1959年9月28日生まれ。 血液型はA型。 鈴鹿・平田野中−海星高校−日本体育大学 昭和52年、3年生の時に第59回全国高等学校野球選手権大会出場。 大学を卒業後、海星高校へ保健体育の教論として赴任し、野球部の副部長や剣道部顧問を経験。 昭和62年10月、28歳で野球部監督に就任。 夏6回、春2回甲子園へ導き、3回のベスト8進出。 平成19年夏を最後に勇退。 |
エピソード 私が学生時代、湯浅先生がよく口にした言葉は、「謙虚であれ。感謝の気持ちを忘れるな。」 夏の大会を控えたある日、いつものようにランナーをおいて、バッティング練習をしていました。 教職員会議があるその日は、湯浅監督が来るまで自分たちで練習を進めるように言われていたのです。 湯浅監督の不在をいいことに気が緩んでいた私は、ヘルメットを人差し指の先でクルクルッと、バスケットボールのように回していました。 しかしその姿を、運悪く湯浅監督に会議室から見られていたのです。 湯浅監督が現れるとすぐに呼ばれ、凄い権幕で怒られました。 「メンバーに入るような者が、そんな姿勢でどうする!ベンチに入れない者や、後輩たちへの裏切りだぞ!」 その日は、数日間ご飯が食べられなくなるほどの指導を受けました。 誰のおかげで野球ができるのかを、常に忘れずに行動すること。 高価なグラブやスパイクを買い与えてくれた、お父さんやお母さん。 グランド整備をしてくれた下級生。 ベンチには入れなかったが、いつもトスをあげてくれた同級生。 たくさんの人に支えられて野球ができるということを、あらためて考えるようになりました。 卒業後、海星高校の選手がインタビューで 「スタンドで応援してくれた、みんなとつかんだ勝利です。」 というセリフを聞いた時、あの時の湯浅先生の言葉を思い出しました。 |