謎のパンツライダー


中学1年の春。

学校対抗の陸上競技大会が毎年春先に行われる事になっておりやした。

学校の代表選手を決めるため、校内の大会がその前にある訳です。選手は学年別に選ばれることになっていました。すなわちクラス対抗で予選があるのです。

普通、中学校の場合はいろんな小学校が一緒になるケースが多いのですが、わが猿沢中学校は猿沢小学校がそのままエレベータ式に進学するのです。だから全員知ってる奴ばかり。

足の早いのは誰かわかっているが、中学になると小学校ではなかった長距離走が新しく加わるのだ。


初めて加わる種目だけにいつも短距離のリレーでいいかっこしてきた奴が速いとは限らないのである。
なんだか知らないが小生が長距離の選手に選ばれてしまったのである。


自慢じゃないが小生は、小学校時代の運動会で3着以内に入ったことがない。

運動会では1位が赤、2位がグリーン、3位になると黄色の小さなリボンをもらえた。運動会の帰り道に、決まってリボンを勲章にして誇らしげに帰る奴がいたものだが小生は残念なことに一度もそんな経験がないのである。

しかし、そんな小生に一躍メジャーになるチャンスがめぐってきたのだ。

そしてクラス対抗当日、どういうわけか1500mの学年で2位に入ったのである。


瞬発力がない代わりに持久力はあったらしい。フッフッフッその秘めたる実力が今この瞬間に芽を吹いたのであろうか。


もう土人とは言わせないぞ!がいこつでもない!


おいらは村の英雄だ!...とまではいかないまでも、とにかくも学校の代表選手に選ばれたのである。

次の目標は村陸上大会だ。

これには村内の中学6校が集まる。それに勝てば次は郡市大会。その次は県内の 下越地区大会。続いて県大会。
次は国体。最後にはオリンピック。

夢は果てしなく広がっていった。


ああ思えば母にも苦労をかけてきた。

小生がマラソンで金メダルをとれば、少しは家の暮らしも楽になるだろう。...なんだか途中から話が大きくなり過ぎているような気もするが、とにかく頑張らなくては。

何日か過ぎて、正式に学校代表選手の発表があり予定通りバッチリと選出された。
そして・・・いよいよ今日は合同練習初日!

放課後、学校の全選手がグラウンドに集合することになった。悪夢はその直後に訪れた!!


 「あれ!、俺って短パンツ持っていなかったんだ。」!!!!!!!!


その当時の体育の時間の服装はというと、白の体育シャツと白い綿ズボンであった。小学校のときからリレーなどに選ばれている奴らは当然白い短パンツを持っていた。長い綿ズボンだと足が早く動かせないから、だいたい皆んな持っていやがったのである。


俺はそんなの持ってやしねえ。


長い距離を走るのだから当然綿ズボンじゃ走れねえ。だけど、これを脱いだらおらーパンツになっちまう。


当時のパンツはというと。

それはいわゆる「さるまた」というやつで白の薄い綿なのよね(急に弱気)。水に濡れるとすぐに透けて見えちゃう奴。おまけに前がすぐ黄色くなってしまうというものであった。

こんなのでこの校庭を走れっていうのかい。勘弁してよ。

俺がいったいなに悪い事をしたというんだ。
土人といわれ、がいこつと馬鹿にされても一生懸命頑張ってきたのに。あーあ。


 ...苦悩、決断


という経過をたどり、その日小生はパンツでグラウンドを何周も走るということにあいなりやした。

しかも俺一人だけ。パンツは。


練習を終え、家に帰ってすぐ母に、「短パンツを買ってほしい」とお願いをした次第でありやす。
やさしい母はすぐさま小生のために自転車で5km離れた洋品屋へ走りました。


結局、村内の中学校対抗ではたいした成績はあげれませんでした。

順位も覚えておりません。グスッ

群市大会も、その次の下越大会そして県大会、国体、オリンピックという予定だけに終わりました。

一番最初でつまずいたせいではないでしょうが、2年、3年もこれといった成績は出ませんでした。

しかし、3年生の秋最後の全校マラソン6km走で見事大会新記録で優勝することができたのです。


謎のパンツライダーは中学校生活の最後の最後に、やっと花開くことができたのでした。




(次回「定時制に進んだ訳」につづく)