少年のころの思い出話
私のボクシングの一番古い思い出は、今から30年近く遡る。アニメ「あしたのジョー」が放送され
これが私の心に残る一番古い思いでかもしれません。今日はこのころの話をしてみたいとおもいます。
主人公の矢吹丈は少年院で知り合った力石徹と運命的な対決をしますが、このころの力石の減量が凄く
カッコ良かった。子供のころは兄とボクシングごっこをやっていたが4歳上の兄は大きく体格でかなわなかった。
しかし、負けて終わるのではなく、兄の鼻を狙うパターンが多く、試合終了は兄の鼻血ブーで終わったのだ(笑)
ジョーが力石と対戦するとき力石の減量の意味が理解できなかった。バンタム級のジョーとフェザー級の力石
が戦うと言う為、力石がジョーのいるバンタムに落すため命を懸けて減量した。私はこのころはボクシングに
階級が有るとは知らず、力石が減量するのはジョーを打ち破る作戦だと自分なりに理解した。過酷な減量・・。
主人公のはずのジョーだったが、力石の凄さにいつのまにか主人公とライバルが入れ替わってしまったような
雰囲気だった。力石は毎日、トマト一個の生活をして体重を削ぎ落としていく。これが過酷と言うよりはカッコ良く
て仕方なかった。私が後にボクシングをはじめる頃、減量の苦しさに打ち勝てたのはこの「あしたのジョー」
の影響だと思う。小さいころ、力石の減量に心打たれた私は、飯を食わずに家の後ろにある堤防を走った。
走りながら心の中で力石のテーマが流れるのだ。「ゆけ〜♪広野を〜おいらボクサ〜♪」。飯を食わない
私に親は心配するが、頑として飯を食おうとはしなかった。しかし、私も少年、さすがにハンバーグ定食の
誘惑には勝てなかった(笑)食った。食った。
力石とジョーの対決は有名であるが、ジョーが8Rに力石のアッパーを受けてリングに沈んでしまう。
ドラマはこの時だった。潔く健闘を称え会う握手をジョーが力石に求めたとき、力石はリングにゆっくりと
倒れた。控え室で帰り支度をしていたジョーに記者たちが入ってきて「力石は死んだ」と伝えたとき、幼かった
私は大泣きに泣いた。私の心にボクシングと言うものがはじめて感じられたのはこのシーンだったとおもいます。
高校のころ、あしたのジョー2が放送されましたが、このときは逆にジョーが減量の苦しみを味わいます。
バンタムに留まる事が困難になったとき、ジョーは師匠丹下段平にこう言いました。「バンタムってのはな・・・
ウルフがいてカーロスがいた。そして力石がいたところなんだ・・。しかも力石は2階級の体重差がありながら
命を懸けて減量し、下りてきてくれた所なんだ。そのかけがえの無い俺のバンタムを捨てるわけには行かねえんだ!」
私はこの言葉はボクシングをやる頃にはすっかりと忘れてしまっていた。しかし、ボクシングと減量が切っても
切り離せないものなのだと力石の件から知っていた。ボクシングをやって減量なんて当たり前だが、実際は
苦しいものだ。体重がなかなか落ちなかったころ、「あしたのジョー2」が再放送され、ジョーの減量の
話が再び放送された。そうだ・・・命を懸けて減量だ・・。減量になると私は何故か「あしたのジョーモード」に
なってしまう。小さいころからの思い出がそうさせているのだろう。ロードワークをしながら 「ゆけ〜♪広野を〜
おいらボクサ〜♪」「しかも力石は2階級の体重差がありながら命を懸けて減量し・・・」と言う言葉は少年
のころもそのころも変わらない私でした。
今は減量をすると言う目標も無くなって、ダラダラしているが、最近はダイエットをしようと思う事もしばじば
ある。そして時々、誓う「明日からやろう」。だが・・・私は翌日には忘れている。
(1999.4.10更新)
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