埼玉歴史そぞろ歩き
岡部
伊奈利大神社1


一の鳥居




拝殿

拝殿正面

拝殿内部

本殿
伊奈利神社1

伊奈利神社の文字に誘われて立ち寄る。
岡部の山河にある神社で、稲荷伸・宇迦之御魂神を祀る。
創建年代は明らかではないが、西方約700mにある茶臼山にある
伊奈利塚古墳の上に祀られていたものが、いつのころか現在地に移転した。
伊奈利大神社2

合祀社

境内社

石碑

護国神社

護国神社鳥居

護国神社
伊奈利神社2

この辺りは古くは鎌倉街道に面していて、中世の館跡があり、
戦国時代には深谷上杉氏の領地であったとき、その鬼門除けとしておかれた。
現在の社殿は嘉永5年(1852)に再建されたもの。
境内には護国神社をはじめ境内社も多くある。
大寄八幡大神社1

全景


一の鳥居

手水舎(市文化財)

拝殿

御神木?

本殿覆屋

本殿彫刻

回廊彫刻1

回廊彫刻2
大寄八幡大神社1

祭神は誉田別命(応神天皇)とされている。
社名は幾度かの変遷があり、児玉宮、御霊宮、大寄大神社となり、現在の大寄八幡大神社となった。
創建は不明だが、江戸時代後期の「新編武蔵風土記稿」では
榛沢六郎成清の勧請により、十一面観音を安置したときされている。
大寄八幡大神社2

境内社1

舞楽殿


境内社2

合祀社

内部


境内社3
大寄八幡大神社2

本殿は木造銅板葺で、回廊より上部は内外とも總彫刻で彩色されている。
礎石には享保13年(1728)八月施主武政郷助の刻銘がある。
本殿は破損が著しいため、昭和58年にガラス貼りの覆屋を作り、保存されている。
手水舎は江戸時代後期の建立と考えられ、ともに市の文化財。
寅稲荷塚古墳

一の鳥居

二の鳥居

御神木(大銀杏)

墳頂に稲荷社

拝殿

扁額

奉納額

境内社

本殿

本殿奉納
寅稲荷塚古墳

東西51mの前方後円墳。築造は6世紀末の古墳時代終末期。
後円部径26m・高さ3m、前方部幅4m・高さ3.5m。
前方部から後円部にかけて寅稲荷神社が鎮守している。
この地域では最大規模の古墳で、当時の榛沢郡の最有力者の墓とみられる。
白髭神社


境内全景

一の鳥居

二の鳥居

御神木

拝殿

境内社

八幡神社
白髭神社

祭神は猿田彦大神を祀る。
岡村の新田開発に伴い、約300年前の貞享年間に開かれたといわれている。
口碑によれば、明治2年(1765)に社殿の再建が行われ、現在に至っている。
境内には八坂神社ほか境内社がある。
お手長山古墳


全景

墳頂登り口

大手長男神社

境内社1

境内社2
お手長山古墳


古墳の墳頂に大手長男神社が鎮座しているのでこの名前が付いた。
墳丘の原型は失われているが、調査の結果、全長49.5mの帆立貝式古墳で、
後円部径37m、前方部長12.5m、高さ3,5m。
6世紀末から7世紀初頭にかけての築造とみられる。
百庚申

中山道古道


百庚申1

百庚申2

百庚申3

六地蔵


八坂神社

百庚申

百庚申は岡の坂下への降り口、旧中山道に沿う坂道に建てられている。
百庚申が建立されたのは幕末・万延元年(1860)、庚申の年で二年かけて完成された。
この場所にはもともと、庚申塔や二十二夜尊塔、馬頭観音などの石碑があった。
幕末の不安な時代に神仏に願うために百庚申が建立された。
庚申塔の上は神仏混淆の名残があり、八坂神社や墓地が残る。
中宿古代倉庫群跡



礎石全景群

礎石1

礎石2

基壇

板倉造高床倉庫

校倉造高床倉庫

古代ハス

中宿古代倉庫群跡

平成3年に発掘調査が行われ、掘っ立て柱建物跡6棟、溜池状土壙5基、
竪穴住居跡3棟、大溝などが発見された。出土した遺物は須恵器、土師器が中心であった。
この遺跡の特徴は掘立柱建物跡で、いずれも総柱式の高床倉庫跡が主体で、
7世紀末から8世紀代にかけて奈良時代を中心に約100年にかけて建て替えながら使用された。
埼玉歴史そぞろ歩き
1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.
霞ケ浦常陸風土記を歩く会
第15回  1.つくば(大穂)     2.つくば(谷田部)     3.つくばみらい市     4.守谷市     5.牛久市 
        6.取手1     7.取手2   8.古河1  9.古河2  10.結城

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