打ち込め! 〜ダイエット・ボクサー編〜

我がジムから出現したのちのプロ、佐藤直之が初回KO勝ちして以来、ジムにはリングに上がれる選手が
いなくなた。しかし、ジムには練習生が跡を絶たず、試合をやると言う悲願に期待させられる事も有ったが、
続かず、ジムを去り、また新しい人が来て去っていく日々が続いていた。
私のジムは試合に出場する選手のみを受け付けているわけではない。ストレス解消やダイエット。それも
ボクシングと考えている。でもやはり試合を目指す者が少ないとどうにも張りが無い。そんな中、また
ダイエットの練習生が門を叩いた。身長は180を越えていているが、体重は82kgある。特に筋肉質では
無く、脂肪がたまっていた。このダイエット希望者にボクシングの構えを教える。何と構えた拳が変だ。握っ
た拳の親指が4本の指の中だ。普通は男ならこんな握り方はしない。女の子なら拳で人を殴るなんて事は無い
からそういう風に構える事がある。私は心の中で思った。「ふふふっまたお笑いがきやがった。そうそう。
完璧なお笑いにして見せる。くくくっ」そう思いながら一応、握り方を教えてジャブを打たせる。しかし、
熱心だった。最初は様にならなかったが鏡の前で左を突きまくる。だんだん良くなるし、練習を休まないから
右のストレートを教えるが、ストレートを打たせると体が片一方に傾いてしまう。「ふふふっ。やっぱし変だ
。そろそろお笑いの道に進かな。しめしめ」しかし、熱心に体が傾かないよう鏡の前で練習している。次第に
右も良くなって奇麗に真っ直ぐに伸びる。そのスタイルは奇麗なアウト・ボクサーのスタイルだった。練習を
休まず、参加し続けた彼は見る見る体重が落ちて1ヶ月で6〜7キロのダイエットに成功。体重が面白いよう
に落ちるからジムへ来るのが楽しそうだ。
私はダイエットばかりみてはいられない。試合を目指す練習生も見なくてはならない。試合に出れる選手を
育成すると言う悲願を達成しなければならない。休まず、練習に参加してはいたが、ロードワークもせずに
試合を目指しているのか、何だか訳が分からない。「こんなんでいいのか・・」
一生懸命練習するダイエットボクサーは次第に進歩して、ある日、試合を目指している選手と軽いマス・
ボクシング(実際に打ち合わないスパーみたいなもの)をやらせてみる。さすがにダイエットの参加者だから
長身のふところに簡単に入り込まれる。そんな中、彼はマスボクシングをやりながら「俺・・どうやれば
良いんですかぁぁ」なんて聞いてくる。私は「お前は長身だから離れた距離からジャブ、ストレートを打てば
相手に打たれずボクシングできるだろ」何て言うと彼は「なるほど」と行った顔つきで、うまく距離を取って
左を突きはじめた。これが厄介だった。試合を目指している選手が完全に踏み込めない状態になっていくので
ある。それ以後、更に面白くなったかロードワークまでやるようになり、後口ではじめたのにいつのまにか
試合を目指している選手よりうまくなっていった。しかし、線は細く、試合などは目指せるような感じでも
なかったが、いつのまにか試合をやりたくなっていったのだ。そんな彼の構えを変える。スマートな選手なので
相手の振り回すフックをさばききれないため、ガードを少し開き気味にしてフックを防ぐ構えをする。ストレ
ートが飛んできたなら、ブロッキング、パリー(叩き落とす)で防ぐ。そして他のジムにスパーリングに
出かけて、対戦したのは当時3戦3KO勝ちの木村登勇(現日本ランカー)だった。木村は手を抜いたが
呑まれながらスパーをこなす。彼は次第にボクサーと変貌。ついに彼は佐藤直之以来、1年7ヶ月ぶりに
我がジムの選手としてリングに立った。そして彼は宮城県の大会を制してしまうのである。
そのままミニ国体まで進出してしまうのだが、彼には問題があった。普通の状態なら問題無いのだが試合
前になると血圧が跳ね上がって試合できない状態になってしまうのだ。県予選は通っても大きな大会ともなると
検診に引っかかる。頭を悩めた私は知り合いの白衣の天使(いちいち言うな)看護婦さんから薬をもらう。これは血圧を
下げる薬ではなく、何の成分も無い単なる粉。なぜにこんなものを飲ませるかというと、これを血圧を下げる
薬だと信じて飲めば安心するからである。彼はだまされてのみ、何と大きな大会ながら平常の血圧で検診を
パス。ほっ。相手はアマの全日本ランカーで敗れはしたが、勇敢に戦いぬいたのだ。彼は元々、上に進むと言う
目標ではなく、ダイエットが望みだったので、翌年の県予選を最後に現役を退く事になった。そして試合前に
彼に言われた。「あの・・・血圧を下げる薬もらえませんでしょうか・・」ぎゃふん。私はいまだにあれが
単なる粉だとは彼に言ってはいない。彼はそんな事を知らず最後のリングに上がって、奮闘。初回でガス欠
となってゴングが鳴ると同時にコーナーの椅子に寝転んだ。もはやうがいをしてバケツに吐く、力も無く、
私はタオルに吐かせた。私は冷静に「もっと楽なボクシングをしろ」と指示。彼は気力で向かっていき
ストレートで対処。ついに戦い抜いて判定で勝利を収める。彼は大会2連覇で優勝してリングを降りる事に
なったのだ。かつて82キロ有った彼は69キロまで落として、我がジムの悲願を達成した心に残るであろう
ボクサーとなった。彼はいまだに練習し続けているが、いまだに飲んだのが何も成分も無い粉だとはいまだに
知らない事だ・・。

かつて私はボクサーを育てようとしてレスラーを育ててしまったが、ダイエットさせようとしてボクサーに
してしまった。もしや私はボクサーを育てようとしてボクサーを育てる事が出来ないトレーナーでは無いかと
思い悩んだ。

(1月13日更新)

これでシリーズ「打ち込め!」は終了です。3部作はいかがでしたか?相手を打つ事を教えようとして、なかなか
うまく行かないものですが、まさか相手を打つ事を目標にしていないものがリングに上がるとは不思議な気分です。
  
 
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