Endless SHOCK
帝国劇場 2006.03.18
昨年は落選してしまいましたので、「Endless SHOCK」はこれが初見。あ、でも前日に前回公演のDVDは見て、一応頭には入れてまいりました。会場に入ると客席後方の左右にカメラが設置してあるのが目を引く。始めは収録かと思いましたが、本編を見ていくと、左右の壁とか、セットとして出てくるデッカいビジョンなんかに光一さんが大写しになる演出が何度かありまして。これはコンサートではお馴染みのライブカメラだということがわかりました。なんかもうミュージカルじゃないよな。ロールシャッハテストのような不気味な幕、および不穏なベルは健在。
以下、*のついている曲名は光一さん作曲にによるもの。
OVERTURE
「Shock Overture」「Shock Medley」
オープニングは懐かしのパターン。オケピがせり上がってきて、指揮者が振り向くとそれはコウイチ…という登場。しかしステージ奥の三方を固める大きなLEDビジョンの映像をみるにつけても、これは以前とは別物なんだなー、と感じた。舞台にはセット、というのがこれまでの常識ですが、画面がポンとあるんですからね。なんだろう…「脳化」という言葉が頭をよぎったり。
その後はこれまでの「SHOCK」を彩った名曲がメドレーで歌われます。しかしオープニングでいきなり「ONE」とか歌われると見てる方は複雑。それからCharles Strouseの曲は、折角作ってもらったんだからどこかでやんないと、って感じなんでしょうか。ちょっとオトナの事情を感じるコーナーでした。黒人のラターニャが良かったな。「Let's Go to Tokyo」って、歌うまい人が歌うとこんなふうになるんだー、とか思った(失礼)。
OFF Broadwayのショー 〜 バックステージ
「So Feel It Coming*」「NEW HORIZON」「My Pleasure」
アッキーによる客いじりを交えながらの口上。イジられたお客さんの反応がイマイチだったみたいで、「あの、もっと反応してください」とか言われてました。「オフなもんで少々地味ではございますが、お楽しみください」なんていういかにもな紹介からショーが始まります。しかし確かにセットとかライティングは地味にしているけど、ダンサーの質量が豪華すぎてやっぱ派手にみえる。
ここ見ただけでもこれまでより全然群舞がキレイになってるなあ、ってわかりますね。コウイチを頂点とし、ツバサ、リカ、MA、その他ダンサーというヒエラルキーがしっかり見えるから、とても秩序だってる気がします。特にトップの3人の並んだ感じがすごくキャラが立ってていいなあと思いました。遅ればせながら今回のリカ役の亜弥ちゃんは光一さんより背が低いのねー。これはもう奇跡的(笑)。でもあまりに見慣れない図で逆に違和感を覚えちゃったりしました。わは。
やっぱここの見せ場はフライング・カーでしょうね。ここのシーンの光一さんの「どや!」具合も含めて見ものです。前回は赤のマスタングだったようですが、今回はシルバー(白?)の車でした。車種はヨクワカラナイ。あれ、どーやって飛ばしてるんでしょうね。このショーでは沢山のイリュージョンが組み込まれているんですが、やっぱり見慣れてしまっている部分があり、なかなか驚きにはつながりにくい。でもあの車は圧倒的な質量もあってインパクトありました。
…かといって「驚き」にばかり力を入れて欲しいわけではありません。ともするとジャニーさんとはかそういう方面に走りがちですが。パンフレットのコメントを見ても、光一さんはちゃんと「メッセージ」というキーワードで「SHOCK」を新たな方向に導いているようですね。そしてその選択はとても正しいと思います。
劇場の屋上
「N.Y. Night」
このシーンは最初に「ああ、Endless SHOCKなんだなあ」と強く感じるシーンではないでしょうか。でも、テンション振り切ったシーンが多い中で、こういうささやかな喜びとか、絆を示すシーンというのはとても繊細で好きです。屋上って場所自体がセンチメンタルだしね。こういうシーンの積み重ねが見えないところでストーリーを生かしていくんですよねえ。子供時代の回想まで入れるのはやり過ぎかとも思ったけど…これも最後のシーン見て、結果的にはOKだと思いました。いい歌だし。
でも、シーンの手触りがしみじみとしたものだったので、「限界なんて、オレ達にはないのさ」というコウイチの発言にはやや違和感を覚えた。未来は無限に広がっていると手放しで信じられる「若さ」、みたいなものは伝わってきて、後の悲劇をより際立たせていたとは思いますが。
それにしても秋山の芝居はほんと「SHOCK」を支えてますね。助かる。
あ、DVDが全体を通していかにもな口パクだったので、まあ口パクなんだろうなあ、とここまでぼーっと見てたら、全然普通に歌っているのに気付き、「そういや『SHOCK』ってあんまり口パクしないんだった」ということも思い出し、「DVDに収めるときに入れ直したんだろうな」、なんてことを思いましたです。
Broadwayの街、裏の路地
「It's a Wonderful Day」
前回に比べまず大きな変更点。バイトじゃなくてブロードウェイに観劇という勉強をしに行く、というふうになってました。公園でパワーヨガしている人とかいたよ(笑)。ナオキとの出会いのシーンも挿入されてました。確かに終盤のナオキ・オン・ステージって、結構唐突に始まる気はしてたんですよね。「あいつとショーできねえかなあ」ってのは伏線として生きたと思います。
その途中でカンパニーを絶賛する新聞の劇評を目にする一行。思いもよらなかったチャンスに色めきたつ。しかしコウイチだけは冷静に、「オンの先に何が見えるのか、やってやろうじゃないか」と言います。オンに行けるからそこでアガリじゃない、ってことなんですが、ここでこの発言は水を指されたような気がした。「今更なんて、遅すぎるぐらいだぜ!」とか言っちゃうぐらいでいいのになあ。だってさっきは「どこまでも突き進んでやる!」って言ってたじゃん。でもそうするとツバサとコウイチの相違点が見えにくい?とにかく「オレがやってやるぜ!」というのがツバサ。それに対してコウイチは…?「オレが」じゃなくて、「ショーそのもの」が最高である、そういう状況を目指すべきだ、ということなんでしょうか。作品優先ってことか。今ならそうも考えられますが。見ているときはコウイチが何を考えてるのかわかりかねてしまって、他の登場人物と一緒になってちょっとヤキモキしてしまいました。
World Adventure
「AMERICA」「Jungle 2006」「Step on the Earth」「Love and Loneliness」「Shrine」
「AMERICA」。オフからオンに移り、電飾の量といい、衣装のキラキラ具合といい、煌びやかさが一段と増したのが一目瞭然。なかなか気持ちいい流れです。
「Jungle 2006」。きたきたきたーッ!「World Adventure」ではお馴染みのナンバーではありますが、相変わらずめちゃくちゃかっけーよ!あのバトンを振り回すところとかたまりませんねえ。光一さんこのまま孫悟空もいけますよー。いや悟空は全然キャラじゃねえけど。今回はここにツバサたちも参加してイリュージョン的な要素が増えてましたね。
「Step on the Earth」。最初のアメリカンな部分、DVDではラターニャのボーカルがめっちゃかっこいいと思ったのですが、今回なくなってました。チャイナもMAだけになり、ここのツバサの衣装がいたくツボだったので個人的に残念。どっかでアッキーが一人だけ前に出てきてタップのソロを取るところがあったんですが、その時、ちょっとニヤリとしながら視線を横に外してから、おもむろに正面向いて入った感じがちょっと「うわー」と思いました(笑)。でも彼はそういうことをやって結局皆にイジられるという、そんなキャラでいいのだと思います。わは。
「Love and Loneliness」。歌の入りの光一さんの跳躍がすげえ吹っ切れてる。キレーに四回転決めるところがありました。それもすげえ。そして何故かスパニッシュには台宙がつきものみたいになっているのねー。
「Shrine」。神殿のセットはこれまではオープニングの劇中劇で使われてたものですね。ギリシャっぽいから流用、ってことになったんでしょうか。ここは光一さんのロープアクションがあって、最後ちょっとだけ群舞で終わりなんですけど、とにかくそのロープアクションがハンパじゃないんで、終幕時のテンションはものすごかったです。DVDでは光一さんは銀ラメ衣装でしたが、今回は黒にシルバーの線が入ったようなノースリーブの衣装(断然こっちの方がカッコええ)だったような気がします。
バックステージ
「Love…」でセットのミスからステージに出られなかったことでスタッフを責めるツバサ。それを一喝するコウイチ。その表情がこえーのなんのって。オレあんな顔で怒られたら泣く。ここで、ツバサ=自分が目立ちたい人、コウイチ=その時点でのベストなショーを提供したい人、という対立がよくわかるようになります。
でもやっぱりコウイチの「今のショーにこだわるな、オレはもう次のショーを考えている」って発言は正直、高邁すぎてワタシもカンパニーの面々と同様に困惑してしまいました。ワタシ的にはここまでコウイチの発言に感じてきた違和感がはっきりした。「ショービジネスは新しさを失った時に輝きを失う」みたいなセリフはかつての「SHOCK」でも聞いたことはありましたが、そしてそれは理想だとも思うんですけども、でも、どうしてそこまでやるの?と。…そうだ。思えばワタシはSHOCKを見るたび「どうしてそこまでやるの?」と思い続けてた。でも、たぶん「今立ち止まったら、そこで終わりがきてしまうんだ」というのは、理屈ではなくて、コウイチ=光一が否応なく立たされている境地であって、それを他人が理解するのは困難なことなんだと思います。光一さんも結局「なんで走り続けなきゃいけないのか、いくら考えても結局答えは出なかった」とパンフで言ってましたからね。いわば光一さんの実存の問題なんです。それを観客にストレートにぶつけている…これはある意味非常にプライベートな舞台なのかもしれない。そう考えると非常にワクワクしてきました。
Japanesque Show
舞台「浪人街」ばりの大規模な殺陣シーン。帝劇の奥行きのある舞台を存分に使ってました。それにしてもジャニーズミュージカルは元ネタが非常にわかりやすくて、逆に好感持てます。きっと次回は水たまりとか作るから(笑)。「これいい!」って思ったのを素直に取り込んでるんでしょうねえ。「ブラスト!」なんて出演者ごと引っ張っちゃってるんですから。でもそういうなんでもアリが醍醐味なんだよなー。
リカ姫を拉致したツバサ一味とお姫様を守るコウイチ軍団の戦い。ツバサの襟巻き、コウイチの兜がそれとなく「謙信と信玄」をイメージしてる感じですが、でもどっちもガラ悪くて山賊のナワバリ争いに見えた(笑)。いや、そういう粗野な感じが帝劇では新鮮ですよね。お上品にまとめるよりも熱い気持ちを伝えたい、という「Endless SHOCK」の目指すところがよく伝わってきました。それにこの戦いは、前シーンのコウイチとツバサの対立を引き継いで行なわれるんですよね。ここまで劇中劇とのリンクに気を遣っている…ここまできたのだなあと感慨に浸らずにはいられません。
ツバサが客席に矢を射ると、客席通路にいたコウイチがそれをはっしと手でつかんで舞台へ上がっていく、というシーンが挿入されてました。この時ちょうど光一さんが立ってた真横あたりの席だったんですよね。すんげービックリしました。ホントに矢を取ったみたいに見えたし。
クライマックス。ツバサの刀が飛んでしまい、替えの刀(真剣)をアキヤマから受け取ってツバサに渡すコウイチ。ツバサはひるみますが、コウイチが挑発し、ツバサが振り回した刀で結局コウイチは深い傷を負う…。血が噴きだし、血まみれになりながら階段を落ちていくさまは圧巻。「鬼気迫る」なんて言葉じゃ言い表せない。長丁場の殺陣で気も絶え絶え、ほんとに死ぬんじゃないかって思いました。でも階段落ち自体はもう普通に見ちゃってる自分がコワイ。「SHOCK」を見てるといろんなすごいことが麻痺してきちゃいますね。ここではコウイチを斬ってしまった後のツバサの腑抜けのような後姿がとてもリアルだと思った。本当に人を斬ったらああいうふうに身体に力が入らなくなって立っていられなくなると思う。
…それにしても。ここ変だなあと思うのですよ。対決シーンなんだから、ツバサの刀が飛んだのをチャンスと斬りかかるのが納得の流れなわけで。まあ、コウイチが階段落ちする段取りのショーだから、カンパニーとしてはコウイチが負けるように対応していかなきゃならないわけなんだろうけど。でも、あの替えの刀をコウイチが渡すってのは、トラブル対応としてスマートじゃないよな。だから変だと思っちゃう。コウイチの刀が飛んで、替えが真剣だと知りながらコウイチが使う、ってんだったら非常に話は早いんだけどなあ。そうやってツバサを傷つけてしまって…という流れは考えられないかな。ツバサが危篤に陥り、とうとうショーを続けることができなくなったコウイチの元に、突然ツバサが現れて一緒にやろうと励まし、見届けて昇天して行く…。いや、これなかなかいいんじゃないですかね(自画自賛)。コウイチは終始スーパー・マンとして描かれてるじゃないですか。感情移入のしどころがほとんどない。だから一回挫折するシーンがあれば感動的だと思うんだよねー。そういう弱さは光一さんが許せないのかな。
Prologue
「In the Cemetery」
30分の長い休憩を挟んで、ここから二部。かっくいー!!「My Trurth」を引き継いだゴースト・ナンバー(笑)とでも言いましょうか。死者の国の王子様ってたたずまいが何ともツボです。でもDVDで着てたブラウスの袖のビラビラはなくなってましたね。ギュっと集まった感じの群舞も非常にカッコイイです。ラストの十字架から強い逆光が指して光一さんのシルエットが浮かび上がるシーンも目に焼きつきました。
おもむろに貸し双眼鏡を取り出したのですが(遅っ)、光一さん、ヤセてましたね…。顔の骨格が前に出てたよ…。
Shakespeare Theatre
「ハムレット」「リチャード三世」「ロミオ&ジュリエット」
ストレート・プレイが続きます。シェイクスピア3作品共に、ストーリーに実際のカンパニーメンバーの心情が交錯している。今も病院のベッドで苦しんでいるコウイチに対するアキヤマ、ツバサ、リカの思い(もっと正確にはアキヤマと、アキヤマが考えるツバサとリカのコウイチに対する思い)がそれぞれ表れてたんだよねー。シェイクスピアやるんだったらストーリーにリンクさせていきましょうよ!なんてことを常々言っておりましたけど、ワタシなんかが言わなくても光一さんはずっとそう考えてきたんでしょうね。しかもあれほどリンクするとは思いませんでした。
ここでは亡霊さん役として、「ハリー・ポッター」のディメンター(吸魂鬼)みたいな顔の見えない頭巾を被ったダンサーさんがうようよ出てくるのですが、光一さんの早替えの目隠しをしたりなんだり、まあ徹底的な端役ぶり。考えてみればこういう端役の端役然とした使われ方をあまり見たことがなかったので、なんか顔も見えない亡霊さんたちに妙に感情移入してしまいました(笑)。劇団だとわりと横並びで扱われますからねえ。商業演劇とか、研究生が沢山いる新劇の劇団とかってこういう感じなのかー、とか見当違いなことを思った。
「ハムレット」。父王の亡霊として仮面をつけたコウイチが出てくるのですが、亡霊だからなのでしょうか、手をずっと「うらめしやー」の広げた形で中途半端に挙げているのがちょっと笑えた。それから父王の亡霊の腰にひしと抱きつくシーンも健在。これってハムレットのお約束のシーンなのか?
「リチャード三世」。棺から光一さんが出てくるのですが、目を閉じて収まってる最初のところ、双眼鏡で見てたけど「あ、人形か」って本気で思ってしまいました。動き出したからすんげービックリしたよ。どんだけキレイな顔なんだ。しかしそんなキレイな顔で「絶望して死ねェーーーー!!」って連呼するんだからさらにビックリしました。でもなんか「死ねェーーーー!!」って言ってる姿…活き活きしていたような。衣装は前回の純白のガウンから暗い色のガウンに変わってましたね。
「ロミジュリ」。ここで一番楽しみにしてたはロミオの死に顔なんですが…観た時は横顔だったんですよ!ちょっと顔だけ正面向け気味に倒れてくれれば、麗しい死に顔が堪能できたのに。残念。DVDにはありませんでしたが、ジュリエットが、毒を飲んで死んだロミオの毒を自分も受けようと、唇にキスをするシーンがありました。ちゃんとキスしてたようでちょっと「おっ」と思った。…ていうか前回はメイサ的にNGだったのか。残念だな光一さん!それにしてもメイサも今回の亜弥ちゃんもここの芝居は変だよ。ここだけ蜷川幸雄に演出つけてもらってくださーい!でも大いに客は泣かせてました。
アキヤマの劇場のバックステージ
「Don't Look Back*」「The Lady is a Tramp」
アキヤマの劇場で行われているシェイクスピア芝居。そのバックステージに突然現れたコウイチ。そこにリカがやってきます。ここは今回数少ない光一さんのアドリブシーンですね。「へへっ」と笑いながら言う感じは非常にオヤジくさいでーす(笑)。青いガウンを着てるリカに対し、「その青は悲しみ…?それともドラえもん?上から100、100、100?」とかわけわかんないことを連発。確かにこのシーンのリカは着膨れてる感じがしましたが。そんなコウイチにムッとしたのでしょうか(そんなこたない)、芝居を続けようとする亜弥ちゃんに対し、「もう一回言おうと思ってたのに…」となおもアドリブを続けようとする光一さん。しかし対処のしようのない亜弥ちゃんはなおも芝居続行。「まあいいや」と結局光一さんが折れたのでした。でもメイサよりは光一さんもからかいがいがありそうな?
ツバサのショー
「Watch Me!」
コウイチが重体となってもなお、事故のあったあの劇場でショーを続けているツバサ。しかし「ギリギリでやってるって感じだな」「見てらんねえよ」というカンパニーメンバーの言葉はよくわからんかった。目に力がない、とかそういうレベルなのか。普通にやってるように見えたので。
バックステージ
「Why don't you dance with me?*」「What 10 wanna say」
ツバサの前に突然コウイチが登場し、「Why…」を歌い踊りながらツバサにもう一度一緒にやろうと挑発します。ダンス・バトルといった感じですね。いわゆる劇中劇ではない、ストーリーに沿ったダンスナンバーでここまでカッコイイと思ったことは今までなかった。むしろ感情をダンスで表す、みたいなのは恥ずかしいという感じが、自分にも演者側にもあったとも思うんですが(光一さんはミュージカル嫌いのタモリに「うちのはあんまりそういう感じじゃないんで」とよく言っていた)。ここでは踊ること自体にも必然性があったし、ストーリーに乗っかった感情の迸りみたいなものもすごく感じて、ダンスのカッコ良さ+αが間違いなくありました。歌詞のシンクロ具合も素晴らしい。ここからラストへ向かっては全編だーっとそんな感じになっていきます。
ここでツバサはコウイチに自分の罪を告白します。一人突っ走るコウイチへの嫉妬、それを容認するカンパニーへの苛立ち。それが自分をあの行動(コウイチを困らせようと、真剣にすりかえたこと)に駆り立てたのだと。その一つ一つの言葉に大きな説得力がありました。コウイチという大きな存在を間近にしてしまったが故の悲劇。このストーリーの主役は実はツバサなのではないだろうか、と本気で思ったほどです。その後にリカが、コウイチは実は病院で息を引き取ったと、ここにいるコウイチは幻影なのだと吐露するシーンもすごく良かったなあ。ジャニーズミュージカルにやっと自ら考える女性が登場した、という感慨もありました。ここは間違いなく残された生者、「それでも」生きていかなければいけない人々が主役のシーンだったと思います。
こうなると死者であるところのコウイチはもう、一気に微妙な存在になってくるんですよね。もうストーリーの中心には立ち得ないんじゃない?さーどうする?とちょっと意地悪に見てましたら。コウイチはこともあろうに「それでも」ショーをやろう!と言い出すわけですね。やっぱりどうしてそこまで(死んでまで!)やるのかわからない。でも、その情熱は掛け値なく眩しい。それだけはわかる。だからこそカンパニーの皆はコウイチについて行ってたんですよね。一人で踊り出すコウイチの姿を見てそう感じました。その情熱のある限り、皆はコウイチについていけるし、コウイチはストーリーの主役たることもできるんだと。
It's a New World on the Earth
「ナオキ登場」「コウイチvsナオキ」「Flying1・2」
ツバサの「いくぞー!!!」という気合いとともに始まったコウイチのラストステージ。このキアイも序盤だと「ハァ?」って感じになりそうなんだけど、ここまでストーリーのテンションが上がってくるとアリ!って思えちゃいます。
ナオキの超絶テクニックのドラムソロステージ。背景を飾る大きな赤い布のドレープが非常に美しい。DVDでは打楽器の音って全然伝わらないんだよな。同じ空気を通して音を感じることができて感動しました。それにしてもアメリカでもまれると日本人はみんなイチローみたいな顔になるんだろうか。
再びステージ奥の三方の壁に巨大なLEDビジョンが登場し、コウイチとナオキのドラムバトル。前回よりもナオキのドラムがおっきくなってたり、コウイチの締め太鼓セットに竹飾りがついてたりと派手になっていたような。光一さんは太鼓叩いている間、ずっと口開いてましたね(笑)。集中してる証拠だなあ。
今回のショーの目玉のラダーフライング。客の真上で四方の梯子を行ったりきたり。二階席の客の目の前まで行きます。梯子にワイヤーが絡まったら終わりですよ。普通あんなことしようって考えないぜー。自分の腕と、フライングスタッフへの全幅の信頼が大前提で、プラス「見たことのないものを見せよう」っていうチャレンジ精神がなければ。ここでも「なぜそこまでする?」とつぶやいてしまいました。
「MASK」ツバサとナオキの剣とバチによるバトルを挟み、マスクイリュージョンへ。ここまで「SHOCK」が進化してしまうと、誤解を恐れずに言えば、昔ながらのあのマスクイリュージョンはやや地味に感じてしまいます。でも、なくして欲しくはないんだよなあ。あのマスクを全て脱ぎ捨てた果ての素顔、というインパクトは何物にも替え難いものがある。なにか見せ方がもっとあるのかもしれない。思い切って劇中劇以外で出すとか(それは思い切りすぎだろうが)。とにかく「やや地味」というのは皆に共通した感想のようで、今回はその後ろでナオキがグイングイン動く竜に乗って太鼓を叩いたりと、主にバックその他の方にテコ入れがなされていました。まさかあの竜がここで復活するとは。
「夜の海*」
マスクを全て脱ぎ捨て、真紅の衣装で「夜の海」へ。ああ…美しいですね。前回の「Endless SHOCK」を見ていないワタシにとって、サントラで初めて聞いた「夜の海」のイントロの大仰さは大いに「?」だったのですが、本編見て「こ、こーいう流れだったのか!」と膝叩きまくりでした。それにしてもこの曲の何が素晴らしいって、メロとかリズムとか色々あるんでしょうが、とにかく構成が素晴らしい。大々的なイントロから一転して静かに進んでいき、徐々に高まり、大サビで切なさが頂点を迎え(だって、「I will say GOOD-BYE to yesterday…and me」ですよ!)、後奏がそれをさらに煽る、という。くーっ。切なさで死にそうだ。そしてそれを歌い、踊っているコウイチ、いや光一さんの気迫。一切手を抜いていない。誰がどう見てもそうわかる。これが人生のラストステージ。この説得力。ほんと、ここでダンスを「こなし」たり、「流し」たりしたら、これまで積み上げてきたストーリーが一切合財崩れるわけです。客がしらけたら終わり。その名の通りに「死ぬ気で」やらなきゃならないナンバーなんですよね。演ってるほうも見てる方も非常に体力を伴います。でも、それ故に訪れる感動は大きい。
「夜の海」のラストで、空から桜の花びらが舞い落ちてきます。それは最期を知らせる先触れ。コウイチもここで自分の時間があともう少しであることに気付きます。
「大桜」
ここは川崎悦子先生の振り付けで間違いないでしょう。あと「夜の海」もねー、ブレイクで突然脱力するところとかがちょっとそれっぽいと思いました。コンテンポラリー入ってるというか。
ショーのフィナーレ。皆が真っ白な衣装で登場し、群舞の途中でコウイチが倒れます。駆け寄り抱き上げるツバサ。そのツバサの頭を抱き寄せるように手をかけるコウイチ。この手首をくっと曲げたコウイチの手がもう!何ともいえない優しさと美しさをかもしだしていました。ワタシ的にはあのシーンの手に助演男優賞をあげたい。
戻ってきたコウイチのことを評して、「やり残したことがあるから輝ける」みたいなことをカンパニーメンバーは言ってましたが。コウイチはステージにやり残したことがあるから戻ってきたのでしょうか?でも、その時その時のベストなステージを演ってきたという自負もあるであろうコウイチに、そんな悔いはあるのかな。そうではなく、自分を見失い続けていたツバサを許すために戻ってきたんではないかと。自然とそういう結論になります。本人も自覚してなさそうですが。だから最期にツバサに笑いかけて逝ったんだろう。…そうなんです。DVDでは微妙でしたが、帝劇で見たコウイチは歯を見せて笑いながら逝ったんですよ…。うわーん。
そして昇天して行くコウイチの脳裏をよぎるのも、ツバサと共にダンスに明け暮れた少年の日々なんですよね。ワタシ的にはここが最高の泣き所でした。だってこれをコウイチ→光一に置き換えれば、ツバサ→剛でしょう(そういうこと言って欲しくない光一ファンはごまんといるんだろうがワタシはキンキファンなので言ってしまいますよ!)。うわーん。こういちさーん。その愛。
Epilogue
「CONTINUE*」
もう何も言うことはないですね。光一さんの遠くを見つめる目の優しさ。心の痛みを乗り越えてそこに立つカンパニー。最後まで感動的。こんなカタルシスは想像以上でした。
光一さんから短いご挨拶。ワタシ達が見た夜の回は401回目だったそうで、昼に400回を迎えてたんですね。惜しい。来年の再演が決まったということも語られましたが、「以前お伝えした新作の方も、東宝さんと話をつめているところです」というエクスキューズもちゃんと入りました。確かに、「オレは次のショーを考えている」と舞台上で言っているコウイチ=光一にとって、新作はもう至上命題といっていい。ここまでの「SHOCK」を見せてもらっちゃった以上、前より新作に対する渇望ってのは少なくなってるんですけども、それでも、やっぱり見てみたい。これをプレッシャーと感じず、既得利権にすがる東宝を口説き落として(笑)、挑んでいただきたいですね。個人的には「銀ちゃんが逝く」とかでもいいヨ!←オイ。
途中で「実存の問題」と書きましたが、なぜ光一さんがこんなにも舞台に打ち込むのか、っていうことは何となくわかる。それは光一さんが舞台初日に靭帯を切ってしまったときに東宝さんから言われた言葉、「あなたがたとえ車椅子になったとしても、車椅子なりの表現がある」ってこと。世の中のほとんどの人は、そんなことになったら役を降ろされて、それで終わり。でも、光一さんは舞台においてはそれほど入れ替え不可能な存在なんです。いや、この言葉が発されて初めてそうなったと言ってもいいかな。アイドルという存在自体が入れ替え不可能な感じもしますが、実は代わりは掃いて捨てるほどいる。というかアイドルって存在はポストでしかないわけですね。誰でもいい。そういうことは光一さんが一番よくわかっているんだと思います。勿論剛さんもね。だからこそ、舞台で獲得した入れ替え不可能性ってのは強烈な経験だったんだと思います。だから執着するんだろう。
でも、「舞台に立ち続けること」≠「走り続けること」であって、前人未到の領域にこだわり、走り続けるその原動力は一体…。いままで凋落を味わったことがないから?トップにい続けるが故に高まる強迫観念から?…そうなのかもしれないけど、やっぱり光一さんにしかわからない。しかも光一さん自身にも感覚としてしかわからないものなんだと思います。でも、その答えを追い求めずにはいられない。そんなふうにしか生きられない。「Endless SHOCK」を見て私達が感動する時、紛れもなく私達は「堂本光一」という人間の、ある意味不器用な生き方そのものに感動しているんだと思います。
以 上