。子は如何にして、報ずべき。みほとけ更に、宣(のたま)はく。汝等大衆、よく聞けよ。親に仕ふる、子の正道(みち)は。在家出家の、差別(べつ)ぞなき。父母病み給ふ、ことあれば。床辺(そば)を離れず、夜間(よるひる)を。親しく自ら、看護して。他人に委(ゆだ)ぬる、ことなかれ。まどろみ給ふ、たまゆらも。こころ静めて、息を聞き。眠ざめ給ひし、その時は。懇(ねんごろに)にかゆを、すすむべし。吾子(わがこ)の情に、ほだされて。箸とる父母を、眺めては。喜びいさむ、子のむねも。浄き熱相(なみだ)に、濡るるらん。若し父母の胸、暗くして。道に外るる、ことあらば。誠心(まごころ)こめて、いさめつつ。正しき方に、みちびけよ。業因(ごういん)いとど、深くして。猶(なお)あらたむる、事なくば。泪とともに、念じつつ。わが飲食を、絶てよかし。生命(いのち)にかけて、祈るとき。如何に頑固(かたく)な、両親(ふたおや)も。子の恩愛に、ひかされて。自づと道に、向はなん。世の人人よ、こころせよ。力つくして、父母のため、珍味佳肴(ちんみかこう)を、山とつみ。よしや栄華(えいが)に、あかすとも。いまだ三宝、信ぜずば。真(まこと)の孝には、あらずかし。心をみがき、身を修め。道に励みし、人人も。一度(ひとたび)酒色に、ふけるとき。悪魔忽ち、身に入りて。家を亡し、身を殺す。実例(たとえ)は古今に、限りなし。道の光に、、照らされて。仏の五戒、奉じつつ。仁義礼智を、つちかいて。信の一途に、進むとき。一族むつびて、家さかえ。親子兄弟、もろともに。現世(このよ)は平安(やす)く、おだやかに。来世は善処に、生るべし。あわれ地上(このよに)に、数しらぬ。衆生の中に、ただひとり。父とかしづき、母と呼ぶ。貴きえにし、伏しおがみ。起てよ人の子、いざ立ちて、浮世の風に、たたかれし。余命すくなき、ふた親の。弱れる心、慰めよ。さりとも見えぬ、父母の。夜半(よわ)の寝顔を、仰ぐとき。見まがふ程の、おとろへに。おどろき泣かぬ、ものぞなき。木静まらんと、欲すれど。風の止まぬを、如何(いか)にせん。子養(やしな)はんと、ねがへども。親在(おやいま)さぬぞ、あはれなる。逝(ゆ)きにし慈父の、墓石を。涙ながらに、拭ひつつ。父よ父よと、叫べども。答えまさぬは、果敢(はか)なけれ。ああ母上よ、子を遺(お)きて。如処(いずく)に一人、逝きますと。胸かきむしり、嘆けとも。帰りまさぬぞ、悲しけれ。父死に給ふ、そのきはに。泣きて念ずる、声あらば。生きませる時、慰めの。言葉かわして、微笑(ほほえ)めよ。母息絶ゆる、その臨終(きわ)に。泣きて拝がむ、手のあらば 生きませる時、肩にあて。誠心こめて、揉(も)みまつれ。げに古くして、新しき。道は報恩の、おしえなり。孝は百行の、基にして、信(まこと)の道の、正門(せいもん)ぞ。世の若人よ、とく往きて。父母の御前に、脆拝(ひざま)づけ。世の乙女子よ、いざ起ちて。父母の慈光(ひかり)を、仰げかし。老いて後、思ひ知るこそ、かなしけれ。此の世にあらぬ、親の恵みに。