「引退を否定した男」辰吉丈一郎
WBC世界バンタム級チャンピオン辰吉丈一郎が3度目の王座に就いた。2度目の王座から約3年、辰吉
にとって苦難な道のりであった。
辰吉丈一郎は日本国のボクサーの中で一番有名である。有名であるからこそ負けると反響も大きい。6年
前にグレグ・リチャードソンを倒して王座に就いたのは、僅かに8戦目の出来事であった。その彼に「天才」
の称号が付いたが、網膜裂孔に見回れ1年のブランクを作って暫定王者ビクトル・ラバナレスにタイトルを
持ち去られた。辰吉はデビュー時代より「1度負けたら引退する」と言っていたことから、再起を宣言して
アンチ辰吉ファンに笑われた。それでも再起したのは、負けたことに納得行かなかったことも有るが、何よ
り、彼自身がボクサーを職業としていたことの意識。そしてボクシングこそが自分の人生の全てと言う思い
だ。
ラバナレスとの暫定タイトル王座決定戦に勝った辰吉は、今度はJBCルールでは引退が宣告される網膜
剥離となって引退を余儀なくされた。しかし、海外では網膜剥離にかかっても指定された2人の専門医の承
認があれば再起が認められる。手術に成功した辰吉は引退を拒否して海外に転戦した。そして薬師寺保栄と
のWBC王座統一選を行い敗北した。それでも辰吉は引退を拒否した。
もはや再起しても再び世界の頂点に帰ってくることはあり得ないと世間は噂した。薬師寺に敗れて「何が
天才だ!」と言う声も多く聞かれたが、辰吉を天才と言ったのはマスコミやファンである。彼自身の口から
「天才」という言葉を聞いたことがない。勝手に天才に祭り上げながら、負けると「天才ではない」と辰吉
を責める。まさにボクシングは天国と地獄である。辰吉を天才ではないと本人を責めるべきではなく、勝手
に天才と言ったファンやマスコミを攻めるべきでは無いか?。鬼塚の疑惑の判定もしかり、鬼塚が自分で採
点出来ないのに何故か鬼塚が責められる。これも鬼塚ではなく、採点を下したジャッジや解説者を疑惑と言
うべきではないか?私はいつもこれを不思議に思う。戦った選手に何の責任もないはずだ。
辰吉は負けても再起を繰り返した。負ける辰吉を笑うもの、そして責めるものもいる。「誰のために戦っ
ているわけではない」「ファンのためにやっているのではない」そう辰吉は言うがプロボクサーの重荷はず
しりと辰吉の中にあった。辰吉は試合前に大口を叩くが、試合はクリーンファイトだ。プロなら少しは汚い
ボクシングをやれと言いたくなるほどのスポーツマンシップ。勝った選手、負けた相手を試合後に必ず称え
る。こんなボクサーが責められるのは辰吉のカリスマ性であろう。辰吉のファン、そしてアンチもファンの
うちだ。再起することの反論は大きかった。
1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンはウェルター、ミドル(5度)を制した当時のスー
パースターだった。しかし、晩年は衰えて負けが目立ち、世間は引退を勧めた。もはや衰え惨めに負けるだ
けのスーパースターを見たくないと言う思いだ。こんな時、ロビンソンはこう言った。
「俺が現役の頃は私が稼いだ金に群がり、誉めてくれたのに、負けるとやめろと言う。全盛期にコーヒー1
杯もおごってくれなかった奴に辞めろとは言われたくない」
辰吉も勝てば「天才」ともてはやされ、負ければ「辞めろ」と言われる。それも辰吉の人気がそうさせて
いるのだろうが、ファンやマスコミがが勝手に名付けた「天才」の称号はサラゴサとの2連戦で明らかな負
けで否定された。それでも再起した。やりたければやるが良いさ、自分のためにやるのだから・・。誰にも
責めることは出来ないだろう。そう私は思った。
辰吉は世間の反論意見を否定して世界に挑み、そして王座を奪回した。天才でもない・・そんな男が意地
と執念。そして何を言われても、自分自身がボクシングを愛していると言うことを否定せずリングに立った
のは見事である。人には想像を絶するプレッシャーにうち勝ち、見事な復帰であった。
彼はまたも世界から転落することだろう。それでもやるなら止めはしない・・。
(11月29日作成。)
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