大道寺家や他の多数の平家の落人に乱行した
信長は僧侶に冒涜(とく)を繰り返した。
延暦寺や伊賀の僧侶や平家の落人達を襲撃した。
大道寺家は先祖の多くは延暦寺の僧侶が多い。
特に知られざる事件は北勢48家の戦国時代の
統治していた領主を襲撃し世論を脅かした。
以下の北勢48家である。
「千種家」「神戸家」「赤堀家」「朝倉家」「南部家」「楠家」「春日部家」
「海老名家」「疋田家」「稲生家」「矢田家」「田原家」「後藤家」「沼木家」
「大矢知家」「片岡家」「水谷家」「栗田家」「高井家」「小串家」「草薙家」
「横瀬家」「春日部家」
「江見家」「後藤家」「春日部家」「毛利家」「松岡家」「富永家」「保々家」
「多胡家」「治田家」「片山家」「西野家」「伊藤家」「野村家」「浜田家」「小阪家」
「近藤家」「種村家」「伊藤家」「渡辺家」「矢田家」「森家」「安藤家」「片岡家」
「西松家」「近藤家」「佐脇家」の48家で同名もありますが別の氏族です。
地区は三重県の伊賀市や名張市に密集しており、関係する城は249城である。
三重県では①伊勢の城 ②志摩の城 ③紀伊の城 ④伊賀の城に
4分類されて公表している。
資料の末尾に名張市の「青連寺城」があった。
大道寺家の忍者の里と言われる名張市にあって別名「青木城」だ。
信長は4万の兵を集めて岐阜県を出発して
悉(ことごと)く城を襲撃し落城させた。
もう1つ気になる城があった。
青森市の勤務時代の友人の白瀬氏の「白瀬城」も含まれていた。
いなべ市藤原町に存在した。
白瀬氏の末裔は追われ
佐渡ヶ島の白瀬地区へ移住した記録もあった。
その後に秋田県にかほ市に落ち着き
後の南極大陸への冒険者「白瀬矗(のぶ)」を生んだ。
彼らの先祖の「白瀬城」である。
二人目の悪・影響者は豊臣秀吉である。
家臣が多い事を鼻にかけて、国内だけでなく朝鮮半島や中国までを
征服を考えて実行した気違いの秀吉だ。
国内では信長の模倣で平家の落人狩りをし小田原北条攻め行った。
三人目は善・救世主の徳川家康である。
徳川家康は、信長や秀吉の被害者を
悉(ことごと)く助けた。
朝鮮半島の征服の為に
九州の名護屋城に逗留し
埒が明かない家臣達を
大阪へ呼び戻し
征服行為を辞めさせた。
秀吉にとっては謀反であるがは救われた。
家康には借りが増え頭が上がらなくなり
家康の時代に一歩前進し始めた。
北条攻めで北条氏は全滅した。
しかし大道寺家の政繫のみ自害させ
子孫は家康預かりなって家康の
家臣以上の扱いを受けた。
信長と秀吉に比べると
世間の噂では家康は神様に等しい。
秀吉の一族を成敗し江戸時代を繁栄させ
現在の日本の基礎を作ってくれた。
大道寺家先祖の説明書(予備知識)
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