世界を目指しての選択

ボクサーのトレーニングの一つとして、ロードワークが重要です。これをこなす事がボクサーとして大切
だと思いますし、すべてのスポーツにおいての基本だと考えています。
ロードワーク思い出は、幼い頃見たアニメ「あしたのジョー」の力石徹。飲まず食わずのあげく、激しい
練習をこなして、のたうちまわる力石の減量に深く感動して、私もその放送が有ったとき、昼御飯を拒否して
ロードワークしたものです。「水だぁぁ。水ーーっ!」(力石の悲鳴)。その時は2〜3日で腹減って食っち
まい、ロードワークも3日坊主でしたけど、私にもこんなシーンがやってきます。減量して、飲まず食わずして
そして動く。ボクサーって大変です。そんなか、当時、WBC世界Jウェルターの王者になった浜田剛史が
ロードワークを一日も休んだ事が無く、ボクシング以外のことは何も考えなかったと言う事に深く感動した
私は走る距離も増やして燃えたっけな。凄く刺激になりました。だからその頃はボクシング以外は何も考えたく
なかったけど、世界王者とオラとでは天と地の差以上があり、私は単なるアホウだった。
その頃は何故か、たくさんの女性から電話が拳キチさんのところにありました。ロードワークして仕事して
ジム行って、遅く帰って寝るだけの毎日に、いつのまにかホットラインが入るようになった。
「ぐへへっ。拳キチさんはもてはじめた」それも数人から電話が入るからうれしかった。当時、私も若かったけ
ど、その女の子達は21歳の女性だったので、凄く若く、幼く見えた。生まれてこのかた、2つ下以上の知り合い
なんていなかった私はワクワクしていた。しかし、日がたつにつれて電話が長い時間になって、夜中まで
電話していた。何か朝に起きてロードワークするのが辛くなっていき、試合で体重を制限しなければならないと
言うのに飲み会の話とか誘われまくって断るのが大変だった。私は浜田剛史を崇拝し、身の程知らずにも世界
を目指していた。実は私、20歳から26〜27歳まで、飲みに行くなんてことはしなかった。ボクシングやっ
ても、酒を飲みに行く選手もいたけど、私はそんな遊びは一切しなかった。金は全部、減量食につぎ込み、
遊び歩く連中が、何か目標も無く、何か「あしたのジョー」で言う「見せかけだけの不完全燃焼」に見えてい
たのだ。この頃の私は本当に一生懸命だったのだ。だからだんだん深夜までにおよぶ電話が辛くなり、浜田が
一日も休まなかったと言うロードワークを休んでしまった。ボクシングしか頭に無い私はこれでは行けないと
思い、「ロードワークの支障になるから電話なんかよこすな」って言っちまった。そして私はトレーナーに
仕事にボクシングが付いてくる選手は駄目。ボクシングに仕事が付いてくる選手じゃ無ければいけない。
ボクサーは世界王者以外は休みはない。そう教えられていたので、それが正しいと信じていた。だから私は
他の事はやらずにボクシングを優先し続けた。
「ふふふっ。世界とれば、日本中の女性からモテルからいいんだぁぁ」なんたるアホウ。それは日本とか世界
チャンプを狙う奴がやる事でオラのような4流選手がやる事ではないはずだ。おまけに4流で終わり、辞めたら
何も残らなかった。ああ・・。ボクシングさえやらなければ、身の程知らずでは無かったら若い女の子達と
遊びまくっていたのにぃぃ。オラって何たるバカなやつ。
しかし、それでも私はボクシングをやった事は後悔していないし、もう一度、生まれ変わってもボクシングを
やりたいです。私は生まれ変わるときが来たときの事をいつも祈っています。

「神様!もう一度生まれ変わってもボクシングをやります。どうぞまた、ボクシングをやらせてください。
でも21歳の女の子から電話来たときは、今度はそっちを優先しますから、よろしく」

ああ・・。悔いが残る・・


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