福舟鉱山の今 平成30年5月29日の様子

 山形県の舟形町と尾花沢市の境界の山地にある福舟鉱山についての
 レポートは紹介済である。
 今回平成30年5月29日に最上町に行く機会があり、その帰り道に
 ふと福舟鉱山が今どうなっているかなと思い出し、急遽山の中に進路を
 変更した。
 舟形町の長沢からの道を選択して進んだ。
 道は相変わらず狭く、片側は深い谷になっているので運転は気を遣う。
 落ちたら当分見つけてもらえないだろうから慎重にそろそろと進む。
 途中にある以前見た沼は今回もきれいな姿を見せてくれた。



 慎重運転の後にようやく両町の境の峠に到着した。
 ここまでが難所だったからここからは楽になる。




 まもなく進行方向右側に福舟鉱山の遺構が見えてきた。


 上部の部分は崩壊が進んでいた。


 坑口は案外しっかりとした様子だ。ここから構内の汚水が外部に
 処理のために引き出されているようだった。



 下の土地には汚染水処理の施設が見えた。
 しっかりと処理がなされていた



 鉱山の全体の様子である。全体的に崩壊が進んでいた。


 以前に訪れた時には鉱山事務所が建っていて作業の人の姿があったのに
 今回来てみたら事務所は倒壊していた。ああ!無残。



 以上が今回再訪してみて想像していた以上に鉱山の遺構が損じているのが
 わかった。

 昔の日本を支えてくれた鉱山の遺構がこのまま朽ちていくのは何とも寂しい。
 
  ここの山地には多くの鉱山があった。福舟鉱山は最上藩が掘削をしたことに
 始まるがその後は稼働してはいないままになった。
 昭和13年から探鉱が再開され銅、亜鉛の鉱体が見つかり昭和17年より三菱
 金属鉱業も共同経営体として操業が進められたとのこと。
 昭和51年に放棄されるまで操業が続いたがその後は坑内水の水処理の施設
 が作られ現在も処理が続いている。。


 遺構を後にして更に進むとようやく尾花沢の南谷集落に出る。

 この部落は何となく明るい雰囲気がする集落である。
 昔は鉱山に関する仕事に従事する人がおそらくこの地には多かったのだろうと
 思う。


 村内に案内標識がある。
 よく見て地形を確認して進まないと分かりにくいところだ。
 道一つ間違えるととんでもない山の中に出てしまう。
 慎重さが必要だ。

 さて、以上が平成30年5月29日に再び訪れた福舟鉱山の報告である。

 昔は山形県内にはいたる所に鉱山があった。多くの人が山で働いていた。
 山は賑やかであった。 今は、本当に静かになってしまった。
 日本がこのまま静かになってしまったのでは困る。
 もう一度、活気ある日本になっていって欲しいと強く思う。


 改めて福舟鉱山の位置を地図で示す  MSWORDを用意してここをクリックしてご覧ください。
 


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