湯浅の思い

湯浅の思い

三重海星高校前監督  湯浅 和也

回 想  〜夢だった母校の監督〜
 昭和62年10月、私は母校である海星高校の野球部監督に就任しました。
 28歳の秋でした。それまで、紆余曲折があり、クラス担任、野球部副部長、剣道部顧問といろいろな経験を積みましたが、教師として、社会人として、とても良かったと思っています。
 しかし、私は本校野球部のOBであり、母校の監督になることは、高校時代からの夢だったので、それが実現した喜びを今も鮮明に覚えています。
 あのころはがむしゃらな毎日でした。「甲子園に行きたい」、「校歌を聴きたい」ただ、それだけでした。苦しい長い練習が毎日続きました。生徒たちも辛かったと思います。若さと情熱だけで突進しているようでした。さらに、11月には、野球部始まって以来の不祥事が発覚し、半年間の出場停止処分が出ました。まさに、事実は小説より奇なり。

試 練  〜伊勢まで70キロ歩行訓練〜

 私の監督としてのスタートはまさしく「地獄」でした。「何から始めようか」、「生徒たちにとって一番大事なことは何か」目標を失いつつある若者にどう接していけばよいか、自問自答の日々でした。が、やはり、練習しかありませんでした。練習、練習、ひたすら練習。しかし、その練習の指導にも身が入りませんでした。生徒たちの反抗もありました。監督として自分の能力のなさを痛切に感じました。そんなある日、ふとひらめきました。「この試練を乗り越えるためには荒療治しかない」と。
 三重には伊勢神宮があり海星高校から七十数`離れています。「よし、伊勢まで歩いて行こう」昭和63年1月4日夜、とるものもとりあえず、学校を出発しました。総勢25名。自分との闘いでした。「これを乗り切れば甲子園にいける」その思いだけが生徒たちの足を機械的に動かせていました。寒い星空を見上げながら、まるで、地獄の淵をさまよっているようでした。歩き続けて12時間、東の空に、太陽が輝いたとき、生徒たちの苦痛にゆがんだ顔に、力強い笑顔が浮かんだように見えました。私の心の中で、何かが変わりました。その日のお昼に生徒と一緒に食べたカレーライスの味は一生忘れることはできません。この行事は今も続いています。(平成16年まで継続)

指 導  〜陰があって日なたがある〜

 海星高校野球部の基本精神は、「全員野球」です。よく使われる言葉ですが、とても深い意味があると思います。簡単に言えば「人間一人では何もできない」ということであり、言い換えれば「結集した力こそ、ことをなす原動力になる」ということだと思います。私は生徒たちに高校3年間でこの点を考えてもらうことが、指導者としての一番大きな仕事だと思っています。
 野球というスポーツも、レギュラー選手だけではなく、補欠、ベンチにも入れない選手、それぞれの力がどうしても必要です。グラウンド整備、道具の手入れ、ブルペンキャッチャーなどなくてはならないものばかりです。各々の能力を最大限に発揮することがチームの向上につながり、甲子園への道が開けるのではないかと思います。アプローチの仕方が違うだけで、その力は貴重です。私たち大人はレギュラー選手だけにスポットライトを浴びせがちです。確かに彼らの力が勝敗を決します。しかし、それを支える陰の力がどれだけ大きいかを認めなければなりません。「陰があってはじめて日なたがある」それは紛れも無い事実だからです。
 私は常々生徒たちにいいます。
一、感謝の気持ちを持ちなさい。
 お父さん、お母さんに「ありがとう」がいえる人になりなさい。高いグラブやスパイク、だれが買ってくれたの?洗濯は、お弁当は、当たり前だと思ったら大きな間違いだよ。そこには両親のやさしい思いがあるんだよ。
一、謙虚になりなさい。
 レギュラー選手にどれだけの人間的価値があるの?控え選手はダメなの?同じ仲間だろう、甲子園にいきたい思いはみんな一緒なんだ。だから、メンバーに選ばれた人はチームの代表として精一杯プレーすることが大事なんだ。いい加減なプレーは他の部員に対する裏切りなんだよ。
一、自信を持ちなさい。
 君は練習試合にもあまり出られなかったけど、あなたのやってきたことは素晴らしいことなんだ。だれからも評価されなくても自分の選んだ道をたしかに生きてきたんだ。青春の中で汗を流し、苦しみ、チームのために、そして自分のために、その力は生かされたんだ。甲子園に出場することや、レギュラー選手になることが本当の成功ではないんだ。
「全員野球」の心がわかってこそ真の高校野球なんだよ。

課 題  〜チームの心と勝負の精神〜

 今年10回目の夏を迎えます。(平成9年時点)本当に早いものです。この歳月を振り返ると、監督として失敗の連続でした。公式戦で負けると、いつも思ったことは「私より優秀な監督だったら勝てたんじゃないだろうか、こんなに優れた選手がいるのに・・・・」そんな反省ばかりでした。自分のふがいなさをよく感じたものです。「どうしたら勝てるだろう」、「名将といわれる監督になるにはどうしたらいいのだろう」練習試合に行くたびに相手の監督さんによく教えを請うたものです。しかし、結局その答えは自分自身で考えなければならないということがわかりました。
 もがき苦しみながら、自分流のだれにも真似のできない監督像をつくり上げるしかないと思いました。そのために勉強もしました。戦略的なこと、技術的なこと、あるいはトレーニング方法など、プラスになることは何でも取り入れました。と、ここまではどこの監督さんも同じように考えられたことだと思います。しかし、「監督の個性」として、大切なことはそのチームにどのような心(精神)を吹き込むかだと思います。それが「監督の個性」だと思います。私の指導はその精神的成長に中心をおきました。まず、生徒にしっかりとした自己を確立させることからはじめ、いつの時代にも通用する精神(感謝、謙虚さ)を私の信条として生徒たちに理解させようとしました。これが「【海星流】全員野球」です。これまでの「歩」の中で、この心をチームにゆっくりと育んで来ました。ですから、最近、試合(公式戦)に挑むとき変な恐怖感はなくなりました。海星高校にはこの精神が生きているのだから。
 残念ながら思い通り行かないこともあります。教師と監督のはざまにあって、難しいたくさんの問題もあります。勝負以外にも、生徒の成績のことや、部の運営などやるべきことは山ほどあります。これでいいというものなどないと思います。

出会い  〜多くを学ぶ「一期一会」〜

 私の好きな言葉に「一期一会」があります。人との出会いこそ人生の「妙」といえるかもしれません。今の私があるのも、その「妙」の不思議な力のおかげです。そもそも私が海星高校に進学できたのも中学時代の恩師の推薦があったからです。もし、この人との出会いがなかったら・・・・・。巡る人生迷路の中で私は、実に幸せな出会いを得ることができました。その方々に本当に感謝したいと思います。
 高校野球の監督としてうれしいことは、いろいろな方とお会いできる機会が多いことです。中学の先生、高校の監督、大学、社会人の野球関係者、などの方々から、多くを学ぶことが出来ます。自分に欠けているところ、もっと必要な部分、いかに自分が勉強不足であるかを教えてもらえます。
 また、私が誇りに思うことは、亡くなられた吉田正男先生と個人的にお付き合いさせてもらったことです。ご存知のように戦前・中京商のエースとして夏の選手権3連覇(昭和6、7、8年)の偉業を達成し、アマ殿堂入りした、私にとって雲の上の存在でした。そのような人に野球を教えてもらい、ある時は、酒を飲み、人生を語ってもらえたことは、野球人としての勲章であると思っています。ですから、私は常に、「一期一会」に感謝し、そして、高校野球を愛されてきた数知れぬ人々の思いを知り、ますます努力しなければならないと思います。

家 族  〜私を支えてくれて感謝〜

 私は好きな野球ができ、いつも幸せだと思います。また、教師として、生徒とともに青春の時間を共有できる喜びを心から感じています。だから、そんな私を支えてくれる家族には感謝の気持ちで一杯です。シーズン中(土・日曜)はほとんど家にいません。子供に対しても父親らしいことはほとんどしたことがありません。さびしい思いのかけっぱなしです。
 私は野球のことばかりで、家族には本当に辛い思いをさせたと思っています。しかし、そんな家族も海星高校を応援してくれます。ありがたいものです。

贈る言葉  〜選手の宝物、私の宝物〜

 毎年、かわいい生徒たちが巣立っていきます。海星高校では卒業式のあとに3年生部員を集めて、最後の儀式を行います。一人一人と握手をして記念品を渡し、私が言葉を贈ります。
 「3年間ごくろうさん
 これからまたそれぞれの道を歩むことになります。だれにも真似のできない自分の人生ドラマを築き上げてください。演出も脚本も舞台設計も自分でつくり出すことが出来ます。君は主役であり、監督でもあるのだから。
 何事も与えられるのではなく、自分で何かをつかんでいこうという姿勢を忘れないでください。
 3年間補欠であったことを誇りに思ってください。甲子園にチャレンジした自分をほめてやってください。評価は他人がするんじゃなくて自分がするものです。人生にはいろいろな物差しがあってその一つで人間の評価を決めることはできません。誠意をもって前向きに生きてください。苦しいとき、辛いときは必ずあります。そのときは海星高校で学んだ『全員野球』の心を思い出してください。どんなときも心の持ちようで状況は変わります。それが人間です。
 君たちが海星高校で生きた青春の日々は、一生の宝物になります。
 そして、君たちのその時間は私にとっても宝物です。ありがとう。」

今 後  〜謙虚さを持ち努力精進〜

 私はたくさんの人に支えられ、監督として本当に幸せだと思っています。それだけに謙虚さを持ち、これからもさらに努力精進する決意です。道のりは険しいと思います。しかし、与えられた「生」を全うしたいと願っています。これからも、すべての人に感謝。
*報知新聞社・報知高校野球平成9年3月号に掲載された記事を、湯浅先生了承のうえ一部省略してご紹介させていただきました。

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