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教師冥利と世相雑感     酒田市若竹町  土岐田正勝
  
  “狸”“山嵐”“赤シャツ”“マドンナ”・・・、これは夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる登場人物の渾名である。
これに劣らないくらいの渾名を付けられる栄誉を、小生は浴してきた。
 小・中学生の頃は、“マッカ”(マツカサの簡略呼び。私は興奮したり上がったりすると、すぐ顔が赤くなったから)、教員になってからは、“ジンタ”“ウルトラマン”“中曽根さん”“トッキー”などなど。

 私の教え子たちも各分野で活躍され、なかには還暦を迎えた方々もおられる。
 私のあまり好まない言葉に、「教師冥利」がある。しかし最近、この言葉にピタリと当てはまる事象があった。

 遊佐町の唄「お花畠」保存会は、有名な「お花畠」の歌のアレンジと歌唱を佐々木正氏に依頼され、それをCD化するとともに、その発表会が開催された。アレンジと歌唱を担当した佐々木氏は、私の教え子である。

 私もそのCDを頂き、鳥海山を眺めながらマイカーで聴いた。前奏部分の一歩一歩踏みしめながら登る情景を音で聴きながら、私の目にはいつか涙が溢れていた。何と素晴らしい教え子からのプレゼントであったことと。正にこれが「教師冥利」なのかと、実感したのであった。

 
 ところで私は、年齢とともに元総理・中曽根康弘氏に似ていると、しぱしば言われてきた。どこがどう似ているかについては皆さんにおまかせしたい。中曽根総理が現職の頃、私は酒田中央高校に赴任した。転任先での最初の授業に出かけた廊下でのできごと、廊下の向こうから「アッ、中曽根さんが来た!」という第一声があった。
その頃、総理に似ているとおだてられて、私は満更でもなかった。
 
 東京品川の高輪プリンスホテルで、全くの偶然に彼の有名な中曽根元総理と“連れション”するとは思ってもいないできごとがあった。私は小用を足してから隣で用わ済ませた元総理に、「今晩は」と、鄭重にご挨拶申し上げた。中曽根元総理は「やア!」と、返事を返してくれた。似た者同士の“連れション”であることなど、講演会開始直前の彼にそんな余裕などあろうはずもなかった。
土岐田正勝先生 中曽根元総理
 これは今から5年前の平成13年5月26日のことであった。この日、私は母校・國學院大学院友会は、元総理中曽根康弘氏に、「戦後史の回顧、清算・継続・発展」と題しての特別講演をお願いしたのである。
時間に遅れそうになった私は急いでホテルに駆けつけ、まずはトイレに飛び込んだところ、本日の主賓、中曽根氏が中におられたのである。
 講演の中で中曽根氏は、誕生間がない小泉内閣を「ワイドショー内閣」と評された。あれから5年、時の流れは瞬く間に流れ、日本のトップリーダーの交替があり、小泉氏から安倍氏に引き継がれた。

 戯れ言はさておき、今年は戦後61年である。

 私は数年前から、「日本は本当に戦争に負けてしまった。」との感を強く懐くようになった。ある会合で、「今の世の中どうなっているんだ!!」という議論が交わされた。
想定を超える事件が、次から次へと勃発している。また、「金権社会では思想や理論も金で買えるんだよ!」という、恐ろしい発言もあった。

 皮相的とは申せ、世相の根底に、人の生き方の指針になる“哲学の貧困”が潜んでいることが指摘できる。叫ばれている地域間格差社会は間もなく津波のこどく押し寄せ、数十極集中型の日本が形成されると予想される。

 これまで私は、阿部次郎、夏目漱石、芥川龍之介の関わりについて調べてきた。

 もしこの三人が生身でこの世に現れたら、どんな言葉を発するだろうか。人間尊重・人格尊重思想の回復を願ってやまないのである。
    土岐田正勝先生(最上川河口史著書)東北公益文科大学非常勤講師として元気に活躍中 2008.7.21
     東北公益文科大学非常勤講師土岐田正勝先生の活躍の様子が山形新聞に紹介して居りましたので抜粋して報告します。
     山形新聞・山形放送8大事業の一つ「最上川200キロを歩くー小学校探検リレー」動画を見る動画を見る 11週目の最終週を担当した
     酒田市松原小の4,5年生17人に最上川の歴史と文化の説明風景写真です。
     70歳を過ぎても今なお元気に勤められて居られる元気な先生です。
最上川の歴史と文化などを解説する土岐田正勝さん
渾名の思い
 この随筆は、土岐田先生は教員時代に付けられた渾名の数々をユーモアで紹介していますが、先生の寛大なお人柄と実直さが良く表れ、まだまだお若かった当時を懐かしく思い出されます。

 随筆にある渾名で、“ジンタ”という渾名を付けたのは、遊佐高校時代の私達だったのです。
 当時、“ジンタ”という歌(「美しき天然」作詞:武鳥羽衣 作曲:田中穂積(1905年に発表された曲))が、多少流行っていたのですが、先生は、この歌やリズムを気に入っていたのか、この“ジンタ”のリズムを口ずさみながら校内を歩いていることがあったのです。
 その様子を目撃した生徒達が、誰からともなく、先生を“ジンタ”と呼び、校内に広まったのでした。
 因みに、ジンタとは、昔、田舎回りのサーカス小屋のなかでよく演奏された音楽で、三拍子が“ジンタッタ ジンタッタ、ジンタッタ”と聞こえたことから、「ジンタ」とよばれるようになったらしい。

「美しき天然」武島羽衣作詞・田中穂積作曲/志賀静男編曲

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