打ち込め! 〜ワン・モア・ステップ編〜
4年前、我がジムが発足した頃、大変レベルの低い団体であった。練習生は練習もせずに試合を目指し、
指導側もあきれる日々が続いていた。そんなひどい状態の中、一人だけ一生懸命に練習をして試合を目指し
たものがいた。漫画「はじめの一歩」に刺激されて入門した若者、中橋(仮名)であった。試合を目指すため
にはロードワークが必要だと言えば、毎日、走った。漫画幕之内一歩のようなスタイルから、連打が嵐の
ように出る。私は期待して「こいつだ、こいつが最初にリングに上がる男だ」といつも思っていた。練習は
欠かさず参加して徐々にだが、進歩しはじめた。
試合を目指して第一貫として出稽古。他のジムに出かけてスパーリング。しかし、その時の相手はのちの
全国高校選伐準決勝まで進む事になる強打の対戦相手だった。この相手の強打を浴びた中橋は、踏み込めず
押され気味に終始した。これがボクシングと知ったのはこの時だった。ボクサーのパンチがいかに強くいかに
危険か知ったのだ。それからの中橋は恐怖に取り付かれて、今まで頑張ってきた練習に気迫がなくなっていた。
ジム内のスパーリングでも恐怖で足が竦む。これぞパンチ・アイ。パンチを受けた恐怖が彼の心の中に住み着
いてしまっていたのだ。私の期待とは裏腹に中橋はだんだん無能になり、もはやボクサーとしてはやっていけ
ない状態になっていた。やがて彼はジムから姿を消した。恐怖に取り付かれたままボクシングを捨ててしまって
いたのだ。こんな状態になったら二度とボクシングをやろうなんて思うはずも無い。だらだらと練習をやって
スパーリングさえやらせてもらえない練習生がいるのに頑張っての挫折は私にとって悲しい出来事だった。
翌年、後にプロになった佐藤直之が我がジムの最初の試合に参加してジムとしてのデビューを行ったが、
平成7年10月、佐藤が初回KO勝ちしてプロに転向。もはや試合に出るような練習生はおろか、練習生も
誰もいなくなった。そんな時に現われたのは挫折してジムから去ってしまった中橋だった。
恐怖に取り付かれたものが、もう一度やったとしても同じ結果になってしまうと言うのは私の心の中に
あったが、試合を目指すと言うよりは楽しんでやれれば良いなとおもった。同じ頃、練習生の中にハードパンチ
の持ち主が入門して私と当時一緒に指導していたものが、マンツーマンで練習を始めた。そのハードパンチャー
がジムでミット打ちすると全員、そのミットの音で注目となった。佐藤がプロに転向した今、次の選手として
期待を集めていた。中橋はかつて以上に練習を熱心にやっていたが、輝きは薄れハードパンチャーの影に
隠れてしまった。ジムでスパーリングをやろうと思ったが、パンチャーと中橋では結果は見えていたし、
やればまたしても挫折の道をたどってしまうのではないかと恐れもあった。私はスパーリングを躊躇したが
私のジムには練習生が少なく、中橋の希望もあって、パンチャー対中橋のスパーリングが実現した。
あの時、足が竦んで踏み込めなかった彼が勇敢に前に出てワンツゥーをぶち込む。パンチャーのパンチは
空を切り、中橋は冷静にパンチを外して、打ちのめす。まさにかつての彼とは別人。私は驚きで言葉を失った。
強打者の方が血まみれで、鮮血が滴り落ちる。
彼は克服していたのだ。ボクシングの怖さを知り、これがボクシングだと理解して恐怖に打ち勝ち、そして
復活したのだ。もはや、試合を目指す最右翼に躍り出て、いよいよ試合は間近であった。の・・・はずだった。
不運は一気にやってくる。中橋が仕事で車を走らせているときだった。対向車線を走ってきた乗用車の過失で
センターラインを越えて中橋の乗った車に激突。幸いに命を失うような事故にはならなかったが、肩を負傷。
3ヶ月後に決まっていた試合をキャンセルしなくてはならなくなったのだ。やがて彼は結婚してジムには
楽しむ程度しか参加しなくなった。
かつて恐怖に取り付かれ、恐怖に打ち勝ち、復活した若者のリングに上がると言う夢はついえた。何と言う
結末。
私は彼が試合に出れなくなった事で腐った。腐って、どら焼きをやけ食いして腹を壊した。ああ・・私も
何と言う結末・・・。
(1月8日更新)
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