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大日堂 旧浄法寺の境内にあるお堂で、大日如来を祀る。 創建はこの地方を支配した須藤貞信が持仏を本尊にして建てた。 須藤家の居城であった神田城の鎮護として崇敬庇護された。 大日度負の建築年代は不明ですが、平安時代の形式を踏襲した貴重な建ものになっている。 |
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なす風土記の丘資料館1 なす風土記の丘資料館一帯は大規模な古墳や奈良時代の役所跡が存在する宝庫。 資料館では常設展示として「よみがえる那須古代文化の軌跡」として、 縄文時代から奈良平安時代にわたり、 那須の古代文化を概観できるようになっている。 |
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なす風土記の丘資料館2 1.那須の縄文時代は三輪仲町遺跡の竪穴住居の復元に始まり、 縄文土器や勾玉をはじめとした石器などを展示している。 2.巨大墳墓時代では駒形大塚古墳の模型をはじめ、 那須八幡塚古墳などの出土品を紹介している。 |
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なす風土記の丘資料館3 3.古墳文化の終末と仏教文化では古墳終末期の古墳を紹介し、 それに伴い、仏教の廃寺跡からの出土品を紹介している。 4.新しい政治と地方文化では那須の郡衙跡を中心に、 その出土品などを展示している。 |
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那須官衙跡 当初は寺院跡と考えられていたが、発掘調査の結果、古代那須郡の役所跡ということが分かった。 遺跡範囲は少なくとも南北約200m、東西約400mある。 銅印基壇は銅の官印が発見されたところで、下から総柱式掘立柱建物2棟が発見された。 梅林基壇は古代の役所跡で、総柱式礎石建物が発見されている。 |
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民家復元 隣接するふるさとの森公園には2棟の民家が移築されている。 小口家住宅と永森家住宅である。 それぞれ、江戸時代の中規模の民家で、入口の脇に馬屋があり、 茅葺屋根で、広い土間があり、囲炉裏のある板間、座敷などがある。 |
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春日神社(梅曽) 資料館に隣接する公園の片隅に鎮座する神社。 神護景雲年間(767〜770)、奈良春日神社より分祀し、創建。 天津児屋根命を祀る。 江戸末期の資料には梅曽の鹿嶋大明神と記録が残る。 |
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西宝寺 玉光山信楽院西宝寺という浄土真宗大谷派のお寺。 本尊は阿弥陀如来坐像。 |
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三和神社 創建は不詳であるが、推古天皇12年(604)、大和国三輪山大神神社を勧請遷座したと伝えられている。 縁起式内社下野12社の一つで、大国主命を祀る。 社殿修復は那須家が修理を行ってきたが、 天正18年(1590)那須資晴が烏山城地を没収されてからは氏子が修造した。 |
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4世紀初めころに造られた古墳で、全長60.5mの前方後方墳。 前方部は削平され、後方部が残る。 関東地方でも最も古い時期に造られたと考えられている。 画文帯四獣鏡(中国鏡)をはじめ、直刀など多くの副葬品が出土している。 |
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小川温泉神社 創立年代は不詳ですが、社伝によると往古は尾川大明神と称した。 天治2年(1125)藤原貞信が八溝山の賊徒征伐にあたり、当社に祈願し、平定した。 建久4年(1193)源頼朝の那須野狩の時、那須太郎資光が当社に祈誓。 この時温泉神社と改称した。 小川郷土館 隣接して、小川郷土館があるが、事前予約が必要。 |
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栃木県歴史散歩 | |||||||||||||||||
1.大田原1 2.大田原2 3. | |||||||||||||||||
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