しあわせ地蔵の「しあわせ」を漢字で書くと「幸せ」です。この「幸」の文字は「夭」と「逆」のしんにょうが無い字の組み合わせです。「夭」は夭折という言葉が示すように、幼くして死ぬことを意味します。このようなところから、お地蔵さまの建立誓願を立てるのは多くの場合、水子の霊を慰める為、あるいは、不慮の事故や災害で亡くなった子供の供養の為などが多いのでしょうが、しあわせ地蔵尊建立の発願は冥福供養の誓願だけではありません。しあわせの漢字には他に「倖せ」と「幸福」があります。「倖せ」は不相応な幸いとか思いがけない幸いとかまぐれ当たりの幸いなどとなっています。字義的解釈から言えば本当の幸せとはいえないでしょう。「幸福」の「福」には、神仏の加護を信じ感謝するという意味があります。すべてのご縁で、お陰さまで生かさせていただいているという喜びが「しあわせ」なのでしょう。それらの広義の意味をふくめての「しあわせ地蔵」です。
お地蔵さまは六道能化(ろくどうのうけ)の地蔵尊といわれるように、普通、左に宝珠、右に六道をめぐるための錫杖(しゃくじょう)を持っているのが多いのですが、しあわせ地蔵は左手に宝珠、右手は施無畏(せむい)の印をむすんでいます。この宝珠というのは私たち人間だれもが、天賦の仏性という宝をもっていることを教えています。人間はだれでも、本来、仏性(仏さまと同じ本性)という宝に恵まれています。これが仏教の根本の教えです。しかし、現実のしがらみの中で私たちはその大切な宝を見失いがちになります。
お地蔵さまは私たち衆生を救うために、さまざまな姿に身を変えて(仏教の言葉でこれを応現といいます
)、私たちの前に現れると説かれています。 『観音経』にも観音菩薩が三十三身に応現して、衆生を救うと説かれておりますが、しかし「山林、川原、河地、泉井を現じ」と、自然そのものに菩薩が応現することを教えている経典は、お地蔵さんの経典以外に私は知りません。
自然そのものを考えるとき、人間の自分勝手な仕業も大地はじっと黙って耐えています。私たちは、畑に農薬をまいたり、山をきりくずしたり、捨てても腐らないゴミを放置したりと、大地や河川を汚してきました。けれど、大地はじっと耐え、私たちをしっかり支えてくれています。しかし、その忍耐強さに甘えてはならないのです。大地の聞こえぬ声を聞き取ることが大切と思います。
そんな願いをもとに4年の歳月をかけ準備してきたお地蔵さまです。当初は青銅製のお地蔵様も考慮したのですが、酸性雨の懸念もさることながら、大地の心を表す為にはある程度大きな石像が適当ではないかと考えました。大地の心とは、生命を育むこと、忍耐力、どっしりとした安定の三つです。
台座の高さは170cm座像230cm全体重量約35トン御影石のお地蔵さまです。
彫刻を依頼するに当たり、中国北京中央工芸美術学院の王明旨教授に監修を願うことが出来ました。こちらの希望をデッサンから吟味して、北京で二分の一の粘土像作製。平成9年1月9日その確認の為中国に渡りました。その後は石膏の型を福建省の福州まで移送しての造像でした。
観音菩薩も文殊菩薩も、菩薩はすべて将来必ず仏になることを予定されています。ところがお地蔵さんだけは、みずから衆生済度のために、仏になることを放棄した菩薩です。地蔵尊の願とは「みんながしあわせにならないうちは、地蔵さまの幸福はあり得ない」のです。
誰でもこの世に人として生を受け、自分の幸せを願わない人はいないでしょう。本当の幸せを求めての道が求道となるはずなのです。仏教では仏になることが理想なのですから、それを放棄したお地蔵さんとは、自分が如来になり悟りを開くというより先に、困っている方を救うことを「願」として修行なさっている菩薩であるということになります。
お地蔵さまをお参りする時のご真言は「オンカーカーカビサンマエイソワカ」です。「カカ」とは「呵々大笑」の「呵々」で「カビサンマエイ」は微笑みを表します。雨の日も風の日もいつもやさしい微笑で見守るお地蔵さま。そして我欲を捨てた誓願の前に私はほんとうに恥ずかしくなります。けれど、恥を感じるからこそ自己の傲慢に歯止めがかかります。仏教では恥の心を慙愧(ざんき)といいます。慙はみずから心に罪を恥じること。愧はみずからの罪を人に知られるのを恥じること。この慙愧の心を起こさせてくれるのもお地蔵さまです。
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