畑山の世界挑戦ぱーと2

 昭和61年3月、渡辺二郎が王座を転落して世界チャンピオンが日本からいなくなった。当時は世界
に挑めそうな逸材が浜田剛史しかいなかった。日本ボクシング界の最後の希望の星浜田の世界タイトル
初挑戦が7月に行われることが決定した。
 世界戦を前に会社にいる非ボクシングファンは「浜田何て勝てない。無理、無理、負ければ良いんだ
」と噂される。その話を耳に挟んだ私の心は怒りで煮えくり返っていた。「こいつらの顎を叩き割って
やろうか!」しかし、そこでグッとこらえる。
 私にはボクシングは仕事より大切なことだ。私が期待をかけている選手を悪く言うと腹が立つ。だか
ら浜田がいかに強く、凄い男か説明してやった。苦しみもない人生に背を向け、世界王者になること以
外何も考えなかった男、浜田剛史。そして7月浜田の世界タイトルマッチの日がやってくる。
 浜田は王者レネ・アルレドンドをロープに詰めて強打を打ち込む。初回KOだ!。レネは深々とキャ
ンバスに沈んだ。どうだ俺が勝ったんだ!と言いたげに会社に胸を張って通勤する。会社では「すげー
浜田は強い」と噂していた。私はうすら笑みを浮かべて「当然のことだよ」と軽く言う。
 しかし、世界を目指すために投じてきた努力は浜田の体を粉々にしていた。膝は故障し、もはやボク
サーとして戦うことは不可能に近かった。それでも初防衛戦でロニー・シールズを判定で破ったのは世
界を取ることより驚異的なことであった。しかし、世間はリング外のことは評価しない。「浜田は負け
た試合を勝ってしまった。次は負ける」と手のひらを返したように浜田をけなす。ひどいものだ・・・
 そして世界を取った1年後の7月、壊れた体のままリングに立ち、レネとの再選に敗れた。
 私は翌日、馬鹿な会社の同僚が浜田の悪口を言うのが怖かった。会社に行きたくない・・・
 そして現在も世界王者がいない。畑山に世界獲得の期待がかかる。負けるかも知れない不安にファン
でさえ「不利だ」と言う人がいる。本当の心の中は「勝って欲しい」なのだが負けたとき、非ファンに
「やっぱり負けた。当然のことだ」と言われるのが怖いので、自ら心の保険をかけてしまうのだ。
それでも私は最悪の状態の日本ボクシング界の期待、畑山隆則が「勝つ」と答えたい・・・
 拳キチより    (10月1日作成。)
 


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