|
|||||||||||||||||
長勝寺 窯沼山普門院長勝寺という真言宗智山派のお寺。 本尊は地蔵菩薩で、南北朝時代の木造座像。 寺伝によると、養老元年(717)行基菩薩の開山という。 本堂向拝には三代後藤義光作の龍利氏の彫刻が残る。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
西行寺 光勝山慧心院西行寺という浄土宗のお寺。 その昔、西行法師の妻が西行を探して、船形に来て亡くなった。 後に、これを聞いた西行が訪れ、寺を建てたという伝説が残る。 長徳2年(996)、恵心院源信僧都を開基に翁公上人が開山したという。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
大福寺(崖観音) 船形山普門院大福寺という真言宗智山派のお寺。 「崖観音」と呼ばれ、船形山の中腹の「観音堂」に「十一面観音菩薩」を祀る。 養老元年(717)行基菩薩が東国行脚の折、地元漁民の海上安全と不良を祈って、 山の岩肌に十一面観音菩薩を彫刻したといわれる。 (写真禁止のため一部写真はホームページより転載) |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
船形諏訪神社 崖観音で有名な「船形山大福寺」の隣にある。建御名方命を祀る。 養老元年(717)行基菩薩が諏訪大社を勧請したと伝えられている。 船形諏訪神社は船形地区の総氏神として崇められている。 館山湾(鏡ケ浦)が一望できる。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
船形諏訪神社2 本殿・拝殿は2017年に放火により全焼した。 以前の社殿には後藤義光の弟子、後藤義信の作とされる彫物があった。 狛犬は安政2年(1855)武志伊八、後藤義光とともに 安房三名工と呼ばれた武田石翁の作。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
那古寺1 補陀落山那古寺という真言宗智山派の古刹で、千手観世音菩薩をお祀りしている。 坂東三十三観音の第33番で、結願寺。 奈良時代の養老元年(717)、行基菩薩が那古の海中から得た霊木で 観世音菩薩の像を刻み、天皇の病気平癒を祈願したのが始まり。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
那古寺2 本坊から石段の参道を登ると、仁王門がある。 仁王門をくぐると、右手が阿弥陀堂で、鎌倉時代の阿弥陀如来像が安置してある。 多宝塔は江戸時代中期に建てられたもので、県の文化財になっている。 多宝如来と釈迦如来が安置している。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
那古寺3 観音堂は那古寺の中心となる建物で、江戸中期の宝暦8年(1758)に再建された。(県文化財) 本尊は千手観音像で両脇には不動明王像と地蔵菩薩像が並ぶ。 本尊は平安時代後期の作で、県の文化財に指定されている。 銅製千手観音像は鎌倉時代初期の慶派の作品で、国の文化財に指定されている。 このほか那古寺には多くの文化財が残る。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
日枝神社 神仏分離までは山王権現という那古寺の境内鎭守堂であった。 現在は川名地区の鎭守で、那古寺の鬼門守護と伝えられている。 日枝神社の階段中腹には閼伽井がある。 観音堂へお供えする水を汲む井戸です。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
鶴谷八幡宮1 平安時代初期に安房国の国府所在地である府中に安房国総社として建立された。 鎌倉時代に八幡信仰が高まり、八幡宮と改称。 誉田別命、帯中津彦命、息長帯姫命の三柱を祀る。 境内には安房国一之宮・安房神社の遥拝所がある。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
漆谷八幡宮2 中世には里見氏、徳川氏より崇敬を受けた。 現在は「やわたのはちまんさま」と呼ばれ、市民から崇敬されている。 本殿は享保5年(1721)の造営で、市の文化財になっている。 拝殿向拝には安房を代表する彫刻大工「初代義光」の彫刻が残る。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||