拳キチさんが育てたプロはもう一人いた?

このコーナーも前回、久々に更新してみたら好評だったので、今回も書いてみました。いやぁ。面白い話が
あるんだな。これが・・。長くボクシングの世界にいると面白い事があるものだ。
拳キチさんのジムからはプロとして育った佐藤直之(現・新日本木村)がいる。しかし、実はもう一人
プロとしてリングに上がった選手がいた。今回はこんな話をしてみようとおもう。
拳キチさんのジムは平成6年に「大崎ボクシングクラブ」と言う名前で当時は発足している。最初は
なかなか練習生が現われなかったが、ポツリポツリと集まりはじめると、練習会場は練習生があふれかえった
ものだった。こんなにたくさん練習生がいたらたくさんの選手が出来るであろうとおもった。しかし、ジムに
来た練習生は変な偏見を持ち、決して指導に従わなかった。この頃の練習生はまるで私とは合わなかったのだ。
練習生はボクシングをなめていて、今のままでも試合が出来るものと勘違いしていた。現在のダイエットや
体力増進以下の練習しか出来ず、とても選手としてやって行ける状態ではなかった。基礎体力が極端に低く、
基礎体力のトレーニングとなると参加しないで見ているものが多くいた。みんなが試合に出たいと言うから
私はそれに近づけようと指導するがなかなか付いてこない。変な偏見を持っていて私の言う事を聞かない。
私はあまりのひどさにノイローゼとなった。結局はこの年の練習生は途中で断念、挫折してしまい、誰一人
としてリングに経ったものはいない。
私はこの頃の練習生を「ボクシングごっこクラブ」とか呼んでいた。しかし、実は第一期の練習生で一人だけ
リングに上がったものがいる。しかもプロのリングに・・。
当時の練習生は練習に付いてこず、ダラダラしていたが一人だけ一生懸命練習して頑張った練習生がいた。
それは18歳の女子高生だった。
その女子高生は苦しいサーキットトレーニングをこなしてロードワークもしていた。当時の練習生はロードワーク
何てものはしていなかったのに彼女は一生懸命であった。高校まで文化部に所属していてスポーツなんて何も
していなかった彼女はボクシングが始めてのスポーツだったのだ。
やがて私は彼女の思いを知った。彼女は子供の頃からプロレスが好きで、高校を卒業したら女子プロの
世界に生きたいと思っていたのだ。私は極秘で彼女を鍛えた。3ヶ月後のプロレスのオーディションを目指して
頑張りぬき、何と全国で3人しか受からなかったテストに合格してしまったのだ。テストでは華麗に縄跳びを
飛んだのは彼女一人で、他は飛べなかったらしい。
やがて有名団体女子プロレスに入門した彼女は1年後にプロデビューを果たした。その時、彼女と一緒に
合格した2人は挫折。彼女が唯一、その年のデビューに成功したのだ。負けはしたがTVにも出演して
タイトルマッチにも挑んだ。その後は怪我のために引退を強いられたが、たいした物だった。
私は最初にジムを開いたとき、リングに上がりたいと言っていた練習生はすべて挫折。しかし、一人の
プロを出してしまった。 何と!拳キチさんはボクサーを育てようとして間違ってレスラーを育ててしまった・・。(爆)
真実の話である・・・。うれしいやら、悲しいやら・・・・
(11月26日更新)


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