最初のローン


楽器店で働いた1年間はそれまでのアルバイトとは少し違ってやや都会的な自分を見いだすことになった。
楽器店であるので扱っているものは、当然楽器類で大きいのはピアノ、その次がオルガン。あとはギターとその他にレコード。今ではカセットテープからさらにCDに替わってしまったが、その頃はベンチャーズも橋幸夫もみんなレコード盤だった。

ドーナッツ盤という45回転のレコードが邦盤(歌謡曲)330円、洋盤(外国のもの)370円で表裏で2曲入っているものだった。

それを高校生はポータブルプレーヤーという電気蓄音器で聞いていたものでした。
その頃人気のあったのは和製では橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の元祖御三家に付録(失礼)の三田明。洋盤ではシルビィ・バルタン、ビートルズ。それとマイク真木などが出てきてフォークソングが出始めた頃である。

レコードの他にステレオとかテレビも置いてあって、実際の仕事といえば営業の人の助手である。
テレビのアンテナ取付けが結構頻繁にあった。

そこの店のテレビが売れてる訳じゃないですが、ただ単にアンテナが古くなって映りがよくないので交換するのであった。ベテランの作業を見ているうちに自分もできそうな気持になってくるものである。
だんだん興味もわいてくる。ニッパの使い方なども様になってくるから不思議なもんである。

門前の小僧習わぬ経読むである。

自分で電気用の工具を買って、自分ちのアンテナのフィーダー線を取り替えたりもした。オルガンもその頃は良く売れていた。
もちろん、もう電気オルガンの時代になっていた。

オルガンの配達は簡単だった。ただ運んでいき、梱包を開いてオルガンの音がちゃんと出るかキーボードを押してみる。まず間違いなく全部出る。それでOKである。
慣れてくるとキーボードを押すとき、さもベテラン風に早くスムーズに弾く。
最後に、一つだけ覚えて行った和音(コード)を弾くと、バッチリ決まりである。帰りに口笛の一つも出てくる。

3月には営業の助手で学校回りに行った。

新しく始める楽器の売り込みである。というのは、1年生がハーモニカ。4年生か5年生が笛である。担任の先生にお願いして回るのである。その店の取り扱いメーカーはヤマハであった。
楽器関係では最大手なので、毎年楽勝と油断しておったのか小生の年はちょっと失敗した。
なんとカワイ楽器のハーモニカに決められてしまった。

当店より早くから回っていたのも理由の一つだったが、最大の理由が カワイのハーモニカは縦に立つというものだった。

くだらねえ。

なんでハーモニカが机の上に立たなくちゃいけないんだ。
実際ヤマハのは両端がまるくてスタイルは良いと思うのだが。先生も何を考えているのやら。
この頃から先生のレベルが落ち始めたのかも。
営業の人もしばらく落ち込んでいたようだった。

商店街の売り出しで北島三郎の興行を見ることができた。
いくら以上の買い物をすると、招待券を進呈するというシステムである。
小学校の体育館が会場である。その頃そういう売り出しが毎年決まってあった。それに釣られて買ってしまうのである。

もちろん小生は買い物をした訳ではなく商店街の仕事で会場の整備をやったのである。

北島三郎と言えば大変なスターでそうとう感激したものよ。

村で土方のアルバイトをしてても、山で草刈りのアルバイトをいくら一生懸命頑張っても北島三郎は見れないのだ。

やっぱり町はいいなあ。
しみじみ感じたものだった。

店にはギターが飾ってあり、これがまた若者に良く売れた。 一番安いクラシックギターが確か2800円だった。

高いものは20000、30000円とあったが5000円から10000円が良く売れた。
小生もギターにはその前から興味があり自分で説明して売れるとうれしくなったものだ。クラシック、フォークとギターにも種類があって小生の好みは何といってもエレキである。

ベンチャーズ、スプートニクスが青春であった。あの強烈なエレキのサウンドは小生の胸元をえぐるようなインパクトがあった。

パイプライン・ダイヤモンドヘッド・キャラバン・クルーエルシー・10番街の殺人どれもこれも我が青春であった。世界中がエレキで侵されていた時であったから赤いエレキギターを見ただけで何だか興奮してくる。

半年位努めて社長の信頼も多少ついた頃に、ローンで売ってもらいやした。

なんと18000円の赤いエレキギター。
3000円ずつの6回払い。
利息なし。

従業員だから。


やっぱり町はいい。
村にはギター売ってる所もないもんね。
3月までちょうど6回払えると計算したのである。

生まれて初めての自分自身の大きな借金であった。
そんな意味でも高校4年生の1年は自分の回りがそれまでと違った1年であった。

12月には車の免許も取れた。

神奈川の電気製品販売会社へ就職が決まった。

仕事の関係で免許が必要と言う事になり、また就職先で半額負担してくれるので学校の帰りに自動車学校へ通った。
何とか2ヶ月で普通免許を手にした。

費用は40000円。今に比べると随分と安かったもんだよね。

いろんないろんな経験をして高校生活も終わることになる。




(次回「予餞会の後で”さらば高校生活”につづく)