5月26日 午後3時40分に仙台空港を出発。所要時間は2時間40分位で上海に着いた。
時差は1時間、時計を1時間戻して、1時間得した気持ちになった。(この時差が少ないことが
上海の大きな利点だそうである。)
 着いた空港は虹橋空港。上海には浦東空港との2つがある。今回は虹橋空港である。
 契約した旅行社の係員は当然いない。空港内をウロウロし、警備員の助けを借りながら、
旅行社に電話、なかなか通じずイライラしながらわめき続けていてようやく日本語の解る
者と連絡出来た。しかし、今から行くという悠長な言葉。ガクっときたがあせらないあせら
ないと自分に言い聞かせる。

 上海は世界で一番多くのビルが建っている所といわれているがまったくそのとおりであった。
 ビル、ビルの乱立である。なにしろ地震がないために奇抜な形態のビルのオンパレードである。
 車で高速道路経由で30分、ようやく上海ホテルに到着した。ロビーは人で溢れており
イギリス人、アメリカ人が圧倒的で、残りは中国各地からの旅行者であった。
 周りは英語と中国語が飛び交い、その中を私のブロークン英語が飛び交う状況である。
 意外に日本人は少なかった。(日本人はしゃべらないでジットているので何となくわかる)


 部屋は17階で眺めは最高であった。中国のホテルは原則がツインであり、日本のような
小さなシングルは少ないと聞いていたが、私の部屋も大きなツインの部屋であった。
 さっそく予想外の事が起きた。現地で使えるお金が少なくなってしまったのである。
 というのは、旅行の本には、まず空港で1万円を両替をした方が良いとあったので、
両替をした。645.24元が戻った。単純に1元は16円と覚えることとした。
 空港では連絡用のテレカを強制購入させられこれが100元だった。
 ここで545元が残ったことになる。(ここが大切なのです)。
 次にホテルのチェックインの時にカウンターの美人が500元よこせという。
 上海では保証金(デポジット)として500元を預かられる習慣であるということを
そこで知った。この時点で所持金は45元となった。720円である。
 夜も8時となるとホテルの両替所は閉まってしまった。町中の両替所は危なくて行けない。
 しかし腹が空いたのでホテルのレストランを覗くと最低が40元からである。(ミネラルウォーター
が35元)。こりゃ駄目だとなり、ホテルを出て通りに出る。

 多くの人が夜の通りの両側の柳の木の下に座り語り合っている。
 その通りの歩道に面して小さなあまり綺麗でない飲食店が数多く軒を並べている。
 覗くと、メニューには1元、5元、6元等の張り紙がしてある。
 私は、これだと思った。これなら食えると。
 メニューの文字は全然解らない。特に中国語の簡略化運動で、我々日本で使って
いる漢字とは全然形態が違う。
良く見ると 獣爆・・・という文字が見えた。6元であった。
これなら大丈夫と注文をした。次に通常の癖でビールと言ってしまった。
 すぐサントリーのビールの大瓶がきた。私は一本いくらかと懸命に聞いたが通じなく、
相手の人は栓を抜いてしまった。こりゃ所持金700円で大丈夫なのかな、日本なら
ビール一本で終わりだな、払えなくなったらどうしょうかと瞬間に考えた。
 やがて出てきたものはレバーとピーマンを煮たものであった。丁度日本のレバニラの
ようなものであったがその量に仰天した。どんぶり山盛りなのである。
 残しては失礼と思い、懸命にこれだけを食い、ビールを飲んだ。
 腹は一杯になったので、腹を決めて支払うジェスチャーをし覚悟をした。
 相手の言う料金にびっくりした。20元というではないか。320円である。
 私はビックリするとともに、このような食い物が安定している国との競争は大変だな
と痛感した。
 しかし、次の日、会社にいってこの話をしたら、今後はしないでくれ。責任を負えない、よく何事も
起きなかったなと言われ、素人ほど怖いものはないなと苦笑をされた。
 
 

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