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伊奈利神社1 伊奈利神社の文字に誘われて立ち寄る。 岡部の山河にある神社で、稲荷伸・宇迦之御魂神を祀る。 創建年代は明らかではないが、西方約700mにある茶臼山にある 伊奈利塚古墳の上に祀られていたものが、いつのころか現在地に移転した。 |
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伊奈利神社2 この辺りは古くは鎌倉街道に面していて、中世の館跡があり、 戦国時代には深谷上杉氏の領地であったとき、その鬼門除けとしておかれた。 現在の社殿は嘉永5年(1852)に再建されたもの。 境内には護国神社をはじめ境内社も多くある。 |
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大寄八幡大神社2 本殿は木造銅板葺で、回廊より上部は内外とも總彫刻で彩色されている。 礎石には享保13年(1728)八月施主武政郷助の刻銘がある。 本殿は破損が著しいため、昭和58年にガラス貼りの覆屋を作り、保存されている。 手水舎は江戸時代後期の建立と考えられ、ともに市の文化財。 |
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寅稲荷塚古墳 東西51mの前方後円墳。築造は6世紀末の古墳時代終末期。 後円部径26m・高さ3m、前方部幅4m・高さ3.5m。 前方部から後円部にかけて寅稲荷神社が鎮守している。 この地域では最大規模の古墳で、当時の榛沢郡の最有力者の墓とみられる。 |
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白髭神社 祭神は猿田彦大神を祀る。 岡村の新田開発に伴い、約300年前の貞享年間に開かれたといわれている。 口碑によれば、明治2年(1765)に社殿の再建が行われ、現在に至っている。 境内には八坂神社ほか境内社がある。 |
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お手長山古墳 古墳の墳頂に大手長男神社が鎮座しているのでこの名前が付いた。 墳丘の原型は失われているが、調査の結果、全長49.5mの帆立貝式古墳で、 後円部径37m、前方部長12.5m、高さ3,5m。 6世紀末から7世紀初頭にかけての築造とみられる。 |
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百庚申 百庚申は岡の坂下への降り口、旧中山道に沿う坂道に建てられている。 百庚申が建立されたのは幕末・万延元年(1860)、庚申の年で二年かけて完成された。 この場所にはもともと、庚申塔や二十二夜尊塔、馬頭観音などの石碑があった。 幕末の不安な時代に神仏に願うために百庚申が建立された。 庚申塔の上は神仏混淆の名残があり、八坂神社や墓地が残る。 |
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中宿古代倉庫群跡 平成3年に発掘調査が行われ、掘っ立て柱建物跡6棟、溜池状土壙5基、 竪穴住居跡3棟、大溝などが発見された。出土した遺物は須恵器、土師器が中心であった。 この遺跡の特徴は掘立柱建物跡で、いずれも総柱式の高床倉庫跡が主体で、 7世紀末から8世紀代にかけて奈良時代を中心に約100年にかけて建て替えながら使用された。 |
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霞ケ浦常陸風土記を歩く会 | |||||||||||||||||
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